鴻上尚史(こうかみ・しょうじ) 作家・演出家。1958年愛媛県生まれ。早稲田大学法学部出身。81年に劇団「第三舞台」を結成し、作・演出を手がける。95年「スナフキンの手紙」で第39回岸田國士戯曲賞受賞。演劇公演で他に第22回紀伊國屋演劇賞、第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞などを受賞。2007年より若手俳優を中心とした「虚構の劇団」を主宰。舞台公演のかたわらエッセイスト、ラジオ・パーソナリティ、テレビ司会、映画監督など幅広く活動している。著書に『ヘルメットをかぶった君に会いたい』、『僕たちの好きだった革命』、『「空気」と「世間」』など。この度、『八月の犬は二度吠える』(講談社)を上梓。11年11月、01年より10年間活動を封印していた「第三舞台」の復活公演を予定。
── 『八月の犬は二度吠える』は、京都の寮で大学浪人時代を過ごした人々が二十四年ぶりに結集し、大文字焼きの大の字を「犬」にする「八月の犬」作戦に挑む物語です。この小説を書かれた経緯をまず教えてください。 鴻上 京都の予備校が契約している「西賀茂寮」というのが昔あって、一九八二年の戌年に、寮生のあるグループが実際に「八月の犬」を計画しました。当時その話を聞いて「面白いから書きたい」と言うと、計画の中心人物が「自分で書く」と言うからそのままにしておきました。二十年ほど経って、「あの話どうなったの」と聞くと、「お前にやる」と(笑)。それで、二十数年後の今に繋がる設定にして、僕が書くことにしました。 ── 鴻上さんも、西賀茂寮に。 鴻上 東京に出る前のワンクッションという考えから、一年間、京都で過ごして早稲田に進学しました。主人公の山室太一が父とタクシーに乗り、賀茂川沿いの桜吹雪に驚いたのは僕が実際に経験したこと。寮の屋上から正面のビルの女性の部屋を双眼鏡で覗いたのも実話です(笑)。「八月の犬」を計画した奴らがいたことも事実ですが、物語は全てフィクション。登場人物は、寮で出会った八十人のうち何人かの混成です。予備校の寮というのは、解放されて裸になる場所なんですよね。忘れがたいキャラクターがたくさんいました。京都という街は時間の流れ方が独特で、学生のおいた≠ノ対して優しい風土がありました。 ── 〈大文字焼き、戌年の来年だけ、犬文字焼きになったら面白くないか?〉。山室の発案で若者たちは盛り上がるが、悲劇が起きて計画も仲間の絆も崩壊する。二十四年後の戌年、山室は音信不通だった長崎省吾に呼び出され、〈もう一度、『八月の犬』をやりたい〉と頼まれる。青春時代と絡めて、二十四年後の「八月の犬」計画が綴られます。青春時代と今との対比は意図されましたか。 鴻上 もちろん。昔、「八月の犬」の話を聞いて書きたくなったのは、無意味なことに熱中する青春の爆発、チャレンジ精神に惹かれたからでした。ただ、そのような行動を、大人になってもできるのだろうか。若い頃に「八月の犬」をやるのはノリで済んでも、大人になってやる場合はそれまで築いてきたものが灰燼に帰すような、しゃれでは済まされない困難さが生じます。二十数年前に書いていたら、単なる青春痛快小説で終わっていたでしょうね。時間が経過してかえってよかったのは、若い頃とは別のチャレンジを書けたことでした。仕事を持ち、家族を背負っている奴らが、改めて「八月の犬」に挑む困難さと面白さを書きたいと思いました。 ── 今の学生に比べておいた≠ェ過ぎる気がします。 鴻上 元気だよね。君らにも語るべき何かがあるか、こじんまりすると面白くないよ、という気持ちもあって、若い人にこの小説を読んでもらいたいですね。でも、もっと上の世代からみると、僕らの世代だっておとなしくみえるのだと思います。六十年代の世界的な若者ムーブメントの方がもっと度肝を抜いていて、以降はどんどんこじんまりして、無茶が許されなくなってきている。 ── 学生運動が吹き荒れた後の世代です。 鴻上 そう。だから、上の世代の破天荒ぶりが悔しかったの。八十年代、僕は早稲田大学の大隈講堂の前にテントを建てて芝居をやっていたんだけれど、学生運動の時代は大隈講堂の中で焚き火をして芋を焼いて食べたとか、大隈講堂前にピアノを置いてそれに火をつけて山下洋輔さんに演奏してもらったとか、伝説として聞いているんですよ。それに対して、自分たちのおとなしさや行儀よさが悔しくて、無理してはしゃいだ最後の世代だったと思います。それがだんだん、そんなに無理しても得るもの少ないんじゃないの? 傷つくからやめたほうがいいよ? と、賢く醒めていった。 ── 二十四年後の「八月の犬」に対し、当時の仲間で公務員になっている関口は〈犯罪を犯したらあかん〉と言う。もっともとはいえ、悲しい反応です。 鴻上 まあ、人生だから。悲劇と喜劇が同時に存在するのが人生だと思います。面白うてやがて悲しき≠ニいう順番ではなく、ある出来事が悲劇にも喜劇にも解釈できるのは人生の本質で、そんな人生をうまく描けたらいいなと思っています。そんなことを言っていた関口が大文字山に現れるのは、そうしないと一生後悔するだろうと彼自身が思ったんでしょう。悩むことを諦めていないから、関口はまだ仲間たちとつき合える。自分がどんな人生を選ぶか、考えることを諦めてしまったら、もうみんなと一緒には何もできなくなる。大人になっても、気持ちの問題だから。 ── 小説作品としては三作目です。 鴻上 小説を書くと言いながら忙しくて、連載なら書けることが分かりました。芝居が忙しければ休載してもいいと言ったのに、ほとんど休ませてくれませんでした(笑)。 ── 演劇と違う小説のよさは。 鴻上 出番が少なくても登場人物が文句を言いに来ないこと(笑)。戯曲と小説は全く違います。演劇の場合は、最後に俳優がどんな決めぜりふを言うかが快感ですが、小説はそのせりふを言った後に、どんな描写や地の文があるか。描写と地の文の快感が、小説の醍醐味じゃないかと思います。 ── 書き手としてキャラクターを自由に動かせる万能感はありますか。 鴻上 あんまりないです。芝居で無茶なせりふを書くと、役者に飲みに誘われて「これ、ないと思うんですよね……」と言われますが、小説のキャラクターも、こっちに行けと言ってもどうしても行かないときがありますね。長崎の願いを山室が引き受けるとしても、どうなるか結論ありきでは進まないので、それぞれのキャラクターと会話しながら進めていきました。 ── 二十四年間の時空を描いて、その間の時代の変遷については。 鴻上 若者のエネルギーの総量は変わっていないと思います。かつて子どもたちは親に対して暴れましたが、インターネットの向こうにいる人と出会うようになって、家庭内暴力や対社会的にエネルギーを出すことが減った。ネットの影響は大きく、快適で面白いのだから、それを捨てて出てこいと言っても簡単には出てこない。「スナフキンの手紙」(一九九四年上演)のときかな、観客のアンケートに「ネットの一番の問題点は、簡単に慰められること」と書かれていました。簡単に慰めてくれるものがあれば、わざわざ外に出て傷ついたり、戦ったりしません。ここで問題は、簡単に慰められることが本当の満足なのかどうか。やっぱり、特定のリアルなひとりを求めてしまうのが人間のようで、その気持ちをどうしたらいいのか。ただ、ものを作る場合は、自分がどう思っているかがもの凄く大事です。ネットサーフィンを楽しみながら、でもやっぱり特定の誰かに会いたいよねと思う自分がいる。いい小説を読んで、短い時間なのに人生をひとつ経験したかのような厚みを感じるとか、芝居なら、脳がショートするような感覚とか、そんな経験をする自分がいます。パソコンの前だけにいちゃ面白くないぜって僕が思うから、もっと面白いものを探す。自分で思わないことをやると、単なる社会評論になります。僕はいつも、もっと面白いものをやりたいだけの話だから。 ── 今後、演劇と小説の比率は。 鴻上 両方ともやりますが、時間がなくて困っているんですよ。封印して十年が経った「第三舞台」の芝居を、今年十一月にやります。その前に「虚構の劇団」の公演が四月八日からで、戯曲を書かないといけない。「アンダー・ザ・ロウズ」とタイトルだけ決めて、まだ書いていません(笑)。目の前に飛んできた球を打つように、粛々と仕事をしています。