『レオナルドの扉』の真保裕一さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2015年5月号」より抜粋
── 新刊『レオナルドの扉』は十九世紀のイタリアやフランスを舞台に、レオナルド・ダ・ヴィンチが残したノートを巡る物語です。主人公は十六歳の若き時計技師ジャン。彼が親友のニッコロとともに、フランス軍とノートの争奪戦を繰り広げる長編冒険小説ですが、まずは執筆の動機を教えていただけますか。
真保 小説『ホワイトアウト』が二〇〇〇年に映画化され、脚本にも参加しました。それをきっかけに、その後も映画の企画作りに協力して欲しいという話がいくつかありました。今回の小説『レオナルドの扉』は、オリジナルの長編アニメーション映画を作ることを目指して企画を立ちあげましたが、残念ながらその話は途中で頓挫してしまいました。企画の過程でシナリオにもしましたし、漫画原作にするというアイディアもありました。しかし、どれもうまくいかず、まずは小説にしてみようと考えたことがきっかけです。
── この作品は、小説家としてデビューされる前から原型となるアイディアがあったそうですね。
真保 小説家になる前にはアニメーション業界にいて、アニメーターの仕事をしていました。絵の勉強のために、よく美術館に行っては、皆が群がって観るような油絵などではなく、デッサンを夢中になって観ていました。有名な画家たちがどういうふうに描いているのか、興味を持って観ている中に、レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンもあったんです。よく知られていることですが、ダ・ヴィンチは芸術家でもありながら、科学や解剖学など、多岐にわたる研究をしてきました。そして、その研究の成果を膨大なノートにまとめたものが、弟子に託されたといいます。日本では「手稿」と訳されることが多いこのノートですが、現在見つかっているだけでも五千ページぐらいあり、その倍以上が失われているらしい。そこから発想を広げ、主人公がレオナルド・ダ・ヴィンチのノートに書かれた知識や発明を使って謎を解決するという漫画の原作を作って、出版社に持ち込み≠したこともあります。
── それは小説『レオナルドの扉』とはまた異なる内容ですね。
真保 皇帝となったナポレオンが、ダ・ヴィンチのノートをミラノからパリに持ち帰ったという事実を知って、シナリオ化の作業を進めていきました。そのシナリオをもとに、小説を仕上げたのです。結果的に、昔思いついていた物語の原型とは異なる、オリジナルの物語になっています。
── 壮大な歴史ファンタジーとして、大人から子どもまで幅広く楽しめる物語になっています。
真保 私の娘は十歳で、ファンタジーやミステリー、ジュブナイルなど、いろいろな小説を読んでいます。私の作品にはこれまで見向きもしてくれませんでしたが、十代の少年が主人公の物語なら読んでくれるのではないかという気持ちもありました。『レオナルドの扉』は、ファンタジーの部類には入るのかもしれませんが、これまで論理的な裏付けのあるミステリーを書いてきた立場からすれば、魔法ですべてが解決できるファンタジーを描くのはどうしても抵抗がある。論理に裏打ちされた物語を構築したつもりです。
── 登場人物についてお伺いします。十六歳の時計技師である主人公・ジャンは、知恵と勇気で難局を切り拓いていく、とても魅力的な人物です。これはどのように造形されましたか。
真保 行動力があって好奇心が旺盛、ジャンは主人公ですから、たまに失敗もあるけれど前向きに進んでいく、ポジティブな人物にしようと考えました。
── ジャンには親友ニッコロがいて、ノートを巡る冒険に同行します。
真保 ニッコロは村長の息子ですが、ジャンと一緒に空を飛ぼうと、村内の隠し砦で実験を繰り返しています。主人公と親友がコンビを組んで冒険に出かける、これは王道のキャラクター配置ですね。
── ジャンとニッコロにフランス軍が対立する中にあって、神出鬼没の修道女ビアンカはミステリアスな存在です。
真保 修道女の格好をしつつムチを持たせたら絵になるだろうな、と考えました。シナリオの執筆時には反対する人もいましたが、「ビアンカが手にするのはムチじゃなければ駄目なんだ」と強く主張しました。これは私の趣味ですね(笑)。また、ビアンカが謎めいた美女なので、マドレーヌという少女を配置して、ジャンとニッコロを応援するアイドル的な役割を持たせました。それから、ジャンの愛犬も登場します。もともとアニメ化を目標に構築した物語なので、全体のキャラクター配置のバランスには気を使い、緻密に組み立てたつもりです。
── 宿敵であるフランス軍には、バレルという大佐が出てきます。組織のなかで板挟みになり苦悩する人物として、悲哀が感じられ、敵役ではありますが、とても共感しました。
真保 フランス軍を率いるのはナポレオンですが、彼はあまりにも地位が上の人物なので、ジャン達が戦う相手としては、もう少し下の立場の人物が現実的に必要だと考えました。ナポレオンはコルシカ島の下流貴族出身ですが、島の興味深い変遷についてはあまり知られていません。また、ナポレオンが皇帝となるやイタリアを攻め、ミラノの図書館からレオナルドのノートを持ち出したということも。これらの事実を知り、ストーリーは「できた!」と思ったんです。
── すべてのキャラクターが立っていると感じました。
真保 小説では、登場人物たちの行動原理とその背景をじっくりと書きこんでいます。大きな謎も解かれると同時に、主人公たちの成長小説にもなっていて、歴史の面白さも詰まっている。子どもから大人まで楽しんでもらえるような、多様な側面がある物語になったと思います。
── 物語の冒頭、主人公のジャンとニッコロは、二人で自走車というものを作って空を飛ぼうとしています。そのあとにも「飛ぶ」ということが重要な鍵となるシーンもあります。この物語に繰り返しあらわれる「飛ぶ」というモチーフは意識して描かれたのですか。
真保 レオナルド・ダ・ヴィンチは、空を飛ぶということに強い憧れを持っていたんだと思います。ノートにも、鳥の飛翔に関する研究や、ハンググライダーやヘリコプターのような飛行器具の図面も記されています。
── ジャンとニッコロは、イタリアの小村からフランスへと移動していきます。物語の舞台として、ヨーロッパの観光名所がふんだんに登場しますね。
真保 これはもともとアニメーション映画を想定していたので、映像ならではの表現にこだわった部分です。実写映画だったとしたら、あちこちの世界遺産を舞台に撮影するなんてことはできないでしょうから(笑)。
── 今回『レオナルドの扉』は、これまで伺ったようなさまざまな意味で、真保さんの作品群のなかで新たな地平を切り拓いたのではないかと思います。ミステリー、サスペンスの枠にとどまらず、歴史小説や冒険小説など、これまで多彩な小説を生み出してきた真保さんですが、真保さんの小説にはシリーズ物がありません。それはなぜでしょうか。
真保 私の作品でシリーズと呼ばれているものに「小役人シリーズ」というのがありますが、主人公がいわゆる小役人≠ナあるというだけで、同じ人物が主人公ではありません。実際、先輩の作家からも「シリーズ物を書いたほうがいいよ」というアドバイスをいただいたこともあります。シリーズ物を書いたからこそわかることもあるだろうと思いますし、ことさら避けているわけではありません。ただ、映画を見ても、なかなか続編に名作は少ない。誰もが面白いと思う物語を書いていきたいので、なかなかシリーズという形にはたどり着かなかっただけです。
── しかし、作品ごとに幅広いジャンルでご執筆されるというのは、ご苦労もあるのではないでしょうか。
真保 毎回異なる舞台設定を構築して物語を書くというのはもちろんたいへんなことです。皆に面白いと思ってもらえる物語を作りたいという半面、常に新しい物語を作り出さなくてはならない苦しさがある。これは諸刃の剣ですね。
── 九一年に『連鎖』で江戸川乱歩賞を受賞されてデビューされてからずっと、真保さんには新たな物語のジャンルを開拓するイメージがあります。
真保 小説をジャンルで縛る必要はないと思います。言うならば、書き手自身が一つのジャンルを体現するということなのかもしれません。どういう物語を書こうとも、作者の根本となる核の部分があらわれてくるのは間違いがないので、何とか手を替え品を替え、読者を面白がらせようと努力しているつもりです。書きたいアイディアはまだまだあります。物語の数だけ書き方がある。それはその都度考えて、選択していくしかないですね。
── 今後の執筆の予定を教えて下さい。
真保 徳間書店の雑誌「読楽」の四月号から、連載が始まりました。「赤毛のアン」にあこがれていた、親のいない女の子の物語です。タイトルは「赤毛のアンナ」です。ご期待ください。
── 楽しみです。今日はありがとうございました。
(三月四日、東京都杉並区にて収録)
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