『夢を売る男』の百田尚樹さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2013年5月号」より抜粋
百田尚樹(ひゃくた・なおき)
1956年、大阪府東淀川区生まれ。同志社大学法学部中退。その後放送作家となり、『探偵!ナイトスクープ』、『大発見!恐怖の法則』などの番組の構成を手掛ける。2006年に『永遠の0』で小説家としてデビュー。2009年「BOX!」が第30回吉川英治文学新人賞候補、第6回本屋大賞の5位に選出された。著書に『「黄金のバンタム」を破った男』『海賊とよばれた男』『影法師』『プリズム』『幸福な生活』など多数。この度、太田出版より『夢を売る男』を上梓。
── 新刊『夢を売る男』は編集者「牛河原勘治」が勤める出版社「丸栄社」を舞台に繰り広げられる長編小説です。丸栄社は読者にではなく、著者に「夢を売る」自費出版社ですが、この小説をどのように発想したのですか。
百田 僕が『永遠の0』でデビューした二〇〇六年は、新風舎が出版点数二千七百点という桁外れの数で、点数では講談社を抜いて日本一の出版社になったんです。これは事件でした。その年は他の自費出版社も千点を超える出版を遂げていたので、自費出版のピークだったろうと思います。自分で金を用意して本を出したいという人が世の中にこれだけ居たのかと驚きました。それから、出版というのは商売です。言い方は悪いですが「売れて何ぼ」だと思っています。テレビの世界で生きてきた僕は、スポンサーからお金を貰って番組を制作していますから、視聴率が全てです。そんな世界で生きてきたので、文芸の世界に飛び込んでみたら売れない本が多い状態にびっくりしました。学術論文やノンフィクション等であれば、出版すること自体に意義と価値はあるんでしょうけれど。僕は五十歳で文芸の世界にデビューし、今年で七年目を迎えました。この世界は他の世界とは異質なものがあると感じたんです。自分自身を見直す為にも、本を書くという行為はどんな意味があるのか、なぜ人は本を書くのか、なぜ人は表現したいのか。これを探ってみたいと思って自費出版を舞台に小説を書きました。初めはプロの作家がいて、その対極に自費出版の著者がいる。そんな位置づけで書いていたのですが、そのうちプロの作家と自費出版の作家は対局にあるのではなく、根っこの部分では被さっていると思えてきたんです。
── 牛河原が若手の編集員「荒木」に語りかける、という設定に託し百田さんが普段から抱えていた憤りを爆発させていますね。
百田 全体としてコメディなので読者に楽しんで貰いたかった。自分の伝えたいことを学術論文風に書くのでは何も面白くない。いかに判りやすく読者をワクワクさせながら伝えるかは、エンタメの基本だと思うので、牛河原という特異な、ある意味魅力的な悪役を作ったんです。
── 第2章では牛河原がただの悪役ではないように見えます。
百田
ちょっとした工夫があるんです。第2章で牛河原を上回る、生意気で自意識過剰なフリーター温井雄太郎が登場して牛河原と会う。読者は「この若者に世間の厳しさを教えてやれ」と牛河原に肩入れするわけです。自己肥大した人はいっぱいいますからね。何の根拠もなく「一冊くらい本を書けるだろう」「もしかしたら自分は天才かもしれない」と思っている若者が溢れています。現代人は自己顕示欲、自己承認欲求が膨れ上がっている感じがします。SNSやツイッター、ブログなどを見てもよく判ります。例えば夜に飯を食いに行くとデジカメで料理を写真に撮って、ブログにアップする奴がいますね。お前の晩飯に世界の誰が興味あんねん(笑)。ツイッターでも「新宿なう」とか書く。お前が今どこにおろうが世界の誰が興味あんねん。従業員を百人も二百人も抱える忙しい社長か、と(笑)。だから、ここ最近の自費出版の隆盛は必然なんですよ。自分のことを書いて本にしたい人がどれだけいるか。たとえば町の印刷屋に頼んで、百部二百部刷って自分の思い出や私家版として残すとか、世話になった知人、家族に配るとか、それならいいんです。なのになぜわざわざ何百万ものお金を使って千部二千部刷って、全国の書店に並べるのかと。また自分の本が売れると思う、その厚かましさ(笑)。だから年々国会図書館の蔵書が増えて、増築で大変だそうですよ。
── 本を出そうと牛河原に関わる様々な人間が、それぞれに歪んでいる一方で、他人事とは思えない面もあります。
百田 笑いながらグサッグサッと来るんですよね。書いている僕自身もグサッと来ます。この人らと自分は結局同じちゃうかと思ってね。
── 《小説家の仕事というのはぶっちゃけて言えば『面白い話を聞かせるから金をくれ!』と言う奇妙奇天烈な職業だ。》と牛河原が語ります。
百田
これは僕が思っていることです。「今からオモロイ話するで。だから銭出してくれるか」と。そうすると「銭出して良かった」という位の話をしなくてはならないですよね。「オレ、今から自分の悩みを話すから銭出してくれ」って誰が銭出すかって話です(笑)。まだ人間が文字を持たなかった時代から、人は面白い物語を欲していたんじゃないかと思うんです。多分そういう時代にも面白いホラ話をする奴がいたと思うんですよ。「お前の話おもろいから、狩りせんでもええわ、肉やるわ」という感じで。小説家って本来そういうものだと思います。一所懸命働いて日銭を稼いだ人に面白い話を提供して、銭を貰って生きているのならやっぱり人を楽しませないと。すでに文楽や能はビジネスとして成り立たないから税金を投入して生き長らえさせていますが、小説はそうなってはいかんやろと思います。常に、どの時代でも人々が喜ぶもの、ビジネスとして成り立つものが基本だと思います。
── 牛河原は《売れてる作家ほど、原稿をきっちりと仕上げてくる》と言います。
百田 プロというのは納期を守る。どこの世界でも当たり前の常識です。ところが小説家は締切を守らない奴がいたり、原稿を落とすことも珍しくない、と聞いてびっくりしてね、何という世界やと。それがノーベル賞クラスの傑作だったら原稿を落とすのもまあ判りますが、ほとんどがそうではない(笑)。
── 牛河原は須山詠子の読書感想ブログに《根底にあるのは、自分という存在を知ってもらいたい!という抑えがたい欲望だ》とコミットします。ついに小説の読者も標的にしましたね。
百田 大勢の人がいる会議室など、現実で同じことを言えば「あんた何言うてんの、おかしいんちゃうの」と突っ込まれますが、ブログは自分が神様≠ナすから誰からも指摘されない。長年ずっと自分の好きなことを言っていると全能感が限りなく膨れ上がりますよね。出版界、売れない作家、大御所の作家、純文学の作家、読者までブログを書いています。…僕もうすぐ出版界から干されますわ(笑)。
── 牛河原が吐く猛毒は《元テレビ屋の百田何某みたいに、毎日、全然違うメニューを出すような作家も問題だがな》と異なるジャンルを書き分けている百田さん自身をも俎上に載せています。
百田 百田何某≠ヘ一番売れにくい創作スタイルです。書店員にも言われました。「作風がぶれ過ぎです」と。「『永遠の0』が当たって、読者は『永遠の0』の感動をもう一度!と待っているのに百田さんはそれっきり戦争物を書かない。『BOX!』や『影法師』が支持されても同じ世界を続けなかった」と。でも仕方ない、性分なんです。だから自分自身への自嘲と反省を込めて書きました。
── 丸栄社の社長「作田」は『錨を上げよ』の主人公作田又三なんですね。
百田 なんとなく洒落で。この社長はどんな奴かなあと思ったら大阪人がええなあと。それやったらと、懐かしいあの人物を出してみました。
── 『海賊とよばれた男』では石油を軸として戦前戦後の政治経済、外国との関わりをドラマに沿って判り易く伝えているように、『夢を売る男』でも取材した内容を牛河原の発言によって判り易く読ませます。
百田 いかに面白く、判り易く伝えるかは、あらゆる表現の基本だと思います。例えば、学校や予備校には突出して優れた教師がいたりしますが、手元のテキストはみんな一緒ですよね。同じ内容でも、いかに生徒たちに面白おかしく説明できるかで、教師としての優劣の差が出るわけです。小説もテレビも同じだと思います。
── お話を伺うと百田さんは才気煥発、座談は笑いが絶えません。一方で『錨を上げよ』や『海賊とよばれた男』など長大な小説を書き通す勤勉な一面もあります。
百田 本当の僕はさぼり≠ネんです。原稿を書き上げると「終わった、終わった」とさぼって、三か月位はワープロの前に座るのも嫌で一字も書きません。そして「これ以上さぼっていたらあかん」となったら一日十時間以上原稿に向かいます。やるときはアホみたいにやる。やっている時が苦しいから早く解放されたいと猛追しながら書き上げます。プロなら一日に決まった時間、決まった枚数をコンスタントに書いているはずです。
── 百田さんは様々な小説ジャンルを書き分けていますが、どのジャンルでも不屈の男≠好んで書いてきたのではないのでしょうか。
百田 魅かれる生き方は色々ありますが、やっぱり常に人生を肯定的に捉えたい、これだけは変わらないですね。今回の牛河原が、人生を肯定的に捉えているかは微妙な見方ですが、僕の作品に共通しているバイタリティがある人物ですよね。
── 今後の予定を教えて下さい。
百田 クラシック音楽のエッセイがたまっているので今年出す予定です。それから零戦関係の新書が夏に出るでしょう。小説は秋ぐらいから本格的に書いていきたいと思います。内容はまだ決まっていませんが、今後はホラーもミステリも書いていきたいと思っています。楽しみにして下さい。
(二月二十七日、東京都新宿区にて収録)
※収録後、『海賊とよばれた男』は2013年本屋大賞を受賞しました。