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「ドーン」の平野啓一郎さん
インタビュアー青木 千恵(ライター)
「新刊ニュース 2009年9月号」より抜粋

平野啓一郎(ひらの けいいちろう)
1975年愛知県生まれ。京都大学法学部卒。1999年、大学在学中に文芸誌『新潮』に投稿した「日蝕」でデビューし、同作品で第120回芥川賞を受賞。以後、近代ヨーロッパの精神史を2500枚にわたって描いた大河小説『葬送』、現代人の生の孤独と“哀しさ”を徹底して追求した『決壊』など、数々の作品を発表し注目を集める。2009年『決壊』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2008年より、三島由紀夫賞選考委員をつとめる。
〈主な作品〉『日蝕』『一月物語』『葬送』『高瀬川』『滴り落ちる時計たちの波紋』『あなたが、いなかった、あなた』『文明の憂鬱』『顔のない裸体たち』『決壊』他多数。このたび新著『ドーン』を上梓。

『ドーン』
平野啓一郎著
講談社


『決壊 上・下』
平野啓一郎著
新潮社


『モノローグ(エッセイ集)』
平野啓一郎著
講談社


『ディアローグ(対談集)』
平野啓一郎著
講談社


『あなたが、いなかった、あなた』
平野啓一郎著
新潮社


『高瀬川』
平野啓一郎著
講談社


『葬送 第一部(上・下) 第二部(上・下)』
平野啓一郎著
新潮社


『日蝕』
平野啓一郎著
新潮社


── 『ドーン』は、宇宙飛行士を主人公にした書き下ろし長編小説です。二〇三〇年代の未来を描いた理由をまず教えて下さい。

平野  前作『決壊』で犯罪を扱って、「自分がこうなったのは生い立ちのせい」とか、過去と現在の因果関係で自分を説明している犯罪者の例をたくさん見ました。過去の原因をあげて破綻の説明を繰り返しているのは、今の社会も同じ状況だと思うんです。僕も現在を考える参考にしようと小説で過去から現代までを書いてきましたが、『決壊』を書いて現代社会の行き詰まった状況が自分なりに見えて、じゃあ、どうしたらいいんだという思いが残りました。現代で終わったら、過去と現在の因果で堂々めぐりになる気がして、だったら逆に思い切り想像力を膨らませて未来を舞台にし、そこから今の世の中の問題や方向性を探ったらどうかと考えました。

── 確かに『決壊』は、現代社会の行き詰まりを実感させられる作品でした。『ドーン』の主人公・佐野明日人は、『決壊』の主人公と同じ三十代前半で、“悩めるエリート”という点でも共通しています。外科医だった明日人は、震災で一人息子を亡くし、喪失の苦しみから逃れるように宇宙飛行士を目指す。

平野  医者を辞め、駅のホームから落ちかけて助けられた設定にしたのも、『決壊』との連続性を持たせるためでした。その場所が市ケ谷駅であるのは、三島由紀夫が自決した場所に近い駅だからです。三島由紀夫は大義を失った戦後社会を憂いていましたが、大義がなくても人間は生きていかなくてはならない。最近、三十代の自殺者が目立つのは、自分の生きている意味がつかめないからじゃないか。何かに依って生きようとすると、それがなくなったときに途方に暮れてしまう。明日人は火星を目指して生き直しますが、目標を果たした後も生きなくてはならない。『決壊』でニヒリズムに陥った主人公に、それでも生き続けろと言葉をかけたかったんですが、根性論で「頑張れ」では解決にならない。年間三万人もが自殺している社会の状況が変わらないとだめなんです。この状況の中で人間はどうしたらいいか、社会全体はどうなればいいか、その両方のテーマを『ドーン』では押さえたかったんです。

── 二〇三三年、人類で初めて火星に降りたった明日人は、世界的英雄となって地球に帰還する。しかし、妻の今日子との関係は不安定なままで、実は宇宙船「DAWN(ドーン)」の中では、想定外の事件が起きていた。アメリカ大統領選も絡み、壮大なスケールで物語が展開します。

平野  地球から火星に行って帰ってくる、二人の大統領候補が対決するといった大枠を組み、その時代の地球ってどうなっているんだろうと考えた。結局、全体を五回くらい書き直し、初稿から大きく変わる形で完成させました。明日人と今日子の関係はうまくいけばいいなと思いながら、きれいごとでまとめたくはなく、最後まで決めずに書いていきました。人が人を好きな場合、相手の人格を好きであるのと同時に、相手といるときの自分が好きという感覚があると思うんです。どこか自分が好きであれば、今日から明日へ、死なずに生きていけるのではないかと。

── そこで「分人(ディヴ)=dividual」のディテールが出てきたんでしょうか。この物語の人々は、相手によって自分の見せ方を変えることを対人関係の基本にしています。

平野  僕はアイデンティティの問題をずっと考えています。相手を尊重するほど、相手にあわせた形でコミュニケーションをとると思うんです。誰に対しても「俺は俺だ」と押し通せば反感を買うでしょうし、会社用のディヴが自分全体に直結して苦しい人は、別の関係のディヴを増やした方がいいと思います。異様な上司に毎日いびられても(笑)、趣味や奥さんとの関係で楽しいディヴの方を足場にすれば、どちらかといえば楽しく生きていることになる。少し前までは「多重人格」「裏表がある」と否定的にとらえられていたことでしたが、他者と共にあってこそ人の内面が深くなることも強調したくて、「分人」「分人主義」という考え方を入れてみました。

── 生まれ持った顔に拘束されない「可塑整形」など、現代にはないディテールがちりばめられています。インターネット社会はより進化していますね。

平野  ネットについては、功罪の両面があり続けると思います。イランの反政府デモで十六歳の少女が射殺された映像は、ネットがあったから世界中に伝わりました。かつてはこっそり闇に葬られていた悪事が明らかになるところは、ポジティブな部分として広がっていくと思います。『決壊』は「ウェブ2・0」が現われる直前の話で、この頃はネットのネガティブな面が特に指摘されていたので、負の部分を強調して書きました。今回の『ドーン』でネットに対する自分の見方を示して、バランスが取れたかなと思います。
 僕は、分からないことを書くのが小説だと思うんです。昔は社会全体の情報量に対して個人が持てる情報量が少なく、分からなくて不安な状態を、カフカや安部公房が「不条理」として描きました。今は逆に、情報の過剰供給にみんなアップアップしています。どこにすがれば自分を見失わずに生きていけるのか、僕が考える未来の情報を詰め込んだ『ドーン』を書くことで、人物たちがどこに力点をおいて生きていくのかが見えてきた気がします。

── 平野さんの小説を読んでいると、その時代に生きている群衆の気配を感じます。

平野  やはり、ネットの登場が大きいですね。ブログを検索するといろいろな人の意見が読めます。僕が「僕の世代は……」と発言すると、同世代の人が「俺は別のことを考えている」とネットで表明している。以前なら直接関わることがなかった人が、可視化されてきたのが今という時代じゃないか。僕はいつもその存在を感じながら生きているところがありますし、ブログを書いている人も、大勢の存在を感じながら発言していると思います。言葉はいつも、実体と完全に一致しない。情報源と情報は違っています。ブログやSNSが今以上に一般化していくと、自分のことがより好き勝手に語られる状況になるし、それが言葉というものだと思うんです。

── デビューから十一年が経ちました。

平野  一作書くごとに頭の中が整理されて、考えることも浮かびます。『日蝕』の頃によく見えていなかった問題が、少しずつ緻密に深まってきました。ただ、野球選手だったら、普通とかけ離れたバッティング理論を持ち、特別な鍛錬を積んでも、表現方法は「ヒットを打つ」と他人にも分かりやすいものですが、作家は自分なりに追求していけばいくほど他の人と距離ができてしまう危険性がある。どうやったら考えを深めていきつつ、読者から離れないでいられるか、三十歳頃から意識するようになりました。物語の形なら面白くページをめくれるけれど、そうでないとストレスに感じるのは、人間が認知するときの自然な流れだと思います。僕も昔は自然に逆らって作品を作ってみましたが、最近は逆らわず、むしろ活用しています。

── 七月下旬から、初の新聞連載小説「かたちだけの愛」が読売新聞夕刊で始まりました。今後の執筆活動を教えて下さい。

平野  純文学にこだわる気持ちは元々あまりなかったんですが、文学から受けた恩恵がたくさんあります。例えばドストエフスキーを通してものを考えて表現すると、力強い手応えがあった。文学から得られたものを生かしつつ、自分の関心を表現していきたい。『ドーン』ではメディアについて大きく取り上げたので、新聞連載ではもう一度人間の身体に戻って、恋愛小説を書きます。生身の身体とは何なのかというテーマを、恋愛小説を新しく更新するつもりで書ければなと思っています。

(7月21日、東京都文京区の講談社にて収録)

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