『破門』の黒川博行さん
インタビュアー 青木千恵(ライター・書評家)
「新刊ニュース 2014年10月号」より抜粋
── 第一五一回直木賞受賞おめでとうございます。受賞の感想をまず教えてください。
黒川 嬉しいです。嬉しいと同時に、ほっとしました。これで二度と候補になることはないと。結果を待つときのプレッシャーがなくなったのは、本当にありがたいです。
── 雀荘でお待ちになられたとか。
黒川 待つときに醜態をさらすのが嫌やったからです。今まで五回落ちていると、悪いことしか考えません。落ちたときにどんな顔をして、どんな状況で行動をすればいいかと考えて、まあ、麻雀していたら楽かなと。
── 受賞作『破門』は、零細建設コンサルタントの二宮と、ヤクザの桑原がコンビを組む、「疫病神」シリーズの五作目です。このシリーズのそもそもの発端は。
黒川 『悪名』という、勝新太郎と田宮二郎が主演の六〇年代の日本映画です。片方がヤクザで片方が堅気のコンビの話はいつか書けるなと思っていました。九七年に一作目を出して、評判がよかったから続けました。三作、四作と続き、今回の五作目を書く前に、KADOKAWAの編集者から、桑原のスーパーマン度が少し増していますねと言われて、これではいかんなと気がついたんです。スーパーマン度を薄めて、桑原という人物を困らせていってやろうと思って、書きました。それが結果的にはよかったのかなと。リアリティが増したと思います。堅気の世界が不景気なのに、ヤクザの世界だけが肩で風切って歩いているというのはないですね。
── 破門≠ニ絶縁≠フ違いなど、細かなディテールは取材のたまものですか。
黒川 取材もありますが、暴力団排除条例がどんな影響を及ぼしているかといった話を普段から聞いて、基本素養として知っています。組の中での勢力争い、人間関係は、会社組織の人間関係と変わらない。誰の下についたら出世できるか、ということはどの会社にもあることで、表の経済社会と裏社会の情勢をシンクロさせて、誰それにゴマすったらどうなるか、お金をつかましたらどうなるか、そういうことはわりに詳しい(笑)。新聞記者から聞く話が多いですね。社会部のマル暴担当の新聞記者たちにたくさん話を聞いて、資料も読みます。
── 警察小説や悪漢小説に関心を持たれたのはどうしてでしょうか。
黒川 『切断』という作品あたりから、ハードボイルドに傾いていったと思います。ある時期からトリックというのにあまり興味がなくなったんですよ。警察小説でも、まず事件があって、その後追いをするよりも、キャラクターを詳しく書いていくことのほうに興味が向いていきました。
── 今回の物語は映画製作が発端ですが、最初にプロットを設定してキャラクターとあわせて進めていくのでしょうか。
黒川 プロットはたてません。テーマもないです。このシリーズは、お互いに嫌いあっている者同士が、コンビを組まざるを得なくなる状況を最初に作らんとダメなんです。今回は、北朝鮮に行ったことがある二人が映画のシナリオに協力する設定にして、まずコンビを組ませる。あとはできるだけ読者を退屈させないように、会話が続けばアクション、アクションからまた会話というふうにして、舞台もマカオに行ったり、四国に行ったり、どんどん動かすようにしています。実はマカオに行く必要はまったくなかったんですが(笑)、担当編集者と「マカオ行こうか」と言うて、行き当たりばったり。映画を発端にしたのも、自分が映画好きやからです。年間百五十本くらい、主にDVDで観ているから書けます。ものぐさで、楽をしようとばっかり考えています。
── 関西が根城の舞台であるのも、よく知っている場所だからでしょうか。
黒川 デビューした頃は、大阪弁の小説をはなから手にしない読者が多かったので、ある編集者から東京弁の小説をお書きになればと勧められたこともあります。でも無理でした。東京弁では下町のおばあさんや高校生のせりふは書けません。関西を舞台にしながら、標準語をしゃべっている小説も不自然です。ハンディを感じながら、書けないものは仕方ないから、居直ったんですね。その時期から吉本の芸人が関東に進出し始めて、東京の人たちに大阪弁が伝わる時代になり、よかったなと思っています。せりふのやりとりは、大阪人の骨絡みです。何か言うと必ず突っ込みが入るし、偉そうな物言いは受けません。クラスの人気者は面白いヤツです。勉強ができるヤツ、スポーツができるヤツは決して人気者ではないです。
── デビュー三十年ですが、小説家専業になられた当時、覚悟はありましたか。
黒川 なかったですよ。辞めたら収入激減で、後悔しましたね、そこを強調して書いてください。この時期は会社を離れたらだめですよと(笑)。上司にいくら嫌なヤツがいようと、どんなんでも我慢して、しがみついているのがほんまに大事ですよ。
── 高校の美術教師でいらしたのが、小説を書くことになったのはなぜでしょうか。
黒川 「自分の作品を見てくれ」ということですね。個展を開いていたのも自己顕示欲がなせる業で、それの変種が小説ですね。伏線を積み重ねてそれを収束する、ある意味システマチックな小説の形態がミステリーであると、ミステリーを乱読している時期に思いました。こういう小説なら書けるかなと思ったのが最初です。サントリーミステリー大賞の第一回というのがあると知って、その年は個展の予定がなく、夏休みがまるまる空いていたので、嫁はんに「おれは推理小説を書くことにする」と言ったのが発端やったですね。でも書き始めたら難しくて、やめようかと嫁はんに言うたら、「最後まで書け」と怒られました。あのとき嫁はんが「最後まで書け」と言わなかったら、途中でやめていました。しかも、その『二度のお別れ』が佳作になっていなければ、二度と書いていません。
── 選考会直後の講評で、伊集院静選考委員が、黒川作品の魅力として「弱者の魂」を挙げておられました。黒川さんの作品は庶民性といいますか、目線が高くない。
黒川 低いですよ。大阪人やからです。大阪人は、自分のことを笑ってやってくださいという自虐路線ですから、大所高所に立ってものを言うヤツは嫌われます。下の方から、こうやないかとうじうじものを言いながら、叩かれても蹴られてもしぶとく食いついていくのが、大阪の人間の生き方ですから。それが小説に出ているかなと思います。
── 「疫病神」シリーズを読むと、世の中にはこれほど裏があるのかと思わされます。
黒川 産業廃棄物がヤクザの有力な資金源だと、どこかで耳に入れたんですね。どういうふうに金が動いているのか、産廃業者を取材して回りました。一人の産廃業者に話を聞いても、自分にマズいことは言いません。複数の人に話を聞いて、傍証を固めていくやり方です。シリーズ二作目の『国境』は、資料を大量に読んで、北朝鮮ウォッチャーといわれる人に取材し、自分でも二回現地に行きました。出不精で、取材は嫌いです。しかし一を知って一書くのと、十を知って一書くのとは大きな違いがあります。一を知って一を書いた小説では、読者が読んで、裏が取れていない、血肉になっていないことは分かるし、そういう小説は書きたくないなと思う。取材をしたことの半分も落とし込めなくても、知らずに書かないことと、知っていて書かないことの差はものすごくあるわけです。情報を手にしながら、そのうちの二、三を書くことで、小説に深みが出るのではないかと思っているから、面倒臭くて嫌いですけれども、詳しく取材をします。
── 短編も、短編ならではの密度があって、完成度が高い。読みやすいけれど、どの作品も全力投球で書いておられるなと。
黒川 それで一年に一作しか書けない。三十年で三十作しかない、そんなもの書き、なかなかいません(笑)。年に一作の作家はだいたい残れませんから、読者がいてくださったのは、ありがたい。自分は運がよかったと思います。もうこれで食うていくしかないですから、その時期、その時点で、一生懸命、自分の持っている知識とか小説のテクニックをすべて入れて、時間をかけて書くしかないです。私生活はええ加減やけど、小説は真面目に書いてきたという考えはあります。
── 今後の執筆予定を教えてください。
黒川 今、振り込め詐欺の話を「アサヒ芸能」で書いていて、それが終わって次に何を書くかは、頭の中にないです。ちょっと二、三ヵ月くらい小説をお休みしたいなと思って(笑)。ここで賞をいただきましたから、「疫病神」シリーズは、今後も続くでしょう。進退窮まった主人公の桑原がどうするか、これからじっくり考えます。散歩の途中や風呂場の中で次の構想が浮かび上がってくるというのはないので、机に向かって、ああでもこうでもないと、いやというほど考えます。
(八月四日、東京都千代田区・角川第三本社ビルにて収録)
Copyright©2000 TOHAN CORPORATION