『四人組がいた。』の村 薫さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2014年11月号」より抜粋
── 『晴子情歌』から始まる三部作や『冷血』など重厚な本格小説を書かれてきた村さんの新刊『四人組がいた。』は、初めて挑んだユーモア小説です。物語は、とある山奥の村の郵便局兼集会所に集う元村長、元助役、郵便局長とキクエ小母さんの四人が遭遇する奇想天外な出来事を綴った短編集です。執筆の動機を教えてください。
村 わたくしは阪神・淡路大震災を契機に書くものがガラッと変わりました。それまでミステリーを書いていたのが、純文学を書くようにもなりました。ここ何年かは『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』の三部作で七面倒臭い世界を書き続けておりましたので、全然違うものを書きたいなと思い、冒険をして凡そわたくしらしくないものを書きたいなという考えが漠としてありました。なんでも新しいことをやってみたい性質なんですね。でも最初はユーモアのつもりはなかったんです。そんなものが自分で書けるとも思わなかったですから。硬くはないものを書きたいという、軽い気持ちでした。小説にはいろいろパターンがありますが、この作品はシチュエーション・コメディなんです。田んぼもあれば畑もある山間の田舎の村が舞台で、四人が登場してくるというシチュエーションですね。あまり詳しい計画は立てずに単発の短編小説を発表しました。続編を書く気もない、思いつきだけの話だったんですが、このシチュエーションだったらもう一、二作書けるかな、と思って続けていきました。
── 主人公の四人、なぜこの構成だったのですか。
村 田舎に居てもおかしくない人たちを考えた時、まず元村長がいて、元助役もいて、郵便局は必ずどこの田舎にもありますから郵便局長がいます。それから近所にいる農家の小母さん。田舎には暇そうな小母さんはいますね(笑)。家のことは嫁さんや若い人に任せて自分はいつでも暇で、どこかでお茶をしているか、田んぼをうろうろしている小母さん。この四種類の人間は必ずいるわけです。わたくしもこの四人組のような、怖いもの知らずの年寄りになれたらいいなと思います。歳をとると本当に怖いもの知らずになるんです。遠慮もしなくなるし、面の皮が分厚くなる。わたくしはまだそこまで弾けてないですけれど。
── 一作一作は通常の短編小説より短い分量ではないですか。
村 三十枚から三十五枚の間の枚数でした。この手のユーモアのある話では割と座りがいい枚数だと思います。これより短いと物足りないし、長いとだれてしまいますから。
── 第四話にあたる「四人組、村史を語る」では真夜中にキャベツが列を作って大行進したり、ライバルのケールと戦ったり、と奔放なイマジネーションが炸裂します。
村 群馬とかの山間の村の畑ってキャベツがたくさん植わっていますよね。何百何千とキャベツが並んでいて壮観です。しかも売っているキャベツは中の丸い玉だけなのに、畑のキャベツは大きな葉が外側に何枚もあって生き物みたいに見えるので、この何百何千とあるキャベツが皆で行進したらすごいだろうなと(笑)、小さい頃から思っていました。それから最近テレビで青汁のコマーシャルが多いですよね。原料のケールも日本で栽培されているはずで、どっちもキャベツだから並んでいたらライバル関係になるなと(笑)。それから効果の程度はわかりませんが、最近は野菜や果物などを、温室で音楽を聴かせて栽培する方法がありますね。わたくしは、どうも植物は意思を持っていて、人がかける手間を理解しているような気がしていますし、小さい頃から感覚で「キャベツはすごい」と思っています。ところがトンカツの付け合せ、もしくはお好み焼きくらいにしかならない。これではキャベツは怒るだろう、そこから発想した短編です。この作品を書いて、割と「もう、いいか」という感じになりました。何を入れてもいい、動物が口をきいてもいい、と思いました。
── 続く「四人組、跳ねる」では、山奥に若返りの泉があることを知った老女優が訪ねてきます。
村 日本では「山」は死者の魂が帰っていく所であり、昔から山を特別な場所と見做すのは日本人の心情の中にありますよね。だから山に深く入っていけばそういう泉があっても不思議ではないな、と。また、ヤマメという魚は川を下り海で成長するとサクラマスになりますが、泉に留まれば主になる。なかなか獲れないこともあって、ヤマメは特別な力がありそうな、神秘的な魚だと思います。
── 過去のエッセイで自らの作品に現われる「水への思い」を語っています。
村 山の暮らしと水というのは切っても切れない関係です。山には必ず湧水や渓流がありますし、その水を引いて人は暮らしていますからね。また池や泉があるところもありますし。本当に山の水は神秘的だと思います。名水といわれている水は山のものだし、平地の水とは違いますね。
── 騒動が起きても、この村はどこか長閑なムードがあります。動物たちが話をするし、あたかも楽園のようです。
村 わたくしには親が作った別荘がありまして、そこは動物たちがたくさん来るんですよ。狸に狐、猪、雉、鹿、猿、そして蛇が、いつでもそこらじゅうにいます。ですから田舎の暮らしに野生の動物がいるというのは普通の光景なんですよ。畑に狸がちょんと座っていたりするし、窓の外を見たら狐と目が合ったりします。もちろん動物は口をききませんけど、別に口をきいてもいいような気がします。この村は、わたくしにとっては日常の田舎という経験の延長にあります。
── 話を追うごとに不可思議な奇想の世界に入っていきますね。
村 『四人組がいた。』は苦しんで書いたことは一度もないです。「新潮」連載の「土の記」は純文学で苦しんでいますので、こちらは毎回楽しんで書きました。連載当時、本に纏めるとは考えてもいなかったので、一作一作行き当たりばったりで書いています。ありえない世界ですよね。この村は、この世じゃない。地続きだけど、ちょっと違う。人が死なない村だけれども彼岸でもない、常世の国ですよね。
── どうやら四人はこの世の人間ではないようです。
村 いや、この世の人間なんですよ。ただ歳をとらないだけです。ここの村が今のわたくしたちの三次元から〇・五次元ずれているだけで、ここにいる人は皆普通の人だと思います。
── 今作に登場する「マツ吉」や「ヘリウム市長」「指名手配犯」、「テレビ番組スタッフ」「閻魔」など、いずれもパリッとしていない人物ですね。
村 まあ一流じゃないですよね、二流三流です。この村に一流が紛れ込んできてはおかしい訳で、三流どころか三・五流くらいが丁度いいわけです。四人組と絡み合うのに、一流では絶妙の関係にならないですよ。四人組の方がほんの少しでも手玉にとる方でないといけないので、相手は四人組以下でないといけない。自殺志願者が村に来ても、四人組は「死ぬなら死んだらいい」という感じで少しも慌てないですよね。生きるとか、死ぬという感覚が日常というか、ダイレクトに生と死が剥き出しになっているのが田舎だと思います。
── さて『作家的時評集』など世相や政治に関する発言も村さんの仕事の一つだと思えます。今の日本は村さんにどのように見えますか。
村 わたくしも含めた国民が頑張ってどうにかなる、というような甘い希望をもう持たない。国が成熟期を過ぎて老いていくのを止められない。そういう段階だと思います。インフラ一つとっても、水道管、ガス管、道路、どうやって保障していくのか。あちこちで道路が陥没したり、橋が落ちたりした時、きちんと修繕するお金があるのか。そういう厳しい時代が来ると思います。歴史の大きなスパンの中で、国家というのは永遠に発展し続けることはできず、必ず斜陽がきます。わたくしたちは今、その曲がり角を見ているんです。安倍政権誕生以降の日本の変わり様の凄まじさに唖然としています。世界の中の日本を含めて、日本の状況が恐ろしく変化している中で『四人組がいた。』のような、ちょっとぶっ飛んだ話を書けるというのは、物書きとしては仕合せですよね。
── 村さんはワープロがなければ小説を書かなかったと発言されています。技術的な動機で出発したにも関わらず、今では本格小説というべき巨大な作品を書き継がれています。村さんにとって小説を書くとはどんなことでしょうか。
村 わたくしにとっての一番理想的な欲望の形です。人にはそれぞれ欲望があり満たし方があると思うんですけど、わたくしの欲望は言葉を紡ぐことです。自分で紡いだ言葉が、ある一定の美しさ、美しくてカチッとした空間を作っていること、という欲望があります。わたくしが「こういう空間が欲しい」と思っている小説空間、言葉で紡ぐ言語空間を作りたい。わたくしの中の言語感覚を満たすような言葉を紡ぎたいんですよね。その欲望はエンタテイメントのこんなストーリーとか、こんなどんでん返しとか、こんなトリックとか、そういうものではないわけです。
── 今後の予定を教えて下さい。
村 現在「新潮」に連載している「土の記」を仕上げることです。次に本になるとしたら「土の記」だと思います。『四人組がいた。』とは一八〇度違う話ですけれど、「土の記」も主人公は年寄りで田舎の山の話です。ご期待ください。
(八月三十日、横浜市西区・朝日カルチャーセンター横浜教室にて収録)
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