『花宴』のあさのあつこさん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2012年10月号」より抜粋
あさの・あつこ
1954年岡山県生まれ。青山学院大学文学部卒。岡山市にて小学校の臨時教諭を勤めたのち、1991年、『ほたる館物語』でデビュー。1997年『バッテリー』で野間児童文芸賞受賞、1999年『バッテリー2』で日本児童文学者協会賞受賞。2005年『バッテリー』全6巻で小学館児童出版文化賞受賞。2011年『たまゆら』で島清恋愛文学賞受賞。著書に『NO.6』『ぬばたま』『ねこの根子さん』『火群のごとく』『13歳のシーズン』などがある。この度、朝日新聞出版より『花宴』を上梓。
── 新刊『花宴』は、藩の勘定奉行を勤めてきた西野家の一人娘にして小太刀の名手・紀江の初恋とその後の半生を綴った長編時代小説です。創作の動機を教えてください。
あさの 以前から大人の女性を描きたいと考えていました。「小説トリッパー」から連載を頂いたとき、すぐに時代小説でしか描けない女性の物語を発想しました。同時に現代の女性が読んで「これは私だ」と思ってくれるような人を考えたんです。紀江の、武家の娘として挙措が美しく小太刀を使う姿は自然と出てきました。その反面、恋に悩み、結婚に悩み、夫の不審な行動に気をもみ、家族を亡くして悲しむ、諸々のものを抱えている女性と捉えました。「花宴」という題名は私の造語です。連載を提案されてすぐに浮かんだ言葉です。女を象徴する意味で花を使わせて頂きました。題名に導かれて、花びらが舞う華やかさと同時に散っていく無常観、二つの核が出来ていったようです。
── 第一話では西野家の婿として迎えるはずの三和十之介との破談、第二話は十年後、藤倉勝之進が婿入りしていて、さらに大切な人の死が書かれています。
あさの 第一話は紀江の恋が潰えたところで終わっています。潰えた後でも彼女はまだ十之介への想いを引きずっている。第二話は、あの様な書き出しでしか始まらなかったので、自分でも吃驚しました。第一話は助走で、第二話から物語が始まるのです。父・新佐衛門は好きな人物です。万事に控えめな勝之進に物足りなさを感じる紀江に「己を恥じる、廉恥の心を持ってこそ真の人と言える」と諭す場面は新佐衛門の真骨頂だったと思います。紀江を巡る十之介と勝之進、この対照的な二人は、名前に共通する「之」で同じ要素があると考えました。出番は十之介の方が多いし印象も際立っていますが、どこか同じものを紀江が愛したのでしょう。物語の後半で、ある秘密が明るみになります。読み返していただけば、新佐衛門、十之介、勝之進、それぞれの男たちの振る舞いの端々を理解いただけると思います。相手を想って一途に生きる女の世界と対比する意図で男の世界を描きました。
── 剣の場面は、あさのさんの得意な野球の場面のように動きや息遣いを細かく描写されていますね。
あさの
紀江は小太刀の使い手なので、普通の太刀に比べてどの程度違うのかなど、刀そのものを見に行ったり調べたりしました。岡山県は「備前長船」という名刀の産地でしたし。男の剣は相手を倒すためですが、女の剣はもう少しエロティックで、相手と交わるため、相手を受け止めたり受け入れるためのものではないか、という思いがありました。稽古もするし精進もするんですけど、たおやかで、舞踊のような身体の動きの美しさを意識して書きました。
── 『花宴』は奉公人だった「おつい」が夫を亡くし西野家に帰ってくる場面から始まります。
あさの 目立たない中年女ですが、すごく好きな女性です。影のように仕える彼女がいないと、この物語は回らないんです。紀江の現実的な部分を支えてくれて、人を信じることを紀江に説いている。もう一つの女の生き方があると考えました。物語の最後、西野家の行く末を見つめていく人物なんです。第三話のある場面で、おついは気を利かせて忘れ物をしたとその場を去り、戻ってくると空蝉を手にしています。蝉の抜け殻って鼈甲色できれいで、いつか小説に書いてみたかったんです。おついは、さりげない一言や一つのもので寄り添っていける人間なんです。空蝉の煌めいているけれど空っぽの姿は紀江の象徴だったと思います。
── 何度も登場する燕に託した思いは。
あさの 自宅の軒下に十年くらい前から毎年燕が巣を作り続けているんです。飛ぶ様子が美しくて見惚れてしまう。燕が反転する瞬間ピカッと体が黒光りする様は惚れ惚れしてしまうところがあって、その燕の動きを女ならではの小太刀の軽やかな動きを重ねて描いたんです。また、燕は非常に逞しい鳥だと思います。それは毎年海を渡ってやってきて子育てをして巣立っていく。その季節は夏じゃないですか。生命の象徴のような鳥なんです。紀江は喜ぶときも、虚しさや悲しみを覚えるときも、燕を見て心情を重ねていた。
── 燕が活動する夏は、『花宴』において喪いの季節でもありますね。
あさの
命が溢れているときは、逆に死が傍にあるという気がします。私の個人的な経験ですが、小学生のころ夏に川で溺れて「ここで死ぬんだな」と思ったことがあったんです。上級生の男の子が掬い上げてくれて助かりました。その瞬間太陽の光がウワッと降り注いできて、生と死は背中合わせなんだな、と理屈じゃなく感じたことがあるんです。夏は怖い季節でもあると思います。最終章、第七話「辿り着く場所」を書いている時は、人物が生きるとか死ぬとかは些細な問題でした。それよりも大切なことを書きたかった。紀江は亡き母から女子の剣とは「敵を倒すためではなく、我が身を守るためにある」「剣を遣うとは己と向かい合うこと」と教えられました。ラストは、母の言葉を紀江がどのように自分の中で受け止めているんだろうかと、悩んで書きあぐねた点でした。彼女は守り通さなければならないものを守り通した。大義や主君のためではない、女でしか出来ない生き方でしょう。ラストはハッピーエンドで物語を閉じた認識があります。にもかかわらず、滅びの物語ではないにしても、物語の中でこんなに人が亡くなっていくことを予想はしていませんでした。
── 舞台になった嵯浪藩は「江戸から西に約八百里」とあり、現在の日本地図では中国地方に当るのではないでしょうか。
あさの 私は生まれて育った備前備中備後の辺りしか知らないのでこの近辺を架空の藩として考えました。たとえば、江戸城を舞台にした物語ならば年代を記して史実と照らし合わせながら創作しなければなりませんが、ささやかな歴史に消えていく人たち、紀江という女性に起きたことを書きたかったので詳細な年代は明かしておりません。
── 《夏と秋が鬩ぎ合っている時季》という表現があり、こういった感覚、表現はあさの作品の特長ではないでしょうか。
あさの 生まれて育ったのが山間の小さな町なので、季節でなく一日の単位で、昨日まであった花が翌日は散っているとか、今朝は別の花が咲いているとか、風が変わったとか、土や川の匂いが違ってきたとか、自分の五感の中に沁み込んでいるんです。その感覚は時代小説ならば存分に書けます。きっと今以上に江戸時代は季節の移ろいが暮らしに溢れていたはずです。
── 時代小説執筆には準備に時間が掛かるのではないでしょうか。
あさの
現代小説を書くよりも倍の時間が掛かります。膨大な資料を集めると、武家社会は藩によってそれぞれ仕組みが違うので、自由に書ける半面、難しいのです。やはり立ち居振る舞い一つにしても帯を締めて袂があるものを着てどう動けるのか、その姿勢、下駄や草履をつっかけた時の感覚、風を受けたとき胸元に入ってくる感覚など、一つ一つ手探りで検証し考えていったんです。実際に行灯は旦那に作って貰って本が読めるのかどうか確かめてみました。また文章では、片仮名や、当時はなかった「自由」や「自我」など使えないものはどの言葉に置き換えるか悩みます。小説世界を象徴できる適切な言葉が見つからなくて何時間も書けない言葉との格闘があります。
── あさのさんが小説で人物を捉えるときは家族の存在が欠かせないと思います。その家族は父か母が欠落している場合が多く見られます。
あさの あらかじめ欠落したことによって、子供たちや女たちや男たちが、埋めようとしたり補おうとしたり身じろぎしたり喘いだりじたばたしたり、振動によって産まれてくる物語が好きなんだと思います。
── 多彩なジャンルを書き分けることの苦労や喜びはありますか。
あさの ジャンルを広げる意識はありません。ジャンルは関係ないんです。誰を書きたいのか、だけなんですよ。その人に相応しい舞台を探すだけです。今回大人の女を書きたいと思ったときに時代小説が書きやすかった。少年たちを書く場合、ヤングアダルトだったり児童小説だったり近未来に設定したりします。たとえば『朝のこどもの玩具箱』や『夜のだれかの玩具箱』(2点とも文藝春秋刊)は一年の新聞連載でしたが、企みとしてファンタジーやSF、御伽噺、ミステリ風、時代小説、昭和史を背景にした異なるジャンルを書いています。これは八月に文庫化されました。
── 今後の予定を教えて下さい。
あさの 七月に文春文庫の時代小説の書き下ろし『燦 3 土の刃』が出ました。『bU〈#7〉』(講談社刊)も文庫化されましたし、『弥勒の月』(光文社刊)のシリーズの新作が今年の末に始まります。楽しみにして下さい。
(六月二十五日、東京都中央区・朝日新聞出版にて収録)