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『九年前の祈り』の小野正嗣さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)

「新刊ニュース 2015年4月号」より抜粋

小野正嗣 (おの・まさつぐ)
1970年大分県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得満期退学、文学博士。立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授。2001年『水に埋もれる墓』で第12回朝日新人文学賞、02年『にぎやかな湾に背負われた船』で第15回三島由紀夫賞を受賞。03年「水死人の帰還」で第128回芥川龍之介賞候補、08年「マイクロバス」で第139回芥川龍之介賞候補、13年「獅子渡り鼻」で第148回芥川龍之介賞候補となる。また2013年には早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。他著に『森のはずれで』『線路と川と母のまじわるところ』などがある。この度「九年前の祈り」で第152回芥川賞を受賞。
  • 第152回 芥川賞受賞作
  • 『九年前の祈り』
  • 小野正嗣著
  • 講談社
  • 『獅子渡り鼻』
  • 小野正嗣著
  • 講談社
  • 『ヒューマニティーズ文学』
  • 小野正嗣著
  • 岩波書店
  • 『夜よりも大きい』
  • 小野正嗣著
  • リトル・モア
  • 『浦からマグノリアの庭へ』
  • 小野正嗣著
  • 白水社
  • 『マイクロバス』
  • 小野正嗣著
  • 新潮社
  • 『森のはずれで』
  • 小野正嗣著
  • 文藝春秋

── 第一五二回芥川賞受賞おめでとうございます。受賞された今のお気持ちを教えてください。

小野 ありがとうございます。選んでいただいてとても嬉しいです。四回目の候補で受賞できたので感謝の気持ち、それしか言えないですね。生活に関しても、こうして取材を受ける機会が増えたくらいで、取り立ててガラッと変わったことはないと思います(笑)。

── 受賞作「九年前の祈り」は三十五歳になる「さなえ」が息子「希敏」を連れて郷里である海辺の町に戻ってきます。そこで九年前のカナダ旅行に同行した「みっちゃん姉」の息子がふた月近く入院していると聞き、見舞いに向かう──という物語です。執筆の動機を教えて下さい。

小野 具体的な動機としては、私の母が大分県佐伯市に住んでいるのですが、その母が十五〜六年前、佐伯市に合併される前の蒲江町に来ていたカナダ人が企画したカナダ旅行に町の人たち男女数人で参加したそうで、それが珍道中で非常に楽しかったと聞かされていました。僕はずっと大分県の南部、海辺の集落を舞台とする小説を書いてきましたから、そういう田舎のおばちゃんたちが海外を旅行する作品を書きたいと元々思っていました。それから、前作『獅子渡り鼻』にあったように、虐げられた子どもとその母親について書きたいとずっと思っていたので、この二つのテーマが動機です。ある時、田舎のおばちゃんが外国の教会、自分たちの地域には存在しないキリスト教の教会の中で祈っているイメージが浮かびまして、これはおそらく、私の兄が病気になったことも影響していると思います。それから国際結婚に敗れて田舎に帰ってくる、やや問題のある子どもを抱えたシングルマザーのイメージが見えました。この二つのイメージを書いている内に、話がうまく繋がって作品ができていきました。だから複数の時間と場所が話の中で重なり合っていく構成になっていますが、これは意図的に書いているわけではありません。むしろ書いている内に風景が見えてくる、言葉が次の言葉を呼んでくる、という感じです。僕の場合は、そうやって言葉を追いかけている感じの書き方のほうが、話が上手く進んで、落ち着くべき所に落ち着くと思います。

── 息子の希敏は何かのスイッチが入ると身体を激しく痙攣させて大声で泣き叫びます。その様子を《引きちぎられてのたうち回るミミズ》と表現します。何度も出てくるミミズ≠ニいう言葉は何に由来するのですか。

小野 これは実体験に基づいています。自分の子どもが小さい時に駄々をこねて暴れたりするのを抱いていると、ハマチのような大きな魚が撥ねているかミミズが捩れているように感じたことが多々ありました。そこから手が付けられない子どもの様子ということでミミズ≠ニ出てきて、この小説の希敏はその状態が酷い子どもなので引きちぎられたミミズ≠ニいう言葉を自然な感じで書きました。

── 希敏の症状は《医師の診断》が出ていますが、具体的には書かれていません。

小野 いくら想像上の人物だとはいえ、口にしたくないことがあるはずです。一つの存在として、一人一人の人間として、持っているであろう気持ちを尊重すべきだと思います。さなえは子どものことで結構苦しんでいて、レッテルが貼られることに対して抵抗を覚えている。彼女自身が言葉にしたくないことは、いくら書き手とはいえ、そこに踏み込んで書くことは出来ないのではないかと思います。

── 希敏と東京で二人で暮らしていた時、さなえは希敏を《公園やデパートに何度も置き忘れた》と書いています。どんな心境だったのでしょうか。

小野 やはり置き去りにしたいわけです。離れたい、一人になりたい、ということがあるわけです。どこかで子どもを厄介だと思い、そこから自由になりたいという所が彼女にもある、そのように読めますよね。

── 厄除けの効能があるとされる貝殻を拾うために訪れた文島で、さなえはいるはずのない「みっちゃん姉」を見つけます。さなえの幻想の中で、みっちゃん姉が貝殻を拾い、祈りに来たということですか。

小野 作品は読者に委ねられているから僕からは言えないです。小説≠書いたのは僕かも知れないけれども、作品≠ニいうものは読者が作るものだと思っています。読み手が経験や想像力を駆使して色々なことに繋がりを見出していく、そういうことを沢山出来る小説が多義性に開かれているいい作品だと思います。この小説がそのように読んでもらえているのであれば作品として幸せですし、僕もとてもうれしいです。書き手が自覚的にやっていないことでも、象徴的なものを書きこんでいる場合があるし、見えない網の目が張り巡らされていることもある。今回は比喩や意味の連環がうまく機能し、推測できる作品になったと思います。

── 本書のエピグラフに「兄、史敬に」と書かれていますね。

小野 収められている作品を書いている時、兄は脳腫瘍で入院したり自宅で療養していたり、ずっと闘病していた時でした。今回の執筆は、圧しかかってくる暗い気持ちを祓うために書くということもあるんだなと思いました。言葉を紡ぐことによって、自分にとりついてくるものを押し退けている、そんな感覚はありました。兄には可愛がって貰いましたから、なおさら死の影というのはずっとあって、それは作品に反映されていると思います。本が出た後、兄の仏壇にあげてくれと母に本を渡し、母はすぐにあげてくれました。「けれどまだ読めない」と言っていました。

── 本書には「九年前の祈り」のほかに短編小説「ウミガメの夜」「お見舞い」「悪の花」が収められており、どの作品も関連があって「タイコー」という人物が不在であることが浮かび上がってきます。

小野 実は最初に書いたのは「悪の花」です。兄が手術をして療養している時期だったので一番影響が強い作品だと思います。ここでは大切な人がいなくなった欠如を中心にして、その周りの人を書きたかった。何かを描こうという感じではなくて、タイコーを待って途方に暮れているおばあさんのイメージがありました。そこには喪失感が描かれていると思います。「悪の花」を書いたけれども書ききれてないものがあり、違う世界も見えてきたので、違う角度からの欠如を書こうと「ウミガメの夜」「お見舞い」「九年前の祈り」を書きました。どの作品も欠如、そこにいない人を想う、それが通底しています。小説だから想像力で色々な変化を与えていますが、タイコーはある種、聖性を持った存在です。

── 『獅子渡り鼻』の和香子やみっちゃん姉、さなえやさなえの母に託す「母性」は小野さんにとってどのようなものでしょうか。

小野 確かに僕は母性をテーマにした作品を書いていると思います。博士論文はカリブ海の女性作家の母性がテーマの一つでした。黒人の女性作家マリーズ・コンデの小説には産んだ子どもを愛せない母親や、母を愛せない娘が出てきます。その主題に興味を抱いてしまった。彼女の作品を緻密に分析することによって不可能な母性を考えました。自分が小説を書くときにも何故か出てきてしまうのですが、どうして自分がそういうものに惹きつけられるのかは判らないですね。書いたら判るのではないか、と言葉にして形を与えてみても、書けば書くほど判らない。どの作家でも必ず出てくる主題ってありますよね。研究者として僕もそういうところを突っ込むわけです。この作家は必ずこの主題が出てくるとか、この細部が繰り返されているとか。僕の小説には恋愛が殆んど出てこない一方で「年寄り」と「子ども」が出てきます。それから反復されるモチーフとしては「眠る」と「移動する」。「移動する」は大体、車に乗っているか船に乗っていますね。

── 小野さんには八年近いフランス留学経験があります。この経験は小説家デビューにどのような影響を与えていますか。

小野 留学する前にも田舎の集落についての話を書いていましたが、文体から内容まで全然違うものでした。留学してクロード・ムシャール氏とエレーヌ夫人という素晴らしい夫婦に出会い、二人の自宅に殆んどただ同然で居候させて貰っていたのですが、彼らは何十年も苦しい状況にある移民や難民の人たちを受け入れる活動を行っていて、それを見てきたことに大きな影響を受けています。クロード氏は研究者でもあり詩人でもあるので、彼と古今の文学作品を議論する機会を得て、自分の故郷をより複眼的に振り返られるようになりました。やはりある場所を書くためには一度そこから離れた方がいいと思います。

── 立教大学准教授という仕事は創作にどんな関係がありますか。

小野 学生に教えるということは、作品がどのように出来ているのか、細部を読み解く訓練をするということです。教えるためにはこちらも真剣に読み込み、準備しなくてはいけないですし、書かれたテクストに対して注意深い態度をとることによって更に学ぶことができるわけです。結局テクストを読む、というのは細部を読むことです。そういう読み方をしろと学生たちに言いますし、僕自身も研究者ですから細部を照応させてテクストが持っている可能性を解くことをしています。

── 今後の予定を教えて下さい。

小野 岩波書店の「創業百年記念文芸」に名前が入っていて、それを書きます。それから海外文学を研究して読んできたので長編小説を書きたいです。読み応えのある人物を描き、細部を描き、物語が構築されている。そういう作品を書きたいと思っています。ご期待ください。

(一月二十三日、東京都文京区・講談社にて収録)

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