書き手として本を読む
中江 シリーズ最新作『ころころろ』を読ませていただいて、物語の構成に驚きました。畠中さんの作品ではめずらしく、連作短編小説になっているんですね。
畠中 最初の一編を書いたあとで全体構成を考えて、今回は全部つながる構成にしました。新しいことをしていかないと、マンネリになってしまう気がするんです。編集者に「いろいろ試していいですよ」と言われまして、では試してみようと。
中江 『しゃばけ』が畠中さんのデビュー作ですが、お書きになったきっかけというのは?
畠中 もともと漫画家になりたくてデザイン学校を卒業したのですが、あまり売れませんで(笑)。イラストレーターをしていたときもありましたが、そうすると絵は描けるけれど、お話が書けません。やはり自分はお話を書くのが好きだと自覚したころ、近所で作家の都筑道夫先生が小説の教室を開かれることを知り、以前からファンだったこともあって通い始めました。プロとして漫画を描いていたのでなんとかなるかなと思ったけれど、全然ダメ(笑)。7年ぐらい通って、やっと都筑先生に褒めていただけるお話ができたので、投稿作品として書いたのが『しゃばけ』でした。
中江 それが「日本ファンタジーノベル大賞」の優秀賞を受賞されたんですね。『しゃばけ』シリーズは若い人から年配の方まで楽しめる作品。時代小説の舞台に妖の世界≠加えたのが斬新ですね。
畠中 知らない世界や町、いわゆる「物語の設定」を創っていく作業が大好きなんです。漫画を描いていたときも、「設定」を創る訓練はたくさんしていました。『しゃばけ』の世界も、江戸時代の資料を参考に、楽しく創っていきました。

中江 私も子どものころ、人形遊びは「設定」を創るところから始めました。タオルを部屋にして、布でドレスを作って…。
畠中 レースのついたハンカチを「ドレス」ってしたりね(笑)。その発想力が今につながっているのかもしれません。ファンタジー小説は独特の世界を創ることが面白い。
中江 最後はハッピーエンドになるんだ、と安心して読めるのが『しゃばけ』の世界だと思います。きっと書き手の畠中さんと読者が共有できる幸福感が、物語を繋いでいるのですね。主人公の一太郎も周りの妖たちも、みんないきいきとしてかわいいですね。
畠中 鳴家や屏風のぞきは書いているうちにどんどん出しゃばってきまして…。中江さんも脚本をお書きになるときに、作者の意思を超えてキャラクターが暴走することってありませんか?
中江 ありますね。作者とキャラクターとの関係は、人付き合いと同じ部分があるのではないでしょうか。書いているうちに作者が想像していない意外な動きをし始めて、長く付き合っていたはずなのに新鮮に思えることがあります。
畠中 でもそうやってキャラクターが動き出すと、自然と話の筋が見えてくるときがある。その瞬間は最高に嬉しいですね。
中江 「あ、これだ」とわかる瞬間があります。私はラジオやテレビドラマの脚本を書いていますが、次の発想が浮かばないと、とりあえず続きがやって来るのを待ちます。自分が読み手としてその世界に入ったときに、気持ち良くなれる世界を書けているか。客観的に見つめる自分を意識しながら書いています。
畠中 それが書き手の苦しみでもあり、同時に魅力、楽しさでもある。他の作家さんの作品を読んで、才能がうらやましいと思うときがあります。「この設定を持ってきて、こういう話を書くか!」と。
中江 自分には出てこない発想に出会ったときは、励みになりますね。自分の作品は自分だけのものではない、読む人それぞれの「自分の物語」でなくてはと、改めて意識します。
畠中 読むことを通して学ぶことは本当に多い。書き手という立場では、特にそうなのかもしれませんね。単純に読むのが好きというのもありますが(笑)。
主人公と共有する気持ち
畠中 以前、都筑先生から「人気作家と呼ばれる方がいたら、人気が出たと言われた本から五冊ぐらいさかのぼって読んでみなさい。そうすると読者がなぜこの本はいい!≠ニ支持したかが見えてくる」と言われたことがありました。「それがあなたが書くのにも役に立つし、読んでも面白いよ」と。実際、伊坂幸太郎さんの本をそのように読んでみたら先生のおっしゃったことがよくわかりました。
中江 私も「週刊ブックレビュー」で作家の方にお目にかかるときは、最新刊はもちろん読ませていただきますが、デビュー作と代表作と呼ばれる本も併せて読むようにしています。デビュー作に全てが入っているとも聞きますし、その後の変遷もわかり、ひとりの作家さんの世界観を体験できます。畠中さんはどのような読書をされていらっしゃるんですか?
畠中 締め切りによって、楽しむための小説と、資料本との割合が変わります(笑)。でも資料本を読むのも好きですね。江戸時代のノンフィクションも楽しい。本を数冊目の前に並べて、ゆったりしながら「今日は何もしない」と本を読むのって、本当に贅沢な時間ですよね。
中江 私はお酒が飲めないので、嫌なことがあっても本を読みます。少しだけ読んで、しばらく読むのをやめたり、買っても読んでいない「積読」も多いです。自分が大事だと思う本、好きな本こそ、急いで読みたくない、ゆっくり読みたいという気持ちがあります。
畠中 特に好きなジャンルはありますか?
中江 私は東野圭吾さんが好きです。時間を忘れて楽しめる作品ですね。ジャンルとしては小説が好きですが、本は一生かけても読みきれないくらいに存在しているので、勧められた本はなるべく読むようにしています。新聞や雑誌の書評、あとは自分のアンテナを信じて、少しでも興味があると思ったら読もうと。最近だと、福岡伸一さんが良かったです。化学や生物学は苦手で避けてきたのですが、読んでみたら身近な話題からアプローチできて面白く読めました。畠中さんは特にお気に入りの作家さんはいらっしゃいますか?
畠中 伊坂幸太郎さん、恩田陸さん、三浦しをんさん、宮部みゆきさんなどですね。皆さん、時代もの、現代もの、SFと、幅広いジャンルの作品を発表されていても、その作家さんの世界観がどの作品にも息づいているのが素晴らしいと思います。
中江 上橋菜穂子さんの『獣の奏者』も素晴らしい作品でした。児童書ですが、むしろ大人にこそ読んでもらいたい物語です。現実世界とはまったく違うファンタジックな世界が描かれてい ますが、不思議に主人公と気持ちが繋がるんです。世界も立場も何もかも違うのに一体感がある。
畠中 価値観が違わないからではないでしょうか。主人公の気持ちに添うところがあるから、一緒に行動しているような気持ちになってくる。ファンタジー小説はそういうところが面白いですね。
中江 主人公と比べたら自分は命を脅かされることもないし(笑)、悩みや苦しみも自分の方が楽。遠い世界の人なのに「気持ちが一緒なんだ」っていう思いにかられて、生きていることを肯定される感じがします。世界が違えば違うほど、それが余計に心にしみます。
畠中 映像は何人かで一緒に見て、同じように終わっていく。けれど本は一人で読むものだから、自分が読むスピード、感じる世界に主導権が取れる。同じ作品を読んでも全てを共有している訳ではなくて、自分だけの世界ができあがるんです。
中江 『しゃばけ』でも、Aさんが読む一太郎とBさんが読む一太郎は少しずつ違うと思います。かわいいとか、応援したいという気持ちは共有できますけれど、しぐさや声、お話に描かれていない背景はいくらでも想像を膨らませられる。
畠中 読んだあとでその世界の絵を描いてみたら、みんな違う世界ができるかもしれませんね。
「読む筋肉」を鍛えよう
中江 私は小学校に入ってから図書館に行くようになって、少しずつ児童書から入っていきましたが、畠中さんはどうでしたか?
畠中 幼稚園のときに、ひらがなをマスにいっぱい書く練習をさせられて、とても嫌だったのですが(笑)、おかげで本が読めるようになりました。小学校で印象に残っているのは、江戸川乱歩の「少年探偵」シリーズ。高学年では新潮文庫の海外文学や『ゲド戦記』をよく読んでいました。『ゲド戦記』はとても高かったので印象に残っています。当時は1冊が千円以上で、それを三巻まで買いたいけれど、自分のおこづかいでは足りない…。
中江 そんなとき、図書券を貰うと嬉しかったですよね。私は家族が本を読まなかったので、家に本がなかったんです。今思えば、子どもの周りに本がある環境っていいなと思います。
畠中 二〇一〇年は「国民読書年」ということで、読書活動も盛り上がりそうですから、子どもへの読書推進もますます広がるといいですね。今は学校では「朝読」(※2)、最近では「うちどく(家読)」(※3)があるのも知りました。「家で読もう」という運動なんですね。私も兄とは一緒に読んでいましたが、「読書はこうして楽しめば面白いよ」と言ってくれる大人がそばにいれば、もっと興味が広がったかなと思います。
中江 楽しい本にもっとたくさんふれて欲しいけれど、今の子どもは忙しそう。
畠中 本を読んでいれば、国語の勉強をしなくていいと思います(笑)。
中江 私は芸能界のお仕事を始めたのが高校一年生でしたが、お芝居の先生に「成績が下がったらうちは辞めてもらいます」と。「本を読みなさい。読めば学校の成績が下がるわけはないし、芝居もできるようになる」と言われて「ガーン!」と思いましたね。
畠中 それはすごい!
中江 演技は、ただ台本を読めばできるわけではなく、文字の裏の裏を読みとらなければならない。読解力が求められるんです。もちろんそれを表現することも大事なのですが、自分が理解していないことは絶対に表現できない、だから読む訓練をしなさいと、先生はそうおっしゃりたかったのだと思います。
畠中 読書を楽しんだり、書いてあることの意味を理解するには、ただ漠然と読んでいるだけでは無理ですよね。
中江 「本を読む」のに必要なこととして、読むための「筋肉」のようなものを鍛えておかないといけないと思っています。
畠中 それは本当に感じます。読むのを楽しむ前に、読むのに慣れる作業がある程度必要ですよね。さっきお話しした「朝読」や「うちどく」は、「読む筋肉」を育てるために、子どものころにぜひしておきたい。
中江 そうですね、読書を習慣としてほしいです。ハイハイをしていた赤ちゃんが、成長するにつれて何にも考えなくても歩けるようになるのと同じで、読むことも「読む筋肉」を普段から鍛えておくことが大事ですね。
畠中 読書はとても楽しくて夢中になれるものです。私が本を好きになったのは、この「夢中 になれる瞬間」があるから。高校の古典の授業中に『嵐が丘』を読むのをどうしても止められなくて「先生、すみません」と言いながら読んでいた思い出もあります(笑)。でも、読むという「作業」でひっかかって、楽しむところまでいかない子どもたちもいるとしたらもったいないですね。
中江 読書が好きで自主的に鍛えられる子もいると思うけれども、やはり周りの大人がお手伝いをしてほしい。多くの作品にふれた経験というのは、生きていく上での底力になると思います。自分の感性を伴って感じられる、楽しめるようになる。
畠中 読むのが楽しくなれば、そこから先は自分で選んでいけるようになる。ミステリーか、それとも純文学が好きなのかって。
中江 読んでいるときの目と本の距離は、ゲームで遊ぶときと同じです。ゲームは自分がゲームの世界に入る感じがしますが、本は自分自身の世界が広がっていく気がします。世の中にはたくさんの本があふれていて、その内容にふれるためにも、「読む筋肉」を持ち合わせているほうが絶対に楽しいと思います。
畠中 将来、営業マンになっても営業に関するマニュアル本をたくさん読まなくてはならないかもしれないし(笑)、一生を通じて、読むことは常にそばにあり続けるものですよね。人生に本があると、豊かになることは間違いないと思います。
※1 国民読書年:2008年6月に衆参両院議会にて「国民読書年に関する決議」を全会一致で採択。「文字・活字文化振興法」の制定・施行5周年にあたる2010年を「国民読書年」に制定し、政官民協力のもとで国を挙げてあらゆる努力を重ねることを盛りこんでいる。
※2 朝読(あさどく):朝の読書。毎朝、ホームルームや授業の始まる前の10分間、生徒と先生がそれぞれ自分の好きな本を読む活動。日本全国で26,266校が実践している(12月2日現在、朝の読書推進協議会調べ)。
※3 うちどく(家読):家族みんなで本を読んで、読んだ本について話し、家族のコミュニケーションを深めることを提案する読書活動。
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