明野照葉(あけの・てるは) 東京都出身。1998年『雨女』で第37回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2000年『輪廻 RINKAI』で第7回松本清張賞を受賞し、注目を集める。ホラーやサスペンスタッチの作品を得意とし、「女の心理と狂気」を描いた独自の作風はファンを魅了してやまない。『汝の名』『骨肉』『聖域』『冷ややかな肌』『女神』『さえずる舌』『愛しい人』『家族トランプ』など著書多数。この度中央公論新社より『チャコズガーデン』を上梓。
── 『チャコズガーデン』は主人公・国友渚が暮らす吉祥寺の分譲マンション「チャコズガーデン」に、八歳のケイトたち岡地家が転居してくるところから始まります。その頃から集合住宅特有の問題が次々に起こっていきます。 明野 これまで私は個人の物語を書いてきたつもりでしたが、自分の小説には親との繋がりや血筋などを描いたものが多いことに気づきました。結局は家族というものが切り離せない、であれば家族を正面に据えて小説を書きたいと。しかし、現代は家族が本当の絆になるかと問えば「なり得ない時代だ」と結ばなければならないようです。そうなると今度はグループホームなどの新しい共同体の時代が来るのではないかと考えられます。自分が書く小説の推移と現代社会の流れが合致して、今回はマンションという建物の中で、変則的ではありますが共同体の再生を書いてみたいと考えたんです。 ── マンションの場所を東京都下の吉祥寺に設定した理由は何でしょうか。 明野 総戸数三十三、周囲に柵があり、外観がレトロで庭が広いという集合住宅は、都心では成立しにくいけれど、吉祥寺ならありそうだと考えました。井の頭公園を借景にしたロケーションもいいし。高級な店から戦後の名残をとどめるハモニカ横丁まであり、衣食住何でも揃います。少し離れるとお屋敷町があります。若い人から壮年の方まで暮らしやすい街です。 ── 渚をはじめ、岡地家や他の住民もそれぞれに秘密を持っています。事件を通して徐々に秘密が明らかになり、抱えていた欠落が補完されて人と人とが穏やかに繋がっていきます。 明野 マンションは個のプライバシーが守られて暮らせるようでいて、実はそうではないことも書きたかった。ある種の島みたいに閉じたチャコズガーデンが、一つの家、洋館になっていくというイメージがありました。小説の序盤で渚は自分の部屋を《シェルター、コクーンとして守りたい》と考えています。個のままで平和に暮らしていければいいのでしょうけど、そう行かなくなった状況では、昔の共同体のように濃くはないけれども、互いに相手の状況を配慮しつつ距離の保たれた集合体が必要なのではと考えました。 ── 渚はスペーススタイリストという職業ですが、これは実際にある仕事ですか。 明野 現代的な仕事だけども、人が考えるほど儲からない職業を創造したものです。渚は一流のアートディレクターとは違って、仕事に拘らずに結婚した人物です。現代は仕事が多種多様なので実際にあってほしい業種として考えました。 ── 作品を支える考え方に「禍福の法則(※1)」があります。これは明野さんご自身も日常で感じているのですか。 明野 作中にも書きましたが、マイケル・ジャクソンやダイアナ妃とか、脚光を浴びた人たちはその引き換えに大きな代償を支払うことになるんじゃないかと思います。私自身も小説の重版がかかったという連絡を母の具合が悪くて病院に連れて行くときに頂いたり、賞を貰ったときに叔母が亡くなったり、「禍福の法則」が一度に来るので良い報せは手放しでは喜べないところがあります。 ── 明野さんの作品には『汝の名』の陶子と久恵、『女神』の沙和子と真澄、『家族トランプ』の潮美と窓子など、仕事が出来る美女と野暮ったい女の、両極端な女性がしばしば登場し、そこに女性同士の友情、憧れなど強い感情が描かれています。 明野 「鬱屈」を描くためには先ず輝いている人を設定します。輝く人を見ている対照的な人間も必要だし、そうすれば両方の歪みが書ける。でも輝いているように見える人だって実は閉塞感を抱えていたり、鬱屈している。こんな比較は実際には成り立たないし、憧れること自体に意味はない。作品の中で主張してはいませんが、私はそう考えています。男女間の繋がりよりも女同士の方がその感覚は強いと思うんです。 ── 明野さんの小説は仕掛けた謎が次々に明らかになっていく構成を持っています。どのように書いていらっしゃるのですか。 明野 書き出す前はシナリオのように、登場人物、章構成を細かく書いたものを担当編集者に送ります。それを元に何度も打ち合わせをしてプロットを作ると、結局三十ページほどに膨れ上がります。ある編集者には「こんな多量なプロットははじめて見た」とか「いっそ最初から小説を書いたほうが早いのでは」とか言われたことがあります(笑)。でも私はその準備が出来ないと小説はスタートできないのです。『チャコズガーデン』では大事件は起きませんが、読者を引っ張っていけたのだとしたら細かいプロット作りが功を奏していると思います。 ── 作家を目指したのはいつですか。 明野 子供の頃です。国語は得意でしたが、いかにも作家を目指すような小学生ではなかったようです。社会人になると会社の矛盾ばかりを見てきました。周りの人間は「社風だ」「自分の仕事だ」と従っていた。でも私は納得しなかった。三十歳を過ぎて会社を辞め、「自分は何をしたかったのだろうか」と自問したときに、亡くなった父が「小説を書きたかったんじゃないのか」と言ったんです。それで原点に戻り、アルバイトをしながら図書館に通って、五百冊ほどの小説をノートをとりながら読み込みました。売れている本の傾向を知りたかったんです。私の書く小説の主人公は三十三、四歳で転機を迎えるのですが、私が経験した、自分の行き場を見失っていた時期と重なっています。小説を書く上で主人公の仕事は同じものにしないようにつとめています。主人公がどんな業種のどんなポジションなのかは毎回苦労して考えます。株をやっていないのに「会社四季報」を買って企業の情報を仕入れているんですよ(笑)。 ── 女性の暗部を抉る作風と温もりを感じさせる作風、二つのタイプがありますね。 明野 小説を書くのは大上段に構えて書いてしまうのですが、ユーモアも自分の中にはあるんだと思います。ユーモアがある『家族トランプ』もあれば、女性のダークサイドを見せる『契約』『冷ややかな肌』も書く。暗いことばかりでもないし明るいことばかりでもない、どちらもありの世の中。両方書いていきたいです。しかしどんな作風でも「今現在と寄り添っていたい」と考え執筆しています。新しい家族や共同体のありようを探る、否応なくそんな時代にきていると思います。そろそろ個だけでは生きていけない、年を経るとヘルパーさんが助けてくれることでコミュニティーが成立するかもしれない、そんな時代です。 ── 筆名は「明るい野、照る葉」で、同時に照葉はtell her≠燔A想します。 明野 パワーのある明るい名前をつけたいと思って決めました。そこにtell her=u彼女に告げよ」という意味合いがあると後から気づきました。 ── 『チャコズガーデン』でも、何人かが本名とは違う名前で登場します。明野さんの作品に繰り返される仕掛けですね。これは一種の変身願望でしょうか。 明野 自分の中に何かしらあるようですが名前にはすごく拘るんです。今までの自分で居たくない、殻を破ろうとしたときに、名前を変えるのは大きいと思えます。だから登場人物の名前にも拘っています。名前がその人物を規定するところがあると思います。 ── 作品のほとんどは、舞台が「東京」で「女性が主人公」です。今後も変わらないのでしょうか。 明野 これからも舞台は東京じゃないかと思います。日本の首都だし、繁華街から下町、郊外まで、東京は多様性があって書きやすいんですね。次も個と家族とをテーマにした共同体の物語を準備しています。東京の田舎で勝手に暮らしていた三十三歳の女の子が、会社が統合されるか倒産して行き場を失って家に戻ってみたら家の中でも異変が起きていた。関わっていく人たちと共同体を作るのか排除していくのか──という物語になりそうです。楽しみにしていてください。