『バックストリート』の逢坂 剛さん
インタビュアー 青木千恵(ライター・書評家)
「新刊ニュース 2013年8月号」より抜粋
逢坂 剛(おうさか・ごう)
1943年東京都生まれ。中央大学法学部卒業。1980年「屠殺者よグラナダに死ね」(後に「暗殺者グラナダに死す」に改題)で第19回オール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。1986年『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第5回日本冒険小説協会大賞を受賞。1987年同作で第40回日本推理作家協会賞を受賞。2001年から2005年まで日本推理作家協会理事長を務める。著書に『大迷走』『暗殺者の森』『●の巣(よたかのす)』『墓石の伝説』『あでやかな落日』など多数。この度、毎日新聞社より『バックストリート』を上梓。
── 『バックストリート』は、JR御茶ノ水駅の近くに「現代調査研究所」を構えるフリー調査員、岡坂神策を主人公にしたシリーズの最新作です。まず、この作品を書くことになった経緯を教えてください。
逢坂 二〇一一年秋から「サンデー毎日」で連載を始めるにあたり、担当編集者の提案で岡坂神策ものを書くことになりました。主人公を指定して依頼されるのは珍しく、嬉しい気持ちで引き受けた覚えがあります。なんの構想もなかったけれど(笑)。今回の話は舞台のほとんどが神保町界隈だから、神保町の裏町を徘徊する<jュアンスでタイトルをつけました。御茶ノ水・神保町界隈を舞台にしたシリーズでは、街の変化を克明に書き留める「御茶ノ水警察シリーズ」もあります。岡坂神策シリーズの方は、「都会小説」の位置づけをしています。
── シリーズ第八作となる今回は、ユーモラスな場面も多くて、御茶ノ水警察シリーズと重なる感じがしました。
逢坂 若い頃に比べて、岡坂くんも人間がだんだん丸くなった(笑)。元々、ワイズクラック(気の利いた台詞・軽口)が好きな人物ですし、岡坂は、私の性格、思考、趣味を、露骨に体現したキャラクター。短編「謀略のマジック」(一九八四年)が初登場でしたが、岡坂は、私が作家デビューする前の七十年代後半に書いた『カディスの赤い星』の主人公、漆田の再現なんです。ギターを弾き、スペインに関心がある漆田は、完全に私と重なる人物でした。その漆田を再現させた岡坂も、私との共通項が非常に多い。違うところは、彼が女性にモテるところですね。モテすぎじゃないかと読者に言われる(笑)。
── タブラオという、フラメンコをみせるレストラン・バーが神保町界隈に新しく開店し、旧知の弁護士・桂本忠昭と店を訪ねた岡坂は、若いフラメンコダンサー二人と知り合う。不審な人物になぜか尾行されるようになり、物語が展開していきます。
逢坂 自分の関心事を交えて書くうちに、岡坂が私の分身だとみなされるようになりました。どうせならそれに徹しようと、このシリーズではスペイン戦争、ギター、西部劇など、趣味にまつわる薀蓄をさんざん傾けてきました。熟知していることは書きやすいし、ストーリーを通して読者も知識を蓄えてくれればいいなと。同好の人だけでなく、誰にも分かりやすく、楽しんでもらえるように書いています。フラメンコギターに関心を持って半世紀経ちますが、踊り手の世界についてはよく知らなかった。最近、いい舞踊家と知り合ったので、彼女たちに取材をして、今回はフラメンコダンサーを主要人物にしました。
── 踊りの場面が華やかです。
逢坂 舞台の素晴らしさを表現してみたかった。この小説を読んで、フラメンコを始めようかと思う人が現れたら嬉しいですね。冒頭は、タブラオの場面から始めました。冒頭をどんな話にするか、読者を掴めるか、まずは全力投球で書きます。最後にどんでん返しがあると言っても、それまでが単調ではだめです。私が影響を受けたジェームズ・ハドリー・チェイスは、ストーリーテリングが巧みで、アクションから始まる。「掴み」は大切です。ディーン・R・クーンツも、『ベストセラー小説の書き方』でそう書いていますね。
── ドイツ浪漫派の小説もテーマのひとつになっています。二〇一一年は、ハインリヒ・フォン・クライスト没後二百周年でした。
逢坂 このシリーズでドイツ文学について書くのは初めてです。岡坂くんはドイツ文学にも詳しかった(笑)。クライスト没後二百周年だったことは、書きだした後に気がつきました。着地点を念頭において書くこともありますが、多くはいきあたりばったり。漠然とした靄の中にだんだん道がみえて、それをたどるうちに靄が晴れ、着地点に達する書き方です。思いつくままに話を展開させ、どういう結末になるか分からない状態で書いていくと、作者でさえ分からないんだから、読者も先が読めないでしょう(笑)。そのように書いていると、テーマの方から近づいてくる。ドイツ浪漫派の作家については、四十年ほど前から資料を集めていて、今回はその一端を使いました。〈青春の一時期、わたしは十八世紀、十九世紀のドイツ文学にはまったことがあり、いろいろな作家や詩人、評論家の本を買いあさったものだった〉という岡坂のエピソードは、私のことです(笑)。今回は、フラメンコ、ドイツ浪漫派、卵子提供という、そもそもなんの関連もない三つのテーマが話の軸になりました。
── ドイツ浪漫派に対する関心はどのようなところから。
逢坂 ゲーテとそう変わらない時代の人々で、ゲーテやシラーなどの理性的な古典主義と違い、浪漫派は型にはまらず、個性的、非合理的で、想像の赴くままに書く。私はどちらかというとマイナーな作品を好んで読み漁る傾向があって、浪漫派のホフマンやクライスト、ヴァッケンローダーなどを乱読しました。ほかの作家と交流がなかったクライストについては、写実主義の走りととらえる人もいる。そういえばクライストの『ミハエル・コールハースの運命』などを読むと、心理描写がほとんどなく、ハードボイルドな小説だと思います。理不尽な扱いを受けた馬喰が復讐に走る長篇で、畳み込むような、ハメット的な筆致だなと思った覚えがあります。クライストが人妻と心中した事件も謎が多く、面白がってドイツ浪漫派を調べるうち、書きたくなって少し書いてしまった(笑)
── 第二次大戦中に収容所で処刑されたボンヘッファーの名前が出てきたのには驚きました。ドイツ浪漫派と関連があったのかと。
逢坂 書きながら改めて資料を読んでいると、いろんな発見があって、反ナチス一族のエピソードも連載を始めた後で知り、それで話が広がりました。新しい事実を知り、対象に近づくのは、小説を書く醍醐味のひとつです。誰も書いたことがないテーマやキャラクターを創出するのが作家の楽しみで、新しいものを生み出す意欲を持ってないとマンネリに陥る。常にサスペンスを残して、最後のページまで面白く読んでもらいたい。こういうキャラクターで書くと決めたら、小説は七〇%くらいはできたようなもので、キャラクターが自然に動き出し、書くうちに枝葉が分かれてくる。この人物ならばこういう行動を取るだろうと、納得のいく心理と行動をとらせるのが、読者に不自然な感じを抱かせないポイントだと思います。
── 後半、真理を求めるあくなき〈探究心〉≠ニいうレシングの言葉が出てきます。唐突にみえて、物語のテーマと人間模様にリンクしていて、面白いなと思いました。
逢坂 若い頃、いろんな作家の本を読み漁りながら、印象的な言葉を書き留めたメモがずっと残っている。そういえば……と、警句を書き留めたものを引っ張り出しては、古証文のように使うことがありますよ。
── 古書好きでもいらっしゃいますが、本の世界の魅力とは。
逢坂 本を読むと、著者と出会うことができる。たとえば内田魯庵の随筆を読めば、魯庵と知り合え、その当時の文人たちとも接することができる。流通しなくなった本は古書店でしかみつからないから、畢竟、古書店に行って探すことになる。神保町の古書店街を歩いていると、未だにいろんな本との出会いがありますよ。本は、いちばん安上がりに頭の訓練ができるツールじゃないかな。本を読むには集中力と時間が必要です。読書は習慣ですから、本を探し、選んでは読む能動的な習慣を早いうちからつけないと、まだるっこしいものになってしまう。しかし、受身では頭を使わなくなるばかりです。私の場合、八十年代に発表した『カディスの赤い星』や『百舌の叫ぶ夜』が、いまも文庫で読まれているのは嬉しいことです。三十年前の小説を読んでどのように思うのか、聞いてみたいですね。昭和四十年代に十年代くらいの小説を読んで、戦前はこうだったのかと思うような感じでしょう(笑)。携帯電話がひとつあればストーリーは違ってきますから。
── 今後の執筆予定を教えてください。
逢坂 第二次大戦下の諜報戦を描く〈イベリア・シリーズ〉の最終巻、七巻目を書いていて、年内に刊行し、完結予定です。〈長谷川平蔵シリーズ〉の二期目の連載を、「オール讀物」で始めました。『鬼平犯科帳』という偉大な先行作品で知られる長谷川平蔵を、「鬼平」の影響から離れて私の小説としていかに描くか、四苦八苦しながら取り組んでいます。それから、ドイツ浪漫派の作家のひとり、ホフマンをテーマにした小説を、来年あたりから書き始めようかと考えています。
(六月十一日、東京都千代田区・逢坂剛氏のオフィスにて収録)