木内昇(きうち・のぼり) 1967年東京都生まれ。中央大学文学部哲学科卒業。出版社勤務を経て独立。インタビュー誌『Spotting』を主宰し、単行本、雑誌などでの執筆や書籍の編集を手懸ける。2009年第2回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。著書に『新選組 幕末の青嵐』『地虫鳴く 新選組裏表録』『茗荷谷の猫』『浮世女房洒落日記』などがある。2011年『漂砂のうたう』で第144回直木賞を受賞する。
── 第百四十四回直木賞受賞おめでとうございます。 木内 ありがとうございます。受賞は考えていなくて、発表当日も緊張もせず気楽に待っていました。連絡を頂いた瞬間もやはり意外だと感じたんです。候補になった時点で、高校時代の友人が連絡をくれたり、受賞を祝ってくれました。これほど多くの人たちが関心を持つ賞はなかなかないように思うので、大きな賞を貰ったんだな、とだんだん実感がわいてきています。今後小説を書く構えが変わることはないのですが、長く続けられるように一作一作取り組んでいきたいと思います。 ── 受賞作『漂砂のうたう』は明治十年、根津遊廓で立番として働く定九郎が主人公の長編小説です。発想のきっかけは何でしたか。 木内 今の世相と同じように、閉塞感を感じさせる物語を書いてみたかったんです。それから遊廓を描く場合、妓夫太郎という男性の職業が登場しますが、これまで取り上げられることが少ない仕事でした。花魁は廓の中では立てられる存在ですが、外に出ればどこか蔑まれる。その花魁を支えた男たちは、どんな気分やモチベーションで仕事をしていたのかと考えたことがきっかけでした。自分に合う仕事は何だろう、生きがいとは、って皆さん就職時に考えるでしょうけど、昔は選択肢が少なかった。やりたいことではなくても、与えられた仕事を通して見えてくる世界があると思うんです。 ── 形態や呼び名が変わって歓楽街はあちらこちらにありますが、根津遊廓は存在そのものが消えました。この場所を選んだことで世界が決まったようです。 木内 根津遊廓は明治二十一年に洲崎に移ります。今では根津に遊廓があったことを知る人は少ないでしょう。同じ遊廓でも吉原に関しては資料が残っているんですが、根津はほとんどないんです。現実と虚構の間を表現できる、不思議な感じのする場所を舞台に選んだのはよかったなと考えています。明治から昭和の初期という時代は今よりもっと薄暗かった。暗闇には不可解な存在、狐狸妖怪が棲んでいたような気がして、そんな想像力の中でいろいろ創作できたと思います。 ── 定九郎の出自も明治で消えた武士という階級でした。今は女のところに泊まったり賭場で横になったり住むところのない浮き草ですね。 木内 自分が定まってしまうことへの恐怖を男の方は持っているんじゃないか、と思ったことが定九郎というキャラクターを作った一つの理由です。彼は自分が定まるのが怖いからいろんなところを渡り歩きふらふらしている。彼が抱える無常観は長く続く雨や辺りにこもる湿気などで表現しました。定九郎は、書いているときは冷たく突き放して書いていました。現状に不満を抱えていても思い切ったことってなかなか出来ない。何かやりたいんだけれども、反動で全部違う方向に行ってしまうところも定九郎の人物として書きたかったことです。どうしていいか判らない人として定九郎を描き、その上でどこまで物語が転がるだろうか、ということが今回のチャレンジでした。 ── 龍造という遊廓でしか生きられない人物はどう造形したのですか。 木内 定九郎は明治維新の後に家を飛び出し、たどり着いた遊廓でおざなりに仕事をする人物です。反対に龍造はプロフェッショナル。龍造だって好き好んでこの仕事に就いている訳ではないんですが、仕事への突っ込み方、対峙の仕方で人間的に大きな差が出てしまう点も書きたかったところです。立番より格上とはいえ、妓夫太郎の仕事も単純に言えば客を見て揚げ代を交渉して下駄を仕舞うだけです。しかし、彼はそこにいろんな付加価値をつけている。やくざ者を入れないように見分けたり客の懐具合を見極めたり。どんな仕事でも自分なりに面白く変えられる人を、私は尊敬しています。妓夫太郎は落ちぶれた人がやる仕事だったんですけど、そこに矜持を持ってこられる龍造は強い。こういう人がいる廓の凄さも書きたかった。 ── 噺家の弟子、ポン太はトリックスターとして場面をかき回します。 木内 ポン太は三遊亭圓朝の実在した弟子なんです。圓朝より歳上で、しかもほとんど落語は出来なかった駄目弟子だったようです。話に書いた蚊帳の衣や墨染の法衣を作ったことも資料に残っています。圓朝を題材に小説を書こうとして速記本など資料を読んでいてポン太を知り、そんな人が本当にいたのかな、と凄く気になってしまったんです。当時はよく判らない感じの人が生きていられた時代でもあったのではないか。それで、実際にいた人をいかにもいないように書こうと挑戦しました。定九郎は虚構の人物ですがポン太は実在、二人が絡むことで逆転して見えるような書き方を狙いました。不可解な存在が一人入ることで遊廓という幻のような世界が広がる面白さがあると思います。 ── 小野菊という花魁はどのように造形しましたか。 木内 苦界に沈められるのに小野菊は不幸だということに囚われていない。身を売られた瞬間に、不幸だということから解き放たれています。そして今の仕事は長く続けられるものでもないと判っている、現実的な女性です。小野菊の間夫の正体はあえて曖昧に書きましたが、男性の読者と女性の読者で異なる人物を考えるようです。 ── 『漂砂のうたう』という題名に込めた思いは。 木内 漂砂≠ニは、潮流で砂がうごめく運動のことを言います。水底では水面からは見えないけれど何万粒もの砂が動いている。時には崖下も擦って侵食し、崖を崩してしまうこともあるそうです。連載をしていたときは漂砂≠フ意味をポン太が語るシーンがあったのですが、単行本にするときに削除しました。苦悩のなかで生きて、もがきながらも、何かしら歴史に跡を刻む人たちって山ほどいる筈です。名前は残らないだろうし後世に語り継がれる訳でもないけれど。自分は何も成しえていないんじゃないかと思う人に、そうではないということを思いながら書いていたところがあります。 ── 人物の紹介場面が鮮烈です。定九郎の登場シーンは綿虫を吸い込んで口がざらつき、彼の居心地の悪さを象徴しています。 木内 小説だから人物の内面は地の文で書けるんですが、なるべく仕草とか言葉遣い、動きの癖でその人を表したいと心がけています。歴史ものだとそれが比較的容易だと思います。身なりや履物は職業で違うし、所作など体に現れるものでその人がいた環境や身に培われたものが判ると思います。例えば龍造は、裾から紫の襦袢が覗くんですが、当時はそれがすごく粋だったんです。着物を日常的に身に着けているわけではない読者には伝わりづらいかもしれませんが、説明しすぎないギリギリのところで人物を表したいと考えています。そのことで読者が登場人物と一緒にいるような気分になってほしいです。 ── 『漂砂のうたう』は本誌1月号「哲ちゃんの太鼓本大賞2010」で新人賞を受賞しました。木内さんは受賞の言葉で《信頼する編集者と四つに組んだ》と述べています。 木内 私は新人賞に応募した訳ではなく、依頼があって小説を書き始めたんです。それまでは小説を書こうという気もありませんでした。ですから、小説を書くことは、自分の中から湧き出てくるものを書くというよりは、自分と編集者との間にあるものを書いて渡す感覚があるんです。両者が納得しなければ形にはなりにくい。これは私が編集者だったことが大きいと思います。『漂砂のうたう』は担当編集者ももちろん熱心に取り組んでくれましたし、連載中に他社の編集者が感想をくれたこともありがたかった。編集者が頑張った作品や愛が溢れた作品は、本屋さんに並んでいてもパッと目立つものです。 ── 今後の予定を教えてください。 木内 『別冊文藝春秋』で連載している「笑い三年、泣き三月。」が今年上梓されます。戦後すぐのストリップ小屋を舞台にした面白おかしい物語です。『オール讀物』で発表している短編シリーズは明治初年の物語。中央と地方を対比させた様々な「男」が登場します。幕末や明治、戦後など、急に価値観が変わる時代は書きやすいし好きなので、今後もそのような小説を書いていきたいと思います。