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Interview インタビュー

『道化師の蝶』の円城塔さん

インタビュアー 石川淳志(映画監督)

「新刊ニュース 2012年4月号」より抜粋

円城塔(えんじょう・とう)

1972年北海道札幌市生まれ。東北大学理学部卒業。大学生時代はSF研究会(現東北大学SF・推理小説研究会)に所属。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。各種研究員、会社員生活と並行して、2006年に「Self-Reference ENGINE」で第7回小松左京賞最終候補となり、同作で単行本デビュー。2007年『オブ・ザ・ベースボール』で第104回文學界新人賞受賞、同作品で第137回芥川賞候補となる。2010年『烏有此譚』で第23回三島由紀夫賞候補、第32回野間文芸新人賞受賞。2011年『これはペンです』で第145回芥川賞候補。同年に第3回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。この度、『群像』2011年7月号掲載の「道化師の蝶」で第146回芥川賞受賞。

道化師の蝶

第146回 芥川賞受賞作
『道化師の蝶』

円城塔著 講談社

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これはペンです

『これはペンです』

円城塔著 新潮社

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後藤さんのこと

『後藤さんのこと』

円城塔著 早川書房(ハヤカワ文庫JA)

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烏有此譚

『烏有此譚』

円城塔著 講談社

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オブ・ザ・ベースボール

『オブ・ザ・ベースボール』

円城塔著 文藝春秋

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Boy’s Surface

『Boy’s Surface』

円城塔著 早川書房(ハヤカワ文庫JA)

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Self-Reference ENGINE

『Self-Reference ENGINE』

円城塔著 早川書房(ハヤカワ文庫JA)

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── 第一四六回芥川賞受賞おめでとうございます。受賞について当初、「実感がない」と発言されていましたね。


円城  ありがとうございます。未だに実感はないんです(笑)。むしろ段々普通の暮らしに戻っている。昨年末から最近までの記憶があまりなくて受賞のことは既に忘れつつあります。特に気負うこともなく今まで通りです。きっと感慨はゆっくりやってくるのでしょう。この度の受賞で読んでくださる方の数が増えるでしょうから、そのことは今後の作品の中で考えていくと思います。



── 受賞作「道化師の蝶」はどんなきっかけで発想したのでしょうか。


円城  ウラジーミル・ナボコフに『道化師をごらん!』という作品があり、その本の見返しに蝶の落書きをした箇所があるんです。道化師の服のような柄の羽が可愛いなと気になっていて、それをモチーフに小説を書こうとしました。昨年は割と旅行をする機会が多かったんです。飛行機に乗っている間は不思議と何もすることができず、その体験が、冒頭の「わたし」とA・A・エイブラムスが出会う場面になっています。サンフランシスコが舞台となる第W章は、実際に僕がサンフランシスコにいたときに起こったことと貯めていた色々なイメージを合わせて現地で書きました。

── 何度か読むと、物語の世界がループし、仕組まれ隠されていた絵図が見えてきます。


円城  騙し絵とか錯視図形が好きなんですよ。そんな小説が書ければいいといつも考えています。T〜Xの五章立てで、一つのストーリーを追っているように見えてそれぞれが微妙に食い違う。それが定まっていくようになり最初に戻り、再度バラバラになって定まって動き続ける。実はそれぞれが話中話なんだけれど、繋がっていて書き手と読み手が外側にいる。ところどころに「さてこそ」という変な古語を使っていますが、物語の通路として「さてこそ」を通り抜けていくイメージです。入れ子を繋ぐものとしてひっかかる言葉を用意しました。この作品は判りにくいと言われるし、読むのが面倒くさいかもしれません。お話の中のお話なので、それぞれ一旦切れているのに互いが似ているから混乱するんですよね。そこが面白い所でもあるんです。全然違うお話の話中話、話中話、話中話と考えるのであればあまり混乱せずに読んで貰えるはずです。ラストはあらかじめ構想にあったものではなく書いているうちに出てきました。

── 世界各地を転々とする多言語作家、友幸友幸の名はナボコフの『ロリータ』に登場する「ハンバート・ハンバート」に由来しているという意見がありますね。


円城  はい、僕の筆名「円城」は「塔」のことで、友幸友幸も苗字と名前で同じ意味が繰り返されているのが由来かとも言われますが、実際は友だちと幸せ、友だちと幸せを繰り返す、それが元でした。エイブラムスの名は同名の戦車から、名前のA・Aは架空の蝶の学名「アルレキヌス・アルレキヌス」からつけました。この名前を決めた後でJ・J・エイブラムスという映画監督が居ることに気づき、名前の由来かとも聞かれましたが──。実は僕は名前を付けるのが苦手なので、面白い解釈を言っていただけると、最初からそのように企んでいたと過去を書き換えようかとも思ってしまいます(笑)。

── 建築物のように組み立てられた円城さんの作品世界ですが、所々滲み出るようにフェティッシュな刺繍、手芸、料理、宝石の加工職人など、手の作業が見られますね。


円城  意識的に入れているところがあるんです。というのは、元々物理屋さんだった関係で自分の小説は形式が強いと思っています。そもそもお話には型があるんですよね。起承転結とか、序破急とかが、きっと人間が受け取り易い形なんです。でもそれだけじゃないだろう、新しい形式で伝えやすい内容がきっとあるはずだと考えています。ですから小説を書く作業は外枠を決めていって中を埋めていく感じが強くあります。ただ、どこまで思考だけで押していいか、どれだけ形式だけでいいものかと考えています。これまで小説に三角形のモチーフなどを出してきましたが、判らんと言われることが多いので、今回はもう少し親しみやすい刺繍を入れました。僕自身、手作業や何かをいじっているのは好きでしたし、喫茶店でよく工作をしていたり、編み物にも手を出したりしています。

── 単行本『道化師の蝶』には「松ノ枝の記」という中篇小説も収められています。外国の小説を勝手に翻訳した「わたし」が「松ノ枝」と名づけた著者に会いに行く、という設定はより読者が作品世界にアクセスしやすいですね。


円城  「松ノ枝」がいる場所は小説でははっきり書いていませんが、ニュージーランドという設定です。アフリカ大陸で発祥した人類は大陸を横断しマレー半島経由でニュージーランドなどに渡ったといわれていますが、アリューシャン列島を渡りアメリカ大陸を縦断してニュージーランドにたどり着くイメージがありました。その軌跡の曲線が頭蓋骨の曲線と二重写しになる。旅の話二作を揃えて一冊にしようと決めていましたが、旅にしては壮大になりすぎました(笑)。人類発祥は何万年も前のことなので何も判らない、だから好きに書いていいというのが一つあります。何万年前にも誰かがいたんです。僕らは想像することができて何かを掴めたような気になるけれども、失われたものはある。決定的に失われてしまったものとなぜか出会うお話です。

── 円城作品ではしばしば「人の形をした」とか「宿るべき人形」など、人を何かの入れ物と考えたり、物として捉えていますね。


円城  物は物なんです。どこまで切っても物しか出てこない。それは認めたほうがいい。人間が物質だと捉えれば「人間もロボットだよね」という言い方は当然あります。しかし実際に自分の手を動かす場合「ロボットとは何か違う感覚はある」というのは奇妙な感じとして残ってしまう。身体って何だろうと考える形としていつも挿入されていますね。

── 幽霊と言っていい存在も幾度も登場します。


円城  自分の意志決定は本当に自分で決めているのか、疑いは常に持っています。僕らの認識もいつも何となく似ているものを見ているので同一性が維持されているだけなのかも知れません。回りにいる誰かや、自分が置かれている状況で思考は全然変わってくるだろうと思います。極端な話、大怪我をしているときは取り乱して冷静な思考は出来ない。自分と思っているものはたまたまこういう形をしていて歩いたり出来るから自分と思っているだけで、本当はもっとあやふやで外まで広がっているものだろうなという実感がある。『これはペンです』という作品では、道具によって書くものが変わっていきます。自分に対する感覚を希薄にしようとしている所はあります。

── 移動というテーマが何作にもわたり繰り返されます。


円城  僕が書くお話はたいてい最後は誰かが何処かへ行っちゃったりする。「道化師の蝶」あたりから意識し出しました。どうしてだろうといつも考えますが、僕の暮らしが何年か置きにあちこちを転々と移動を繰り返していて、ずっと硬いものの上にいられない気がします。それが身に沁みてきて移動には何があるんだろう、と考え始めたからかもしれません。

── 蝶や烏など「飛翔」をイメージするものも頻繁に登場しますね。


円城  いつも何かが飛んでいますね、『オブ・ザ・ベースボール』では人が落ちたりとか。僕自身がふわふわしていて一箇所に居られない。小説の場面転換が多いのも、自分が書いてきて厭きたので吃驚したい、同時に読者も驚かせたいから章を切り替えるという癖があります。忙しなさとすぐ厭きる性格を象徴している気がしますね。

── 物理学を専攻されていたことは円城作品の基盤になっていますか。


円城  物理は適応範囲の決まった物の考え方なんです。だから物事の疑い方が他の作家の方と違うかもしれません。可能性を列記して片っ端から潰していかなければ落ち着かないとか。どういうものなのか、と仮説は書くときだけではなくて読むときも立てます。ミステリはミステリとして、SFはSFとしてジャンルを考えて読む。翻訳では一行目を読んで読み方が決まることがある。単に日本語に訳されているだけの下手な翻訳でも筋を追って楽しむこともできる。こなれた日本語で訳されている場合なら、お話の筋としても文体としても楽しめるので読み方のモードが違ってくる。

── 今後の予定を教えていただけますか。


円城  長編小説を何とかしなくてはいけないのですが、未だにどうも書き方がよく判らない(笑)。僕の小説は一文二文読んでもらうだけで円城塔だとばれてしまうそうなので、その意味では書き手が隠れられない。その辺も含めて今後考えたいですね。「そろそろミステリを書け」ともよく言われますが、気忙しいので途中でトリックを明かしてしまうと思うんです。短く書けるものは短く書いたほうがいいし、謎を引っ張るために無理に長くする必要はないし。僕の小説は隙間産業だと認識していますので、人と違うことをしたいし、人が手を付けていない手薄な方向を開拓していきたいです。



(二月四日、東京都文京区・講談社にて収録)

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