夢枕獏(ゆめまくら・ばく) 1951年、神奈川県小田原市生まれ。東海大学文学部卒業。77年、SF文芸誌『奇想天外』に掲載した 『カエルの死』でデビュー。以後、「キマイラ」「魔獣狩り」「餓狼伝」「陰陽師」などのシリーズがベストセラーとなる。89年『上弦の月を喰べる獅子』で第10回日本SF大賞、98年『神々の山嶺』で第11回柴田錬三郎賞を受賞。この度、1983年に連載を開始した「魔獣狩り」シリーズ(祥伝社)が『完結編 倭王の城』(上・下)をもって完結。
── 一九七七年に執筆が開始された超伝奇小説「サイコダイバー・シリーズ」が、十一月刊行の『新・魔獣狩り13(完結編・倭王の城 下)』をもって完結しました。総部数四百三十万部を超える大ヒット・シリーズの完結について、まず感想をお聞かせください。 夢枕 成り行きで長期の連載になりましたが、やはり三十三年を必要とする作品だったと思います。自分が生きていられたことに感謝したい。この三十三年間に、僕は数度、命に関わるような目に遭っていますからね。 ── 〈精神ダイバー〉とは、人間の精神の中に潜入し、そこにある情報や秘密を探り出す仕事をする人のことです。主要人物のうち、九門鳳介と毒島獣太は超A級の精神ダイバーですが、「精神ダイブ」という発想はいかにして生まれたのでしょうか。 夢枕 このシリーズは、山岳小説『神々の山嶺』と兄弟作品なんです。そもそもの始まりは、世界で最も高い山に登る話を書こうと考えたことでした。世界中が測量され尽くしていて、エベレストより高い架空の山を地球上に設定するのはリアリティに欠けるから、人の意識の中に数万メートル級の高い山がそびえていて、愛や憎しみなどさまざまな感情のハーケンを使って、意識の山に登るアイデアが浮かびました。祥伝社からノベルスの書き下ろしを依頼され、空海のミイラに精神ダイブをする話を書き始めたら、百五十枚を超えたところで行き詰まってしまった。連載で書くことにして『魔獣狩り』が始まりました。地球上の最高峰エベレストに登る話は、『神々の山嶺』へと分化していきました。 ── キャラクターが非常に魅力的です。 夢枕 僕は漫画が好きで、漫画より面白いものを書きたいと考えていました。当時はキャラクターを立てる≠ノはどうすればいいかを非常に考えていた時期で、腕ききの精神ダイバー・九門鳳介、美貌の天才僧・美空、復讐に燃える巨漢・文成仙吉という三人のヒーローを作り、僕の持っている全ての要素を三人に注ぎ込みました。気配が透明な、空海的≠ネ気分は九門鳳介に、憧れの美形キャラは美空に、人間くさく屈託の強い部分は文成仙吉に。文成という人間を誤解せずに書き進めれば、面白くなると思いました。『魔獣狩り』は全三巻で完結しましたが、この主人公でまだまだ書ける感触が僕にも編集者にもあり、一人ずつを主役に長編を三作書いて、『新・魔獣狩り』へと繋がっていきました。 ── それで三十三年の長期連載に。 夢枕 徐福がもたらした「秦の始皇帝の黄金」を求め、卑弥呼の墓を探す設定で『新・魔獣狩り』を始めたら、中国から日本にわたる黄金伝説の壮大な通史を描くことになりました。完結に向けた具体的な構想は、京都の宿にこもって練りました。川が流れていて、鮎が見えたが釣りに行かなかった(笑)。九月、自宅で書き終えて、「完」と記し、ビールを少し飲んで、「魔獣狩り、完結」という短いメールを数人に出しました。長い旅の終点と同じで、疲れ果てているんだけれど、いちばん楽しい時間でしたね。書き始めて二十年目でラストのイメージが見えてからは、どうしたらそのラストに辿り着けるかを十年以上考えていました。結局、勢いとパトスと、言葉の魔法を使うしかないと思いました。詩や小説の言葉は、書く過程で最善のものが出てくるものですから、言葉の力を信じて、出たとこ勝負で行こうと覚悟を決めました。 ── 「言葉の力」を信じていた。 夢枕 作中のさまざまな場面が、日常生活の文脈では辿り着けない場所でしたね。書く過程で出てくるし、それに、予想がつくようなものでは面白くない。小説を書いていていちばん面白いのは、書く本人さえ意図しなかったものが出てくるときです。それは、一行手前で出てきます。ぱっと生まれて、次の一行でそれを書けば、一気に物語が展開します。脳の中でエンドルフィンが出た瞬間だと思いますが、この脳内物質は心地よくて、大好きな時間が流れているなと感じますね。僕は、釣りも好きですが、いちばん好きなのは小説を書くことです。締め切りが迫って、あと一日で何十枚書けというのが苦痛なだけで(笑)。 ── シリーズ第一期の『魔獣狩り』を新装版で読むと面白くて、二十年以上前の作品なのに古びず、時流の影響を受けていません。 夢枕 「時代性」というのが苦手で(笑)、いかがわしい宗教団体の存在と、復讐心に取り憑かれた文成らヒーローが、空海のミイラをめぐって三つ巴の闘いを繰り広げる展開に集中したのがよかったのかもしれない。時代性を反映しているのは、赤軍派をイメージした「黒士軍」の存在ぐらいで、それも冒頭だけです。ただ、連載を始めた頃になかった携帯電話について、どうしようか悩んで、後半はやはり入れざるを得なくなりました。 ── 三十三年間を振り返って、どのような社会状況の変化を感じられますか。 夢枕 伝奇小説が、ノベルスの中で一ジャンルを築いた時期があって、八十年代から現在まで、伝奇ノベルスをずっと書き続けている作家は、僕と菊地秀行さんの二人ぐらいでしょう。今回、シリーズを終わらせるにあたって感慨深いものがありました。『新・魔獣狩り12』の中で、〈われらは、滅ぶものじゃ……〉と、猿翁が文成に言う場面がありますが、何げなく書いたこの台詞に僕自身の気持ちが乗っかり、そういった台詞を書くたび、「ああ、ひと仕事終えつつあるな」と思いました。むしろ心地いいんです。「山の話はもう書けないな」と思うほど『神々の山嶺』に入れ込んだときと同じで、伝奇小説を書ききった気持ちが、僕の中にある。ちょっと象徴的に、〈われらは、いずれは滅ぶものにござります〉といった台詞を書いた。そして、また新しい小説に取り組みたいんですね。 ── このシリーズには、古代史についての解釈が書き込まれていますが、超伝奇小説を書きながら日本の古層を掘り起こして、どんな印象がありましたか。 夢枕 このシリーズを書き始める十年くらい前から、僕は空海という人物に関心を持っていました。空海の持つパワーが、このシリーズに深みと奥行きを出してくれた気がします。空海は、紀伊半島という古代の神々の神域に入り、当時最先端の思想だった真言密教を中国から導入し、高野山を開きました。大日如来という宇宙原理を基盤にする密教の前では、仏教も神道も、縄文の神々も、全てが同じ位置づけになる。当時の中国、日本の全体像が、空海には見えていたと思います。二十四歳で『三教指帰』を書いてから、三十一歳で唐(中国)に行くまでは、空海の空白期間です。彼は、大和朝廷によって分住させられた佐伯氏の末裔ですから、先祖が東北の人で、坂上田村麻呂の東北遠征に空海が同行した設定もあり得ると、さまざまな解釈を書き込んでいきました。日本の成立は、朝廷が東や北を征服していった歴史です。また、大国主命を祀る出雲大社をはじめ、滅ぼした相手を次々と神様にしていった文化があったと思います。神道の中には、古代の歴史の痕跡がたくさん残っている。それを俯瞰し、絵解きしていくために、空海の存在は重要でした。 ── 今後の執筆予定を教えてください。 夢枕 二〇〇八年に『東天の獅子』、今回『魔獣狩り』が完結し、『大帝の剣』もそろそろ終わります。一九八二年に始めた『キマイラ・吼』シリーズは、生涯小説≠フつもりで、死ぬまでやろうと考えています。問題は、十代の主人公を、自分が七十歳になっても照れずに書けるかどうか(笑)。年齢的に考えて、新たに書き始める小説は千〜千数百枚で終わるものにしようと思っていますね。直近の新作では、『源氏物語』を素材にした話を構想中です。いろいろな構想が頭の中で渦巻いていますから、再来年には、新しい作品が増えていると思います。