連作短編小説 『虹猫喫茶店』新連載開始 記念インタビュー
『虹猫喫茶店』の坂井希久子さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2013年8月号」より抜粋
坂井希久子(さかい・きくこ)
1977年和歌山県生まれ。同志社女子大学学芸学部卒業。会社員を経て、プロの作家を志し上京。2005年に森村誠一が名誉顧問を務める小説家入門 山村教室に参加。2007年度末に「想い出ひらり」が山村教室年間最優秀賞を受賞し、『小説宝石』(2008年8月号)に掲載された。2008年「男と女の腹の蟲」で第88回オール讀物新人賞を受賞(『オール讀物』11月号掲載時に「虫のいどころ」へ改題)。著書に『泣いたらアカンで通天閣』『迷子の大人』『こじれたふたり』『崖っぷちの鞠子』などがある。この度、本誌『新刊ニュース』にて、連作短編小説「虹猫喫茶店」の連載を開始。
── 猫カフェならぬ猫のいる喫茶店=w喫茶 虹猫』で働くアルバイトの大学生・玉置翔とオーナーの鈴影サヨリが登場する連作短編小説「虹猫喫茶店」が今号からスタートしました。まずはどのように発想されたのでしょうか。
坂井 「人情もの」の小説をお願いします、とお話を頂きましたので、そこで改めて「人情って何だろう」と考えました。編集者とも相談すると「他人にお節介を焼いてしまったり、人の問題に必要もないのに関わって助けてしまったりすることじゃないのか」という結論に至ったんです。そこからどう物語を作っていこうかと考えた時、猫を絡ませたらどうかと思いつきました。猫は犬と一緒で、人間との歴史も長いし、関係も密接ですよね。猫が登場すれば可愛いし、コミカルにもなるし、物語が広がるんじゃないかと。一方で、最近では猫の殺処分や、ご近所とのトラブルが問題になっています。私が暮らす街も野良猫が多いのですが、猫を嫌いな人は猫にゴミを荒らされることや猫が庭などにオシッコをすることに神経を尖らせているんですね。こうした猫の問題は人の心の余裕や生活形態などと密接に関わっていると思い、構想を練っていきました。
── あえて「猫のいる喫茶店」に設定した理由は何でしょうか。
坂井 オーナーのサヨリさんはとにかく猫が好きな人ですが、猫で商売はしないだろうし、何匹も飼うことはしないで一匹の猫を大事に飼う人だろうなと思ったんです。それなら店内にいる猫たちは里親を探している形にするのが一番自然で、サヨリさんの主張としても合うと考えました。
── 主人公はサヨリではなく、アルバイトの翔ですね。
坂井 サヨリさんはいいキャラクターなんですけれど、猫にしか興味がない人なので、サヨリさんを主人公にすると一日中喫茶店で猫といるだけで人間に関わらないから物語が進まないんです(笑)。ですから物語は翔の視点で語られていきます。翔は学歴コンプレックスがあって、自分の手に負えないことは何でも「めんどくさい」で済ませてしまいますが、一度物事に巻き込まれると意外と律義でついついやってしまう、愛すべきキャラクターだと思って書いています。舞台は東京の西国分寺から電車で二駅の東京郊外の住宅地に決めました。翔は大学生ですし、国分寺界隈は大学もたくさんありますから。基本的に私は大阪の下町や巣鴨、根津など、ごちゃごちゃした街が好きなんです。
── 翔は坂井作品にしばしば登場する、受け身の草食系男子ですね。
坂井 『羊くんと踊れば』の薫は意識して草食系男子を造形しましたが、『泣いたらアカンで通天閣』のカメヤなど、確かに私が書く男子は草食系が多いですね。きっと振り回されながら自分の立ち位置とかポジションを見つけて生きている男性が好きなんです。
── 物語はアルバイトの面接に来た翔が、採用されるやいなや近所の独居老人・東丸一枝の家に三十七匹の猫のエサやりとトイレの砂交換に行かされます。
坂井 一枝さんは猫をたくさん飼っているおばあちゃんを出そうと作った人物です。彼女は翔を息子のカツトシ≠ニ勘違いしています。猫を飼っている本当の理由やカツトシ≠ニの関係は次号の後編で明かされます。
── 一枝という老婆は坂井さんが『羊くんと踊れば』や『泣いたらアカンで通天閣』『迷子の大人』で描いてきた魅力的な老人の一人ですね。
坂井 私の小説には何故か老人が登場しますね(笑)。生まれ育った和歌山では祖母と同居の家族でした。祖母はもう他界しているのですが、一言では言い表せないくらいキャラクターの濃い女で「可愛いお婆ちゃん」というのは幻想だと教えてくれたのは他ならぬ祖母でした。私に下ネタを仕込んでくれたのも祖母です(笑)。老人のピュアな部分を残しつつものすごく頑固で、性に対しても原始的な捉え方をした人でした。「そういう力強さは叶わないわ」と思っているせいか、私の小説にはついついお婆ちゃんやお爺ちゃんが出てきてしまうんです。高齢化社会と言われますが、老人というものを家に引きこもっていて、生産性の乏しい存在として見ているから暗く見えるので、「爺さんたちが元気でバカスカ遊んでくれればいいじゃん」と思い、元気な爺さん婆さんが出てきてしまうんでしょうね。
── 一枝と息子のカツトシ≠フ関係は坂井さんが繰り返し書いてきた「血族」の、厄介でも切れない関係を想起させます。
坂井 私の小説はドメスティックですよね。今、祖母の話をしましたが、私の家族は本当にキャラクターが濃くて、一緒にいると腹が立つんですよ。三日いると一度は父と喧嘩するし。「こんな人、他人やったら絶対つき合わへんのに」と思いますが、そんな中で生まれて成長しているというのがあって、何か血縁に縛られるところがあると思います。
── ドラマ化され映画にもなった『泣いたらアカンで通天閣』の登場人物ゲンコは坂井さんの父上・健司さんがモデルだそうですね。
坂井 編集者と雑談をしている時に、父の逸話を話したら「面白い」と言われ、関西の父と娘の話を書きませんかと提案を頂きました。それなら自分の原点、土壌のようなものも描こうと、ゲンコの亡き妻芙由子も私の母親をモデルにしました。ゲンコは身長が一九〇センチ近いのですが、私の父もK-1選手くらいデカいです(笑)。
── ゲンコの娘・センコとカメヤの婚約の場面で、百五十年続いた質屋が終焉することに対し、センコはある感慨を持ちます。
坂井 私は姉妹で、昔から姉は父から「坂井家を継ぐのは?」と言われ続けていて、私は「そんなもん無くなったら無くなったでええやん」と、ずっと思っていたんです。街の景色はどんどん変わっていくし、愛しいものが無くなっていくのは悲しいけれど、新しい街で育っていく人たちが沢山いるんだし、それでいいのじゃないかなと思っていたので、そこは書きながら自然に出てきたくだりです。
── 坂井さんは「小学校低学年で童話を書いていた」と取材で答えていますね。
坂井 子供のころからお話を作るのが好きだったんです。文章に書かなくても話を作って喋っていたと思いますし、漫画家になろうと漫画を描いていた時期もありました。それから中学・高校ではファンタジーやSF小説を書いていました。小説の勉強のために同志社女子大学の日本文学科に入学したのですが、今から振り返れば文学以外のことをやっていた方が良かったですね。色んな経験や全然関係ないものを学んでいた方が小説を書く上で役に立つと思います。大学卒業後も小説はずっと書いていて、でも新人賞に応募しても精々一次選考は通るくらいで次に行けなかった。何が足りないか判らなくて、独りで考えるには限界があると思った時に「山村正夫記念小説講座」(通称「山村教室」)を見つけて入ったんです。そうして「虫のいどころ」で第88回オール讀物新人賞を受賞してデビューしました。
── 坂井さんの小説作法には、個性的な人物造形、オープニングで読者を掴む場面を作る、時間の省略と飛躍、秘密を設定して後半で開示することなどが挙げられますが、これらは山村教室での成果ですか。
坂井 そうですね、山村教室でさんざん言われてきたことです。でも実際に自分で活用出来るようになったのはデビューしてからです。編集者にも同じようなことを言われてきました。何回書き直してもOKを貰えなくて、というのを経験してやっと身についたんです。デビューしてから、いかにいいことを教えて貰っていたのかがわかり、山村教室に感謝しています。
── 「虹猫喫茶店」の今後の展開を教えていただけますか。
坂井 これからも猫にまつわる問題や猫に関わってきた人で問題のある人がちょこちょこと出てきます。最終的にはサヨリさんの過去も判り、彼女もちょっとは人に心を開けるようになり、翔も成長できればいいなと考えています。連作短編ではありますが、一冊にまとまった時に別のお話が見えてくればいいと思います。いつもはプロットを詰めてスタートするんですが、今回は決めていない部分があります。サヨリさんの過去も方向性は見えていますが細部まで決めていないですし、下手に机の上でプロットをこねくり回しているより、サヨリさんや翔に動いて貰い、書いているうちに出てきたものに従った方が良さそうだと考えています。
── 「新刊ニュース」読者にメッセージをお願いします。
坂井 これから一年半の連載が続きます。猫が出てきて、変な人たちも出てきて楽しく展開していくお話なので、お茶菓子でも食べながら読んで下さい(笑)。
── 「虹猫喫茶店」以外の執筆の予定は。
坂井 十月頃に角川春樹事務所から書き下ろしの長編小説が上梓される予定です。私は全く野球を知らなかったのに角川春樹さん直々に「野球の話、代打のドラマを書かないか」とピンポイントに絞った提案を受けたんです。主人公はプロ野球選手ではありますが、私が書くとやはりスポーツ小説にはなっていません(笑)。違う方向性から物語を攻めています。楽しみにしていてください。
(六月五日、東京都千代田区・祥伝社にて収録)