米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 1978年岐阜県生まれ。2001年『氷菓』で角川学園小説大賞奨励賞(ヤングミステリー&ホラー部門)を受賞しデビュー。『氷菓』『遠まわりする雛』などの「古典部」シリーズと、『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』から続く「小市民」シリーズなどで高い人気を誇る。10年「このミステリーがすごい!」で作家別得票数第1位を獲得。著書に『ボトルネック』『追想五断章』『さよなら妖精』『犬はどこだ』などがある。この度、東京創元社より『折れた竜骨』を上梓。
── 新刊『折れた竜骨』は十二世紀のイングランドの東、北海の中央に浮かぶソロン諸島の領主殺害の真犯人を突き止めていく長編ミステリです。特徴的なのは本格推理小説であると同時に、魔術で操られた暗殺者〈走狗〉をはじめ、呪いや不死の人間が跋扈するいわゆるファンタジーの世界を舞台にしていることです。 米澤 ミステリというジャンルでは謎と解決の論理性が機軸になりますが、その論理は必ずしもこの世のものでなくていい。特別なルールを持ち込んだとしてもそのルールがミステリの全体に馴染んでいるか、定義されうるものであれば魅力的なミステリが成立する、ということを諸先輩の作品で学びました。巻末でもふれていますが、山口雅也先生の『生ける屍の死』や『キッド・ピストルズ』シリーズ、西澤保彦先生の『七回死んだ男』などです。いつか自分も特殊設定のミステリを書きたいと考えていました。では諸先輩が書かれていない分野は何だろうか、と考えて剣と魔術の世界を発想しました。 ── 十年前にご自身のウェブサイトで発表された作品のリライトですね。 米澤 原型になった物語は現世と繋がりのない異世界を舞台にしたハイファンタジーを用いたミステリでした。しかしミステリを成立させるためにファンタジーの世界を作ったので、設定そのものがミステリに奉仕しすぎていたんです。これはウェルメイドではないか、作りこみすぎかなと考えてリライトしました。 ── それで十二世紀のヨーロッパに時代設定された。 米澤 原型の作品は「海からくる脅威」がミステリ上欠かせない要素でした。現世を舞台にする上で、ヨーロッパで、海からの脅威があった時代を考えたところ、古代の地中海にいたフェニキア人、カリブの海賊、ヴァイキングの時代が挙がりました。しかし、フェニキア人の時代だと時代が古すぎて読者が想像しにくい。カリブにすれば幽霊船という魅力的な装置が使えますが、その時代の兵器である大砲や銃は、剣と魔術の世界を打ち破ってしまうのではないか、新大陸アメリカは呪いが人を脅かす世界にそぐわないのではないか、と考えヴァイキングの時代に決めました。その時代は個人的に好きで調べていましたし。 ── 探偵役はホームズとワトスンのようなコンビですね。 米澤 魔術と推理の同居、読者に馴染みの薄い十二世紀のヨーロッパという舞台に、王道のコンビを登場させることで読者に物語に入って貰う狙いがありました。探偵と助手がいて、助手の視点で物語を書くのはシャーロック・ホームズなどの伝統的な手法です。助手は近くで探偵の行動を逐一見ている、しかし思慮の浅さから探偵の知ることを全ては知り得ない、これが物語の面白さに繋がります。今回、探偵も助手も魔術や呪いの知識を持っていることから、彼らを語り手にしてしまうと中世的なベールを被せづらいと考えました。そこで一歩引いて見る人物として領主の娘アミーナを語り手にしました。 ── アミーナを十六歳に設定した理由は。 米澤 ジュブナイル的な観点からではありません。当時の世相では「青年」という概念はないんです。子供でなければ働き手である大人になります。身分の高い女性であれば政略結婚を待っている身です。曖昧な年齢が存在しない時代に敢えて子供と大人の間に位置する立場を設定しました。 ── ソロンが海洋都市で、交易経済が成立していることなど、ソロン島の地理、人物の衣装、市場や当時の風俗など細かく描写されていますね。 米澤 高校生が登場することの多いこれまでの作品では調べてきた資料を盛り込む機会がなかったので、今回喜んで書けたと思います。好きな分野でしたので、際限なく書き込んでしまったかもしれません。原型の作品は三百枚程度の作品でしたが、ミステリとして説得力のある形、エンターテイメントとして充分に楽しんで貰える形を模索するうちに九百枚まで膨らみました。細部を認めていただけるのは修正したかいがあったなと思います。 ── 領主を殺した〈走狗〉は誰なのか、という直線的なテーマに、呪われたデーン人捕虜の失踪、ファルクの毒殺未遂、デーン人の襲来などの事件が、物語の行方を混沌とさせます。 米澤 鍵のかかった塔に囚われていたデーン人が消える、という謎が出てきますが、最初にリライトしたバージョンではメインの領主殺しの謎には関わらない事件なので、ミステリ的な謎と解決を盛り込んでいなかったんです。単純に脱獄し、後で現れるという。ところが「領主の館」「塔」「捕虜」「失踪」といった美味しいシチュエーションを、なぜミステリにしないのだと意見があり、脱走不可能な密室にしました。それから、最後にデーン人が船で襲ってくる場面があるとは思わなかったという感想を貰いました。ミステリであれば「デーン人が来る」という不穏な空気を醸すなかで事件を解決していくのでしょうけれど、読者に楽しんで頂きたくてあの場面を入れました(笑)。 ── 〈走狗〉の疑いがある傭兵たちが戦闘場面でそれぞれの見せ場を作ることで読者を揺さぶります。描写も、細部が際立ちます。 米澤 あの場面はまずミステリとしての手がかりを事前に出す目的がありました。しかし、小説として戦いの場面自体を迫力のあるものに、雰囲気を匂いたつようになればと願いながら描きこんでいきました。元々は北海での海戦の設定だったんです。しかし船戦ではヴァイキングに太刀打ち出来ないだろうと考えて上陸戦に変えました。ミステリだけではなく娯楽として楽しめる場面になったと思います。 ── 今回手ごたえを感じた点はどこでしょうか。 米澤 自分の得意分野であり知識もあった中世のヨーロッパの世界と、ミステリとしてフェアであることを融合させるのに気を遣いました。この時代の人は「何時何分」という時間の概念がないので、ミステリとしてアリバイが使えない。「十五分前にそこを通っていった」という証言が出来ないんです。それから、探偵が知らない魔法が存在する可能性があります。もし未知の魔法や毒物があったとしても、それでもフェアなミステリの論理性で犯人が特定できるように導くのは通常のミステリよりも手間がかかるものでした。絶対に避けなければいけないのは、読者が「どうせこれは魔法だから」と論理的に考えるのを放棄することです。そうなるとミステリを読む面白みは十分の一になってしまう。手がかりは提示してある、考えれば謎は解ける、ルールに則っている、そのことを読者と作者が共通了解を得るように最後まで苦慮しました。 ── ミステリの面白さは読者との知的遊戯なんですね。 米澤 はい。もう一つ、建築物のような論理の美しさがあります。仮にプレハブでも建物は建つし、人は住めますが、美しいとは言えない。設計図があり、土台をしっかり造って建てていかなければ美しい建物にはなりません。物語を書く部分はクリエイションとして存分に筆を振るえる。しかしミステリとしての論理構築は精緻に組み立てなければならないんです。その二つを融合させて書くのがミステリだと思います。解決編を書くのはミステリを書く醍醐味です。それまでに投網を投げるようにあちこちに伏線を張っています。それをぐいと引っ張ると謎が解決して真相が判る、と同時にそれまで登場人物が抱えていたものも解決する。この二重構造がうまくいくとミステリを書く手ごたえを感じます。 ── 今後の予定を教えていただけますか。 米澤 「小説新潮」で「リカーシブル」という長編小説を連載します。父親をなくした家族が母親の実家に戻ってくる。母には子供が二人いて、弟は初めて見る場所なのに見覚えがあると言い出す。そこから次々と不思議な事件が起こっていく──という地方都市を舞台にしたミステリです。楽しみにしていてください。