── 新刊『マンチュリアン・リポート』は『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』に続く中国の近代史を描いた第四作目で、志津邦陽陸軍中尉が、「張作霖爆殺事件」の真相を探っていく物語です。
浅田 張作霖爆殺は河本大佐が差配したとされています。僕は彼が責任を被っただけで関東軍全体の謀略ではないか、日本の参謀本部までが関与しているはずだと考えた。そうなると蚊帳の外は昭和天皇と政府閣僚だけになる。事件当座、田中義一首相の動揺の仕方を考えると彼は知らなかったと思う。天皇が明晰な考えを持っていたとしたら、リベラルな思考の人物を呼び、事件の真相究明を命ずるだろうと考え物語を発想しました。
── 志津中尉の人物造型はどのように考えたのでしょうか。
浅田 日本が悲劇的な歴史に進んでいった、最初のポイントが言論表現の弾圧だと考えます。志津中尉が治安維持法改正の憤懣を文書に託して配布した行為、これは僕の創作ですが至極尤もなことだと思う。知識人は皆ここで間違えると大変なことになるぞ、と考えなければ嘘だと思います。士官学校は物を考えないように純粋培養させる所です。彼らは帝大に入るよりも難しい試験を受けて入ったエリート中のエリートだから、純粋培養されたとしても一人や二人は良識を持った人間はいたと思う。志津を書きながら気を付けたのは二・二六事件や五・一五事件の青年将校の見識とは違う、よりリベラルな人物として捉えました。
── 志津中尉は報告書で、天皇を「あなた」と呼びかけます。ここは思い切った点ではないでしょうか。
浅田 あそこで「陛下」と呼びかけてしまったら、芯棒がずれ るでしょう。小説の中で昭和天皇が《書簡中に上下の儀礼は一切無用とする》と命じ、志津もその言葉に甘えたことにして報告をする。これはありえませんよ。ある筈のないものをあったこととして書くのが小説です。歴史物を書く上で嘘は大切です。嘘がつけないようなら評伝かノンフィクションを書くしかない。ただし史実を曲げてはいけない。
── 特徴的なのは、イギリス製の蒸気機関車「龍鳳号」こと〈鋼鉄の公爵〉に人格を与え、「鋼鉄の独白」として適宜、志津の報告書に挿入させる構成です。
浅田 僕は年に何度も中国に取材に行きます。北京の郊外の鉄道博物館を見学した時に広大な倉庫に列車が何台も並んでいる様子を見た時の印象が強かった。一九二〇年代、三〇年代の機関車は信じられないくらい巨大なんですよ。その大きさが鋼鉄の公爵のイメージに繋がりました。
── 北京駅に到着した公爵は、構内の並居る列車を睥睨しますね。
浅田 蒸気機関車というものは産業革命の象徴的存在なんです。彼が並居る列車を睥睨したのは産業革命が生み出した近代という時代そのものを睥睨した。だから人格は貴族の高飛車な造型になるのです(笑)。もう一つ、『中原の虹』全四巻を通じて張作霖の視点は一度もなかった。全部客観描写で「張作霖はこう思った」とは一度も書いてないんです。全て誰かから見た張作霖像が描かれている。そのスタンスを今回も崩さずに書くには、車内という密室劇に他の語り部が必要になってくるのです。
── 張作霖は奉天に向かう車中で公爵に語りますね。
浅田 『中原の虹』で固めた張作霖のイメージは、先ず勘のいい人物だというものです。世の中が平和な時に勘は必要ない。世の中が不安定になればなるほど人は博打うちになる。その中で生き残り、出世した奴はどんな能力よりも先ず勘が鋭かったと思う。張作霖のヒーロー像も大切にしたかった。彼は人生の要所要所で勘を発揮してきた。日本の歴史を顧みても、戦国武将は戦力や戦術以上に勘のいい奴悪い奴で勝敗が決まっているでしょう。
── 張作霖とともに事件に巻き込まれた吉永将中佐は《暗い翳り》を持った人物として登場します。
浅田 昔は好青年だったのに(笑)。今回書くに当って『中原の 虹』における吉永がどんな人物だったか、何度も読み返しました。彼は張作霖と行動を共にしていく中でいい大人になった。その彼が、事件に巻き込まれてどう変わったのか考えました。結局ショックで神経衰弱になり、事件の様子を語れない。しかし何かを伝えようとしている。真相を語れる人物は彼しかいないのだから「終章」で、シリーズの象徴的な人物に出会わせたのです。
── 第三信で志津は事件を《謀略の範囲を逸脱した、軍事行動と断定》します。
浅田 軍事行動であっただろうというのは僕の推理です。僕は自衛隊に居たので基礎軍事学を教わっている。あれだけの事件を成功させるためには必ず何処かで演習をしているはずです。当時の朝日新聞をくまなく調べると、鉄橋が落ちる小さい記事が二度あった。ソ連のスパイによる事件だと結論が出ていたけれども、これは間違いなく予行演習だろうと思った。そういう資料調べが一番面白い。そんな推理を働かせていくと関東軍全体の軍事行動ではなかったかと思い至るわけです。陸軍将校は特殊な人たちです。十三歳程で寮生活に入り、純粋培養されると異常な連帯感が生まれて異常な人間が出来上がる。だからその後の戦争というものも異常な連帯感が扇の要になっているのは確かなことです。それを理解しないと歴史は分らないと思う。
── 『マンチュリアン・リポート』には三つの死が描かれています。張作霖、鋼鉄の公爵、そして祖先から享け継いだ大和魂と武士道の死です。
浅田 爆発があった皇姑屯のクロス地点に、日本人の日本人たるモラルをぶちまけてしまった。それまでの歴史で日本という国は騙まし討ちをしなかった。日露戦争では、日本は正々堂々とした戦いをして国際的に評価も高かった。そのモラルをわずか二十三年で忘れて、結果張作霖の爆殺を起こした。これは小説のテーマです。張作霖は自分自身の危険も察知していただろうけれど、日本人のモラルを信じていたと思う。日本はそれに背信をした。
── 『中原の虹』執筆は張学良が亡くなるまで待っていたと発言されています。歴史上の人物への敬意でしょうか。
浅田 張学良に係わらず当時を生きた全員に対しての配慮はあります。そうした点で、父である張作霖が主人公になるの で執筆は控えていました。息子の張学良は偉大な人物だと思います。毛沢東や蒋介石は、彼らがいなくても代わりはいる。しかし張学良の代わりはいない。「国共合作(※)」は彼がいないと出来なかったし、今の中国はなかったはずです。今後の物語は張学良を中心に回るでしょう。彼には張作霖より人間的なイメージを持っています。グレたり、阿片中毒になったり(笑)。
── しかしながら次回作は暫らく間が空くとも語っていますね。
浅田 ある日突然、毛沢東が否定される可能性はある。次の作品は近代に係わってくるわけで、嫌でも毛沢東や共産軍が出てこざるを得ない。中国の、方向だけでも見届けたいと思います。中国の行方を横目で見ながら小説を書くのは痺れますよ。これは歴史小説であり同時進行の物語なんです。作家としてこれ以上の醍醐味はない。
── 浅田さんは直木賞の選考委員を務めています。その選評は個々の作品の評価だけでなく、文芸というものへの使命感が感じられます。
浅田 僕の評価は辛口だと思う。でも自分を振り返ると、褒められた言葉よりも貶された言葉のほうが成長させてくれた。我々は言葉を持ったことで猿から人になったんです。言葉という聖火を持っているのは小説家だと思う。ホメロスの時代から三千年、聖火が受け継がれてきたことで現在の僕たちがいる。だから後進と思しき人には聖火を渡さなければならない。聖火を絶やしてはいけないんです。その責任は感じています。
※国共合作:中国国民党と中国共産党が結んだ二度の協力関係をいう。第一次(1924〜27)は北方軍閥とその背後にいる帝国主義列強に対して、第二次(1937〜45)は日本帝国主義に対して統一戦線が組まれた。前者は国民革命(北伐)において、後者は抗日戦争において決定的役割を果たした。
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