『昭和の犬 Perspective kid』の姫野カオルコさん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2014年4月号」より抜粋
姫野カオルコ(ひめの・かおるこ)
1958年滋賀県生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒業。「姫野嘉兵衛」と表記することもある。大学在学中より雑誌ライターとして活動を開始し、現在の筆名を使用し始める。1990年『ひと呼んでミツコ』でデビュー。97年『受難』、03年『ツ、イ、ラ、ク』、06年『ハルカ・エイティ』、10年『リアル・シンデレラ』がそれぞれ直木賞候補となる。他著に『すっぴんは事件か?』『結婚は人生の墓場か?』『ブスのくせに!最終決定版』などがある。この度、『昭和の犬 Perspective kid』で第150回直木賞を受賞。
── 第百五十回直木賞受賞おめでとうございます。受賞のご感想をお聞かせください。
姫野 ありがとうございます。今取材を受けている時点での気持ちは、ゆっくりちゃんとしたご飯が食べたい、です(笑)。というのも、受賞すると翌日からものすごくたくさん書くことがあるんです。それも一枚二枚ではなく、三十枚や五十枚という依頼を二日くらいで書かなくてはいけない。そういう仕事がドドドッと来て、しかもその間に取材が入るので、結局食事の時間と睡眠時間を削るしかないんですね。一生に一回しか取れない賞なのに、全然喜びを味わう時間がありません。自分が出ていたニュース番組も見ていないんです(笑)。
── 受賞作『昭和の犬』はどんな動機で書かれたのですか。
姫野 編集者も私も犬が好きで、お互いにどんな犬を飼っていたか、という話をしていたら、歴代の犬を思い出しました。それで自然と昭和三十三年に生まれた子供が四十九歳になるまでを振り返ることになりました。「Papyrus」に連載していた時は犬の話だったり、昭和史の話だったりしてまとまりがつかなかったので単行本にする際に書き直しました。今回に限らず、私は一度連載を終えた小説は最初から書き直すんですよ。二台あるパソコンの内、ワープロとして使っているパソコンで更の状態から書くんです。一人になってじっと考えてから書いて単行本になりました。このお話は虚実ない交ぜの、事実が六十三%くらいの自伝的要素の強い小説です。
── サブタイトルに小さく「Perspective kid」とあります。
姫野 そのまま「パースペクティブな子供」です(笑)。本当の子供って自分でも自分のことを判っていなくて、語彙もなく、教養もなく、知識もないものだから、その通りに書いたら大人が読んでも訳が判らなくなると思うんです。だけど、子供には子供の言い分がある。けれども説明力がないから、ただごねているようになってしまう。その隙間というのは、子供の側から書いたら大人には判らないし、大人の側から書いたら大人にとって都合の良いだけの気持ち悪い子供になると思うんです。そこをどうするか。あくまでも大人がこうではないかと推測・補足することで、子供がごねている理由を伝えるための「パースペクティブ」なんです。子供の視点と大人の視点、二つあるということを判らせるために遠近法を使いました。冒頭の《そのころは今から見ると遠くにあり、小さい。だが、そのころまで近づくと大きい。》というくだりで時間の概念を視覚化しました。
── 『昭和の犬』には戦後史の側面もありますね。
姫野 アメリカのテレビドラマが各章のタイトルになっています。これは別に好きだったドラマではなく、その番組が放映されていた年代を小説で扱っているからで、長い期間に亘って放映されていた『奥さまは魔女』とかが入っていないのはそのためです。ある時期まで日本人にとってアメリカのテレビドラマで描かれる「戦勝国」の様子、特に冷蔵庫の大きさと牛乳瓶の大きさは驚きでした。小学校の給食はアルマイトの茶碗で臭い脱脂粉乳でした。牛乳が瓶に入っていることだけで憧れだったんです。その驚きから段々ドラマのお話自体を楽しんでいけるように日本人も変化していった流れがわかるようになっています。もう一つは、戦後を生きた戦争体験者の問題があります。戦争体験をした人の本はたくさんあります。小説でも『人間の条件』や『俘虜記』があり、体験者に取材をした本や戦争中の体験記はたくさんあります。私は戦争を体験した世代でも、戦後の闇市の時代を体験した世代でもありません。だから戦争はこうであったとドキュメントとして書くのは、本当に体験された人に失礼だと思うんです。出来るのは、体験はしていないけれども日常生活の中で、体験した人が抱えている地雷≠ノ遭遇したことを書く。それは体験していないだけに、もの凄く恐ろしいものとか戸惑うものとして日常生活にあったわけです。その地雷≠ェ爆発した時はどうだったかを、この作品では綴ろうと思いました。
── 戦後十年、収容所にいた引き揚げ者の父「柏木鼎」の癇癪「法則のない赫怒」を「父は割れた」という表現をしています。
姫野 「割れた」という表現については考えに考えました。実際にあった通りに描出すると、関西弁なので関東の人ってお笑い番組が浸透しているせいか愉快なことだと読み取るんですよ。このすれ違いは今までに何度も経験があるんです。怒りの唐突さ、罵声への対処の不可能さを伝えるため、この言葉を生み出すまでに一か月位かかりました。小説に書いた通り、父はよく夜中にうなされている人でした。明るい人ではなかったですね。実はこの本を書き上げた後に、今は保管庫になっている実家の整理に帰ったんですが、母の日記が出てきたんです。親とはいえ日記は読むべきではないのですが「これは何?」と広げると、父に対する憤りの言葉が書いてあって、その筆圧が本当に怒っているんです。
── 母親も時々「ハート型のコルクをすぽんと抜」かれたような感じがある、変わった人です。
姫野 母の日記には「あぁ、自分の子供なのにどうして愛せないのだろう」と私のことも書いてありました。もう少し若かったらショックだったかも知れませんが、今読むと「あぁ、良かった」とホッとしたんです。私は「どうも父と母がうまくいってない、この家もうまくいってない」と思っていて、それは私の嫌な性格による思い過ごしではないか、と考えていた所があったんです。思春期の頃に親戚や先生など周りの大人に打ち明けると「あなた、親をそんな風に言うもんじゃない」とたしなめられた。小学生から十五歳十六歳の頃にそう言われ「やっぱり私が悪いのかな」と自罰的に思っていたのですが、母の日記を読んで、思い過ごしではなかったことが判ってホッとしました。親になったからって急にパーフェクトな人間になる訳じゃない。完璧さや常識に囚われて苦しむ所が母に限らず皆あると思います。元々抱えていた悩みが父にも母にもあったでしょうから、相性というか、二人はよくない組み合わせだったんでしょうね。
── 一人娘・柏木イクはどのような人物に設定しましたか。
姫野 すごく変わったお父さんとお母さんで、唯一子供だけが普通の人です。イクという人は飄々としていて、「かわらかなる」人なんです。「かわらかなる」というのは古語で、「さっぱりしている」とか「さわやかな」という意味です。私は飄々とした人に憧れがあるんですね。でもまだまだで、心の中に脂っこいものが付いている。鴨長明のような暮らしをしたいと思っているけれど現代社会では無理なので、通信網を出来るだけシャットアウトすることで鴨長明の四畳半の庵に似せたいと思っています。でも、その鴨長明ですら、茶碗を持たずに湧水を手ですくって飲む人を例に出して「まだまだ自分は駄目だ」と言うんです。彼は神官の家系でしたが、キリスト教でも砂漠の方にある修道院の人って物を所有しないんですね。聖フランチェスコも着の身着のままで暮らしをしていた。それが私には身軽な感じがして「いいなあ」と思うんです。だからイクは私より、もうちょっと鴨長明の暮らしに近づけている理想の人なんです。
── 姫野作品に遍在し、見え隠れする「聖書」はどのように考えていますか。
姫野 私などインチキなクリスチャンです。敬虔に毎日曜に教会に行かれる方がいらっしゃるけれど、私は年に一回くらい、クリスマスにしか行きませんし、賛美歌も皆と一緒なら歌えるのにソラで歌えと言われたら歌えなくなってきています。それでも小さい時にしたこと、受けたことは知らず知らずのうちに影響があるんじゃないでしょうか。
── 今後も現代に落とす戦争の影を書き継ぐと発言されていますね。
姫野 やはりそれは書かなきゃいけないことだと思うからです。あのような歴史、第二次世界大戦は本当に悲劇だと思います。戦争はあらゆる発明の元となった、と言う人がいます。本当にそうなのか、と考えることも含めて歴史を覚えておかなければいけないと思います。その方法は、科学者は科学者の立場で、消防士は消防士の立場で、魚屋さんは魚屋さんの立場で、私は私に出来ることでやるのが良いと思いますし、そうしたいです。
── 今後の予定を教えて下さい。
姫野 『昭和の犬』に続く『近所の犬』があります。「Papyrus」の連載に感じが近い犬観察記です。でも連載小説をコピー&ペーストするのではなく、ゼロから書き改めています。新潮社から『昭和の犬』の毒親ぶりを詳らかにした『謎の毒親』が控えています。光文社から文庫としてお蔵出しの短編集が出ます。文藝春秋から前から約束していた小説が出版予定です。ご期待ください。
(二月一日、東京都渋谷区・幻冬舎にて収録)