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「新刊ニュース 2012年2月号」より抜粋
篠田節子(しのだ・せつこ) 1955年東京生まれ。東京学芸大学卒業。八王子市役所勤務を経て、90年『絹の変容』で第3回小説すばる新人賞を受賞し作家デビュー。97年『ゴサインタン 神の座』で第10回山本周五郎賞、同年『女たちのジハード』で第117回直木賞、2009年『仮想儀礼』で第22回柴田錬三郎賞、2011年『スターバト・マーテル』で第61回芸術選奨・文部科学大臣賞を受賞。 |
── 『銀婚式』は、証券マンとして順調な人生を歩んでいた高澤修平が、バブル崩壊後の破綻で転職を余儀なくされ、流転していく姿を描いた物語です。この小説を書くことになった経緯を教えてください。
篠田
バブル崩壊後から十数年の話を、一度書いてみたいと思っていました。たびたび不況に陥りながらも、日本はずっと右肩上がりで成長してきた。それがバブル崩壊後いろいろな問題が吹き出し、国際的な評価も下がり、日本人のメンタリティまで変わりつつある。一連の変化の中で生きてきた人間として、腰を据えて同時代の物語を書き残しておきたかった。高度成長の中で生まれ育ち夢を叶え、その後多くを失った男性の視点と生き方を通して、この先にどんな希望が残るのかといった事を。
── 東栄証券に入社した高澤修平は、妻の由貴子と一人息子で六歳の翔を連れて三十六歳で渡米した。だが、由貴子は現地の生活になじめず、二人は離婚することになる……。破綻した家族のその後もつぶさに描かれて、この小説は家族小説でもあります。 篠田 私的なエピソードを通して家族の問題やバブル崩壊後の日本を描きだしたいと考えました。これまでも家族小説を手がけていますが、家庭内の事情を書き連ね、家族の愛憎を語るのではなく、より大きなテーマから家族を照射して、陰影のある話ができたらと思います。今回は、離婚をして独り暮らしになった男性に視点を据えました。 ── バブル崩壊後の景気低迷で四十を過ぎて失職した高澤は、中堅損保会社に再就職したが、そこも解雇されてしまう。次いで、仙台の新設大学の講師になる……。流転していく高澤ですが、行く先々でまずは仕事に取り組む、まじめな人物ですね。 篠田 この年代の堅物が身近に多くて、私自身、親近感を抱いています。 ![]() ── 高澤の海外勤務時代の友人で、日系銀行に勤める田村も誠実な人物です。離婚で傷ついた高澤を励ました彼は、二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ事件の犠牲になってしまう。「9・11」については、『仮想儀礼』などでも書かれていますね。 篠田 衝撃的であると同時に私にとって身近な事件でした。トルコ系のムスリムとギリシャ系のキリスト教徒が対立しているキプロスに取材で入る前日のことでしたから。これは他国に起きた不幸な出来事にとどまらない、世界秩序が崩壊し、不穏な時代に突入するだろうと、キプロスの英軍基地の様子を見て肌で感じました。多くの日本人も犠牲になりましたし。 ── 個人がいくら努力していても、大きな流れには呑みこまれてしまう。 篠田 それでも、つらい目に遭いながらどこまでも真っ当で、堕ちることができない人たちがいる。雪と風になぶられながら、落葉せずじっと立っている、針葉樹のような人たち。今回は、真っ当であるがゆえの悲しさを、小説の中で掬い上げていけたらいいなと考えていました。屈折して酒や犯罪に走る人物のほうが小説的で、堕ちていくのが美学とか、ナイーブさのようにとらえられる面がありますね。サラリーマン≠ニいう言葉が、格好悪い≠フ代名詞のように使われたりもしていますが、不本意な仕事に粛々と取り組む、そこにも葛藤があり美学がある。真っ当ゆえのつらさは男だけじゃなくて、似たような状況の女性もいる。ただ、地味で努力家な人物の生き方を小説にするのは難しかったです(笑)。破滅型のアンバランスな人のほうが、小説的には華があるから。 ── 高澤は大学でも仕事を工夫して、周囲に学生が集まり、失意の連続の人生が賑わってきます。授業中の飲食、追試、先生同士の派閥争いと、あらゆる出来事に遭遇していく。 篠田 海外株式の花形部署にいた男が、なんの因果か仙台の山奥に来て、思わぬところで水があう。「居場所をみつける」幸せも、書きたかったところです。業界関連の本を読み、大学や企業の方々に話を聞いたりしてリアルに作りこんでいった話ですが、学生たちの成長に関しては、私の願望、ファンタジーが入っています。駄目なやつらもいるけれど、一人も破滅させたくなかった。ひたすら世界を広げていかなければならない時期が若い頃はあるはずで、風をとらえてそれぞれ羽ばたいてほしかった。 ── ロマンスもあります。高澤は、学部長の秘書、鷹左右恵美と出会い、惹かれる。別れた妻子とのやりとりも復活してくる。由貴子に引き取られた翔の成長を男親として補佐し、プライベートな部分でも前向きです。 篠田 由貴子と恵美はそれぞれ親の介護を抱えていて、子供の問題があれば、老親の問題もある。ほのぼの温かいホームドラマを観ていると、規定の枠組の中での倫理観や情愛を押しつけられているようで、息苦しさを感じます。現実には、絆を断ち切って逃げ出したい気持ちと、しょうがないという諦念や情の間で揺れている。エゴがぶつかりあうのが、家族やコミュニティ。温かいのが当たり前、最後はやっぱり家族だという物言いは、不況下で従業員や国民を養いきれなくなった国や企業が、負担を家族やコミュニティに放り出す際の常套句に使われたりする。その手の家族イデオロギーを担ぐ気はないので、通りいっぺんの愛情物語にはしたくないんです。 ── 恵美との恋の行方も読みどころです。 篠田 ウブな高澤の視点で描いているので、彼女は魅力的でミステリアス、うかがい知れない内面を持っていますが、我々女から見れば、さて……。 ![]() ── 今後の執筆予定を教えてください。 篠田 長編小説「インドクリスタル」の連載を、『小説 野性時代』一月号から始めました。インド辺境にある集落が舞台の、冒険小説ふうの物語です。書きたいテーマが自分のアンテナにどう引っかかってくるのか、自分でもよく分からないですが、興味と好奇心が湧いたり、あと、変なものに感動するところがありますね。例えば、巨大トンネル工事のドキュメンタリーを観て、とても感動しました。親子二代でプロジェクトに携わっている一家人がいて、完成がはるか先だからいつ故郷家に帰れるか分からない、すでに工事現場がひとつの町と化しているエピソードを知り、なんともいえず壮大で詩情豊かな世界を感じました。人間が二世代かけて関わっている対象が人工物であることがとても不思議で、その感動は、短編集『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』の中の「エデン」という短編になりました。そういった、およそ小説と関わりがないようなちょっとしたエピソードに心揺さぶられたり、感傷的な気分になったり。本当にいろいろなことが引っかかってくるので、不得意分野の壁に次々と突き当たります。でも、不得意だからとあきらめて撤退したら、書きたいものが書けないから、改めてゼロから土を耕して、種を蒔くような、そんな作業をずっと続けています。 (十二月六日、東京都千代田区内で収録) ※1/20〜1/26の期間、誤った内容を掲載してしまいました。 |
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