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『月と蟹』 道尾秀介さん
インタビュアー 青木千恵(ライター)
「新刊ニュース 2011年4月号」より抜粋

道尾秀介(みちお・しゅうすけ)
1975年生まれ。東京都出身。2004年『背の眼』で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞しデビュー。06年『向日葵の咲かない夏』で第6回本格ミステリ大賞候補。07年『シャドウ』で第7回本格ミステリ大賞、09年『カラスの親指』で第62回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞。10年『龍神の雨』で第12回大藪春彦賞、『光媒の花』で第23回山本周五郎賞を受賞。09年より『カラスの親指』『鬼の跫音』『球体の蛇』『光媒の花』が連続して第140〜143回直木賞候補となり、5回目の候補となった『月と蟹』で第144回直木賞を受賞。

第144回 直木賞受賞作
『月と蟹』
道尾秀介著
文藝春秋
1,470円

『カササギたちの四季』
道尾秀介著
光文社
1,575円

『光媒の花』
道尾秀介著
集英社
1,470円

『球体の蛇』
道尾秀介著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
1,680円
『鬼の跫音』
道尾秀介著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
1,470円
『龍神の雨』
道尾秀介著
新潮社
1,680円
『カラスの親指』
道尾秀介著
講談社
1,785円
『プロムナード』
道尾秀介著
ポプラ社
1,365円
『向日葵の咲かない夏』
道尾秀介著
新潮社(新潮文庫)
660円

── 直木賞受賞おめでとうございます。まずは、受賞の感想を教えてください。

道尾 ずっと応援してくれていた書店員や編集者の人たちが、受賞を願ってくれていたので、恩返しができてよかったです。これでみんなをやきもきさせなくて済みます。僕自身は、落選後の残念会≠ェ毎回楽しかったし、半年の間に発表された凄い数の小説から選ばれて、五、六作の候補の中に入れてもらえる喜びがなくなりますから、「もう終わりなんだな」という感慨があります。実は、受賞が決まってから、取材の対応で忙しくなってしまい小説を書けていません。デビュー前もあわせてここ十年、二週間も小説を書かないのは初めてです。取材に応えるのも恩返しの一つではあるのですが、早く通常営業に戻りたいですね。

── 受賞作『月と蟹』は、海辺の町に住む少年たちのひと夏の物語です。この物語を書いた端緒は。

道尾 「道尾秀介の書く子どもが読みたい」と編集者に言われたのと、これまで使ったことのなかった海を舞台にしたいと思いました。子どもと海といえばヤドカリ、ヤドカリといえば岩場、逗子、葉山あたり、鎌倉の神社仏閣と、イメージが繋がっていきました。物語がおぼろげに浮かんだ時点で冒頭を書き、鎌倉に取材に行きました。小説を書く前に取材旅行をしたのは、この作品が初めてです。見たもの全部を書かない、実際に見たものよりも想像したものの方を選んで描ける自信がついたので、行くことにしたんです。資料やインターネットでは分からない空気感が感じられて、とてもよかったですね。建長寺の裏山にある「十王岩」は風格があって、不気味で。いくら風が吹いても、小説のように岩が呻ったりはしなかったですけどね(笑)。

── 主人公の慎一を初めとするキャラクターを、どう造形していかれましたか。

道尾 僕は、だいたい登場順に造形していきます。この作品では、慎一と春也が最初にいて、父親が亡くなり、母親が血の繋がりのないお舅さんと同居している慎一の家庭環境を考えました。本ではまず、祖父の昭三が出てきますが、最初に書いたのは慎一と春也が岩場で遊んでいる場面です。秘密の場所で子供が遊ぶ最初のイメージに、彼らの寂しさ、悲しさ、やるせなさを込めました。そこに込めたテーマは、読者にはまだ分からない。それを徐々に物語で伝えていったんです。

── 慎一も春也も家庭の中で理不尽な状況に置かれている。そこから逃れられないやるせなさがひりひりと伝わってきます。

道尾 たとえばミステリー小説であれば物語にトリックが入ってきたりしますが、『月と蟹』については、トリックを入れない方が、主人公たちの感情やテーマが伝わると思いました。ただ、仕掛け自体の魅力もありますから、今後ずっとミステリーを書かないというわけではないですけどね。今回はこの書き方が一番あっていたと、読み返したときに自分でも確信できました。

── 慎一と春也は、ヤドカリを神様にみたてて願い事をする「ヤドカミ様」遊びを始めます。この発想はどう生まれましたか。

道尾 彼らに、何か儀式をさせたかったんです。丸腰の子どもが不幸や理不尽と対峙したとき、世界の中に自分の世界を作り、想像をめぐらすという武器でしか戦うことができない。その武器の引き金として一つの儀式があった方がいいと考えました。僕が子どもの頃、ヤドカリをライターであぶりだす遊びを実際にしたことを思いだして、あの行為は儀式にぴったりだと。

── あぶりだされたヤドカリの腹が千切れたり、無邪気な残酷さも感じられます。子どもと大人を書くときの違いは。

道尾 子どもは可愛くて無邪気なものというイメージは、僕にはないです。大人の目から見た子どもを書きたくはありませんでした。子どもを主人公に書くのは、大人を主人公に書くよりも圧倒的に難しい。小学五年生の語彙だけで地の文を書くと小説にならないし、難しい言葉を使いすぎると違和感が出てしまいます。今回は文章で読ませる小説だったので、語彙の選び方にはとても気を遣いました。

── 子どもの頃の感情を覚えていますか。

道尾 鮮明に覚えていますよ。誰と何の話をして、どのような感情を持ったかまで。知らない感情は一切書けませんが、感情のタネさえ体感したことがあれば膨らませて書ける。子供たちに限らず、全ての登場人物が感じているのは、僕も感じたことがある感情です。最初の五十枚分くらいを書くと、小説が生き物になってくれるんですよね。僕が俯瞰して動かすというよりは、物語の中に入り、人物たちが歩いたり、会話しているのを書き写している感覚です。

── 《お金が欲しい》とヤドカミ様に願ったら、五百円玉を拾う。そのお金でイチゴを買い、二人で食べたときは幸せだったのに、願いは次第にグロテスクなものになっていく。また慎一と春也の友情は、女生徒の介入や母親の恋愛で変化していきます。

道尾 小学五年生が主人公の場合、性的な問題が全く出てこないのはあり得ない。それに、人間が一番醜くなるのは、異性が絡んだときです。子供の方が純粋なだけに、醜くなったときのなりようは恐ろしいものがある。小学二年生、三年生だったら、親に甘えて、「お母さん、男の人と会わないで」と言えるけど、五年生だと言えない。もっと上の六年生や中学生ぐらいなら、母親が誰かと会っているのなんか無視して、ゲームでもする(笑)。甘えられず、見たくないものを無視する力もなく、身体に感情が沈殿していく。月夜の蟹は月光で海底に映った自分の影におびえ、痩せて身が少なくなるという「月夜の蟹」の言い伝えを知ったときに、タイトルを思いつきました。月は、理性や正気の象徴。蟹は、自ら生み出した化け物の姿に気づく人間たち。

── 昭三の存在が物語を救っています。

道尾 つらい状況に置かれた慎一のそばに、どんな人物がいれば彼が救いをあきらめずにいられるだろうという発想から生まれた人物です。昭三はああやってふざけながらも、もの凄い悲しみを抱えている。それを決して表に出さない強い人なんですよね。

── 「救い」は意識されましたか。

道尾 書きたい気持ちはありましたが、分かりやすい救いは書きたくない。説教がましい本になっちゃいますから。今回はオープンエンドになっていますが、多くの読者が救いのあるラストだと読んでくれた。それはきっと人の心の奥に、救われたい気持ちがあったからでしょう。ただ、能動的な読書をする人はそう読み取ってくれますが、受動的な読書をする人にはなかなか読み取ってもらえない。「救われた」とはっきり書いていないから。

── 道尾さんは、「小説にしかできないことをやりたい」とたびたび仰っていますね。

道尾 本当は、全てのページの全ての行を文章でしかできないことで埋めたい。文章でしかできないことを実践している行数やページ数の比率を増やすほど、小説のクオリティはあがります。僕が初めて小説を読んだのは十七歳くらいのときで、いまだに活字を読みなれず、本を読むと疲れるんです。自分の本も、時間と労力を費やして読まれているんだろうなという感覚が強い。そうまでして読んで、「映画みたいに面白い」では、全く意味がないです。それなら、二時間で終わる映画やドラマを観たほうがいい。映像ではできないことを小説でやりたいんです。

── 追いつめられた慎一がラスト近くで見るヤドカミ様のイメージは、映像化できないものだと思います。文章の連なりだけで、物語と人物の感情が生き物のように読者の前に現われている。書き方の工夫は。

道尾 やっぱり、どこまで文章に意識を払えるかじゃないですか。いちばん大事なのは削る作業です。僕は短編も長編も、文章量としてはいつも倍くらい書いて、最終的に半分くらいまで削っています。二歩進んで、一歩下がってを、日々繰り返しています。一回書いたものを消すのはもったいないですけれど、同じことが表現できるのであれば、一文字でも、一行でも、少ないほうがいい。絵で言えば、印象派の絵です。あれはキャンバスに近づいてよく見ると、人物の目鼻や、傘の骨が描かれていなかったりします。多くのものを削ぎ落として、必要な線だけしか引いていないのに、写真よりリアルに見えてしまう。それを文章でやりたいですよね。『月と蟹』のラストも、さじ加減が難しく、悩みに悩んで、もう少し具体的に慎一の心の動きについて書いた部分をばっさり削りました。

── 今後の抱負と、新刊のご予定は。

道尾 自分の読みたい本を自分で書く、そのスタンスを今後もずっと続けていきます。新刊は、光文社から『カササギたちの四季』が二月に刊行。「小説現代」で連載中の『水の柩』は今秋に本になる予定です。
(一月二十五日、東京都千代田区にて収録)


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