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藤野 千夜(ふじの・ちや)
1962年福岡県生まれ。千葉大学教育学部卒業後、出版社に勤務。95年『午後の時間割』で海燕新人文学賞を受賞してデビュー。日常を軽やかに描きながら、すべてをやさしく抱きとめるような空気感を持ち、98年には『おしゃべり怪談』で野間文芸新人賞を、2000年には『夏の約束』で芥川賞を受賞。主な著書に『少年と少女のポルカ』、『恋の休日』、『ルート225』、『彼女の部屋』等がある。 |
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『ベジタブルハイツ物語』
光文社
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『夏の約束』
講談社文庫
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『ルート225』
新潮文庫
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『彼女の部屋』
講談社
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『恋の休日』
講談社文庫
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『おしゃべり怪談』
講談社文庫
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石川 藤野さんの新作『ベジタブルハイツ物語』は、各部屋に野菜の名前の愛称がつけられた二階建てアパートで暮らす住人達のエピソードと、大家の家族、とりわけ長男・タカシと妹・さやかの物語を平行して描いた短編連作集です。
藤野 芥川賞をいただいてから約一年ほど、ずっと一つの作品『ルート225』にかかりっきりだったんですが、ようやくそれが終わって、久しぶりに雑誌に書いた作品が『ベジタブルハイツ物語』の第一話「アボカドの娘」でした。
石川 作品の最初に《A号室がアボカド、B号室がブロッコリー、C号室がキャロット、D号室がダイコン(無理矢理)》とあります。この《ダイコン(無理矢理)》というあたりが、この小説を悲哀とユーモアの同居した不思議な作品に決定づけているように思います。
藤野 そうでしょうか。もともとはABCDの四部屋と大家の家族も四人なので、四部屋の住人と家族四人の内面を一人ずつ書いて四話、最後に家族全体の話を入れて全五話で単行本にできないかな、という計算で始めたんです。ただ、二話目を書き終えた頃に角田光代さんが『空中庭園』という本を出されて、この作品が家族一人ずつの内面を追っていくお話だったんですよ。それで、同じような作品はやめようと思って、妹・兄と書いた後に三話目でいきなりまた妹に戻しました。そういう意味では、わりとルーズなつくりになっているかもしれません。結局全部で六話ですし。
石川 では第一話の「アボカドの娘」からお聞きしたいと思います。《今、写真を撮ることが自分には一番向いている》と考えているかずみが登場します。彼女は区民センターの写真講座で課題の写真を提出した際、心の中で馬鹿にしていた講師や受講生達に笑われてしまいます。
藤野 それは彼女の勘違いが原因ですが、もちろん私にもそういった勘違い系の要素はあります。もし自分を重ねられない人物だったら、物語の中で笑ったりすることはできなかったかも知れませんね。それだと一方的になりすぎますし。
石川 続く「ブロッコリーの日常」の竹野明彦は、クラス会にあわせて設置されたBBSに書き込みをするようになってから、幸運が続くようになります。彼は作品の中で、唯一自分を変える事に成功した住人です。
藤野 確かにポジティブに物事を捉えるようになりましたが、彼は何か変なものに嵌まりそうな危うさも持っていますよね(笑)。実のところ、自分では暗い話だなぁ、と思って書いていたんです。物語の終わりで明彦は「もうそれでいいじゃないか」という思いを抱きますよね。本当は彼にはもっと望んでいたものがあったはずなんです。
石川 しばらく好調な日々が続いたけれども、それはあっという間に終わってしまう、ということを明彦自身はわかっていたという事ですか。
藤野 そうですね。好調な日々がたまたまだとわかっているんですね。明彦は「もういやだ〜」という自作の鼻唄を歌いますが、そんな唄を作っている人が明るい性格なわけはないと思うんです。でも、読まれた方に前向きな話ですね≠ニ言われると、そうなのかなという気もしてきます。実は読者の方々に元気を与えたいという意識は特になかったですし、作品はどう読まれても構わないと思って書いています。肯定的と言われると自分では否定したくなりますし、その逆の場合もありますし、そういう曖昧な所を書いているつもりなんです。
石川 次の「キャロットの二人」は、『夏の約束』に収録されている「主婦と交番」の母・なつ美と娘・美加が再登場しています。
藤野 続編のようなものを書いたのはこれが初めてです。あの二人には愛着がありました。実は、この本の表紙カバーのアパートは、美加の落書きで描かれているんですよ。裏表紙をめくってもらうとわかります。
石川 続く「ダイコンの夢」ではとても笑わせていただきました。D号室には夜勤をしながらシナリオライターを目指す弘文と、彼の成功を信じて疑わない真理という夫婦が暮らしています。
藤野 これは私の弟が、会社を辞めて独立するという時期に書いた作品なんです。親からそのことについて意見を求められて「やりたいならやるしかないんじゃない」と答えたのですが、陰では友人に「絶対失敗すると思う」と言っていました(笑)。でも失敗したからって、べつに人として価値が変わるわけでもない。そういう意識が影響している作品だと思います。
石川 さて、鷲田信夫とその友人のクマクラのコンビが、大家の娘・さやかに接近しようとする物語「アボカドふたたび」です。信夫はクマクラのことを《自分にない強いものを持っている》と信頼しています。クマクラのような友人を持つ信夫が羨ましいと思いました。
藤野 その辺の感覚は人によって様々だと思います。きっと登場しただけで鬱陶しいと感じる人もいるのではないでしょうか。
石川 クマクラがゴミ袋の中から持ち帰り、口にくわえてしまうピンクの柄の歯ブラシですが、後半になってさやかは捨てる前にいつもトイレの水をくぐらせていることがわかります。
藤野 そういう小ネタっぽいことを書くのは好きですね。この作品に限ったことではありませんが、逆にここでもっと盛り上げようと思いながら書き込んだ箇所を、後でバッサリ削ったりすることはよくあるんです。
石川 最後の物語「さよならベジタブル」では、みづきという女性の部屋に一ヵ月前から泊まりに来ている美容師のマツ君に、ある秘密が隠されています。
藤野 みづきはちょっとかわいそうですよね。
石川 みづきに限らずベジタブルハイツの住人のほとんどが、現在の暮らしや状況に満足しているわけではないのですが、不思議と物語を読み終えた後の読後感は暗くありません。むしろ清々しいくらいです。
藤野 それは、作品中での出来事が誰にでもある小さな躓き程度だからかもしれません。とはいえ、その瞬間はすごく傷つくし、立ち直れない程のダメージを受けるとは思うんですけど、すこし時間が経つと案外どうって事なかったりするんですよね。でも、全体的に幸せな方向に向かうといいな、と思いながらまとめた作品集ではありました。
石川 この『ベジタブルハイツ物語』だけでなく藤野さんの作品世界では「部屋」という場所が頻繁に登場しますし、部屋自体が特別な位置を占めていますね。
藤野 私が書く登場人物はひきこもりがちで、気をつけて外に出すようにしないとすぐ部屋が舞台になってしまうんです。でも、『ベジタブルハイツ物語』は最初からアパートが舞台なので、そういうことは気にせずに書けました。
石川 二〇〇三年に刊行された『彼女の部屋』はとても怖い小説でした。何かが大きく欠けている北原さんの苦しさをとても怖く感じました。
藤野 似た感じがある人には怖く感じたりするようですが、そんな人に近寄らなきゃいいのにと思う人には面白さがわからないとも言われてしまいます(笑)。「夏の約束」で芥川賞をいただいた時も、候補作の選考会で揉めたと聞きました。文藝春秋の社内で「何が面白いのかよくわからない」と言っていた人が結構いたそうです。
石川 それは藤野さんの小説が繊細で高級な表現をされているからではないでしょうか。そこに書かれていない「何か」を、読者が読み取る楽しさがあると思います。
藤野 そう言っていただけると嬉しいです。
石川 「ラブリープラネット」(『おしゃべり怪談』収録)のキリコの《相変わらず訳のわからない、へんな世の中》という感じ方や『少年と少女のポルカ』のヤマダの《はじめて自分が世界に溶け込んで行くような気がした》といった感情など、藤野作品の人物はしばしば世の中に対して違和感を抱いているように感じます。
藤野 今の世界というものが自分自身にフィットしていると感じている人は少ないと思うんです。だから登場人物にそういう考えを持っている人が多いわけなんですが、みんながそれぞれに違和感を感じながらも、それを口にすることもなく黙っているという所はありますよね。
石川 違和感を口にしない人物というのは、『夏の約束』に登場するマルオですね。
藤野 彼もそうですね。自分はこう考えますから理解して下さい、と言うのもいいのですが、みんながそればっかりだとちょっとツラい。みんなも大変なんだという前提に立てば、だったら私はいいや、と思ったりもします。それに私の場合、インタビューで答えた瞬間からその答えと反対の考えが浮かんだりするんです。これはこうだ、と決める事がとても苦手なんですね。だから小説を書き続けているのかもしれません。
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