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『太田和彦のニッポンぶらり旅 2 故郷の川と城と入道雲』の
太田和彦さん

インタビュアー 石川淳志(映画監督)


「新刊ニュース 2013年6月号」より抜粋

太田和彦(おおた・かずひこ)

1946年北京生まれ。長野県木曽郡や松本市で育つ。東京教育大学(現・筑波大学)教育学部デザイン科卒業。1968年、デザイナーとして資生堂宣伝制作室に入社。1989年「アマゾンデザイン」設立。資生堂在籍時より日本各地の居酒屋を探訪し、そのエッセンスを集めた『居酒屋大全』で注目される。著書に『ニッポンぶらり旅 宇和島の鯛めしは生卵入りだった』『東京 大人の居酒屋』『太田和彦の居酒屋味酒覧 精選173』『男と女の居酒屋作法』『黄金座の物語』など多数。この度、毎日新聞社より『太田和彦のニッポンぶらり旅 2 故郷の川と城と入道雲』を上梓。

太田和彦のニッポンぶらり旅 2 故郷の川と城と入道雲

  • 『太田和彦のニッポンぶらり旅 2 故郷の川と城と入道雲』
  • 太田和彦著
  • 毎日新聞社
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ニッポンぶらり旅 宇和島の鯛めしは生卵入りだった

  • 『ニッポンぶらり旅 宇和島の鯛めしは生卵入りだった』
  • 太田和彦著
  • 毎日新聞社
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東京 大人の居酒屋

  • 『東京 大人の居酒屋』
  • 太田和彦著
  • 毎日新聞社
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太田和彦の居酒屋味酒覧 精選173

  • 太田和彦の居酒屋味酒覧 精選173
  • 太田和彦著
  • 新潮社
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日本のバーをゆく

  • 『日本のバーをゆく』
  • 太田和彦著
  • 講談社
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居酒屋 おくのほそ道

  • 『居酒屋 おくのほそ道』
  • 太田和彦著、村松 誠画
  • 文藝春秋(文春文庫)
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太田和彦の今夜は家呑み

  • 『太田和彦の今夜は家呑み』
  • 太田和彦著
  • 新潮社
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── 「サンデー毎日」で好評連載中の「ニッポンぶらり旅」の書籍第二作『太田和彦のニッポンぶらり旅2』が上梓されました。連載の経緯を教えていただけますか。

太田  「ぶらり旅」連載前に「サンデー毎日」のグラビアページで居酒屋の連載をしていたご縁で、編集部から次の企画に見聞き連載をと。週刊誌の見開きエッセイはいろいろな方が書かれている憧れの場所≠ナ、旅記事を提案したら採用してくれました。
 「サンデー毎日」は新聞社系週刊誌で、主な読者層は中高年ですから、「自分も真似してみよう」と思って実現出来る旅、つまり交通が簡単で、宿が清潔で、不安がない旅をしています。いわゆる秘境や孤島などではなく旅記事ができるのかなと思うかもしれませんが、むしろそれが狙いです。
 良かった体験だけを書きたいから「あそこの街に行けば、あのいい店がある」と自分が知っている範囲。「どうぞこの旅を真似して下さい、僕が楽しんだ位は楽しめます」という連載です。実際、旅先で僕の本を手に各地の居酒屋を訪問するご夫婦にお会いすることも多いです。

── 旅の下準備はどれくらいなさいますか。

太田  「ぶらり旅」とはいえ、取材で記事を書かなくてはいけないから結構念入りに準備しますね。旅の進め方に応じて交通機関とホテルの手配、値段の確認はしておきます。若い頃のように出たとこ勝負はもう無理ですし。
 それから一つの街で最低二泊三日は過ごします。一泊で、着いて遊んで翌朝帰るのは味がない。その街で朝目覚め、一日過ごして、夜はお酒を飲み、歩いてホテルに帰って眠ることが大事な基本。だから最低二泊する。僕の記事は朝の行動をよく書いていますが年寄りは早起きしちゃう(笑)。でもそれがまたいい。
 昔は冒険やヒッチハイクや焚火もしたけれど、いつのころからか旅の楽しみは「その街の日常生活を見ることにあり」と気づいた。その街の人になった気分で朝から晩まで過ごす。街が朝目覚めて活気づいていく有様を喫茶店で見るのは旅の無上の楽しみですね。女学生が自転車で通っていったり、通勤途中の会社員を見たり、バス停で人が並んでいるのを見たり。
 また、旅で良いのは何でも一人で決められること。散歩は健康にいいし、早朝の神社は気分のいいものですよ。旅こそ普段の自分に戻る、というのかな。場所が変わることによって気持ちも入れ替わって新鮮に物事を見られる。旅先では仕事も何も出来ないからデンと構えてただ見てるだけ、これが贅沢なんですね。

── 週刊誌の連載を抱えながら二泊以上の旅は困難ではないですか。

太田  最初の打ち合わせで、一都市で一回はもったいない、最低でも二回は書こうと決まった。連載開始時は宇和島から大分に、別の旅に読めるように工夫しています。そのうち一つの街で四回書き、七回になったら編集部から長すぎると怒られました(笑)。
 僕は居酒屋を書くのは得意だし、居酒屋のない街には行かないから、昼間面白い話がなくても居酒屋観察記にもっていけばその一回は纏められる自信もある。

── この旅は土地の歴史や由緒を必ず書いていて、その土地への敬意が感じられます。

太田  神社好きもあり、癖にもなっているんですけど、他所の街に行くとまずそこの氏神様に手を合わせます。「よそ者ですが二晩三晩遊ばせて頂きます、美味しい酒を飲めますように」とね。すると気持ちが鎮まる。神社は昔から場所が変わってないし、周辺は古町が多く、門前町が栄えている処もあればひっそりした処もあります。

── 旅の極意、秘訣を教えて下さい。

太田  旅ものを幾つも書いてきましたが、一人旅もあれば二人旅、三人旅もあり、女性が混じる旅もありました。『東海道居酒屋五十三次』は弥次喜多を真似て二人で行き、自ずとボケと突っ込みの役割ができました。『居酒屋おくのほそ道』では同行の女性記者にキャラクターを与えて、からかったり怒られたりの読み物にしました。複数で行く旅は会話の妙で呑気旅を書けます。
 『居酒屋かもめ唄』は一人旅でしたが、小説っぽく書いてくれと依頼されたこともあり内省的になりました。しかし「ぶらり旅」は週刊誌だから陰気になってはいけない。それには会話を入れることと思い、お店の方とのライブ感を大切にしています。会話、食べたもの、値段、これは大事です。

── 献立や会話は覚えているものですか。

太田  僕はメモに何でも書いています。味の感想や値段、壁に掛かっていたものとか。メモにはイラストも描きますが、写真と違って描きながら要らないものを消しているので編集が出来ているわけです。このメモが一番の宝物で、財布を失くしてもメモを失くしてはいけない。一度だけ、次の店に行ったらメモを置き忘れていたことに気づき、真っ青になって戻ったら店の人が「これでしょ」とメモを手にニヤニヤしていて恥ずかしかった。
 僕の取材の仕方は新聞記者と同じで5W1Hで事実を綴る。叔父が新聞記者で子供のころ「ポケットのなかで字を書く」「数字は絶対間違えちゃいけない」「目の前で何か書きだすと必ず何やってるの≠ニ訊かれるから、覚えてトイレで纏める」「名前はその場で漢字を確認する」など色々教わったんです。
 それからもう一つ、むっつり飲んでいたんじゃ駄目で、心を開いて話しかけて、笑ったりして会話を引きだして良い客になり、上手にその場を演出していくこと。旅先の居酒屋ではそれが一番面白いことだからカウンターに座らないと駄目ですね。

── 第二巻の旅は二〇一一年の三月に横浜に出向くところから始まっています。

太田  この連載はたまたま一巻目との間に東日本大震災がありました。その日が節目となって、二〇一一年のほぼ一年は誰もがそうだったと思うけれど、特殊な時間だったし特殊な気分でした。自分にもそれが重く圧し掛かって「こんな時に呑気な旅をしていていいものか」「「ぶらり旅」の記事でボランティアに行くのは違うだろう、しかし何も知らないふりをしていることも出来ない」という感じでした。
心は常に家にあり、東北にあり、でしたので震災直後の旅は何かあってもすぐに帰れる横浜にしたんです。そういう時でしたから日常があることの有難さ、尊さを書く気持ちが自ずと根底にありました。
 次に奈良に行ったのですが、そこでは大仏を美術品としては見ていませんでした。大仏が持っている祈りのようなものが自分にもあって、大仏を見に来ていた皆と同じ心で僕も静かに見上げていました。鎌倉も同じで、神社を訪れている皆の心が一つになって手を合わせていたと思います。旅先で飲んでいても頭を離れないことは山ほどあり、その時の気持ちも正直に書こうと思いました。
 そういう状況でしたから、ものを見る目が澄んでいたと思います。そして気付いたら自分の故郷の松本や木曾を旅していた。この第二巻は、僕にとって特別な重みのある本になりました。本にして頂いて嬉しかったですよ。

── 「ニッポンぶらり旅」は連載三年目を迎えます。人気の背景には世間の「おひとりさま」や「シングル」という風潮があると思います。

太田  今、新聞を見ると中高年問題ばかりです。長い老後を元気でどう暮らすのか。つれあいを亡くすことも、出て行かれてしまうことだってあるかもしれない。老後の男の再生に一人旅ほど良いものはありません。知らない街で知らない居酒屋に入るのは案外度胸が要るものだけれど、自分でやらない限りは一歩も進まない。自分をゼロにして居酒屋に入る、それが自立した男を磨くことです。男なら酒を飲まなきゃ(笑)。

── 文筆家としてのデビューは一九九〇年の『居酒屋大全』ですね。

太田  本業はグラフィックデザインで、ものを書くようになったのは全くの成り行きでした。遊びで居酒屋研究会の会報を作り、それが雑誌の連載に採用されて単行本になり、書く仕事が自然に増えてきた。でもデザインと文筆は使う頭が全然違います。たまに両方の締め切りが重なることがありますが、そんな時は頭がパッと切り替わる。資生堂に居た頃、椎名誠さんと出会って大きな影響を受けて、「ああやって旅する作家っていいな」と憧れていたけれど、気が付くと自分がそうなっていました。ただ、椎名誠さんであれば、冒険でも近所のコンビニに行ったことでも椎名さんのものの見方で面白く書けるのでしょうけれど、僕は匿名の新聞記者のように書いています。

── 太田さんには映画ファンの琴線に触れる『黄金座の物語』という小説がありますね。

太田  有難うございます。僕は何十冊も出しているけれど、実はこの本が一番好きで、自分の全てを集約させた代表作と言ってもいい。日本映画の研究書であり、居酒屋小説であり、ノスタルジーもあり、三船敏郎や原節子たち有名スターも出てくる。『黄金座の物語』でインタビューしてもらいたいくらいです(笑)。今絶版で、どこかで文庫にしてくれないかなあ。

── 今後の予定を教えて下さい。

太田  JR東日本の車内誌「トランヴェール」4月号から文章と挿絵の連載「居酒屋を旅する」が始まりました。四月末には『居酒屋百名山』が新潮文庫になり、これにも僕のスケッチが入ります。楽しみにしてください。

(四月一日、太田和彦氏のオフィスにて収録)