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『1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター』の
五十嵐 貴久さん

インタビュアー 石川 淳志(映画監督)

五十嵐貴久(いがらし・たかひさ)
1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業後、出版社に入社。2001年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞しデビュー。以来、優れたエンターテインメント小説を次々と発表している。『1985年の奇跡』、『2005年のロケットボーイズ 』、『パパとムスメの7日間』、『交渉人 遠野麻衣子・最後の事件』、『交渉人』、『Fake』、『シャーロック・ホームズと賢者の石』などがある。




『1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター』
双葉社



『交渉人 遠野麻衣子・最後の事件』
幻冬舎



『パパとムスメの7日間』
朝日新聞社



『1985年の奇跡』
双葉文庫

―― 長編小説『1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター』は、1995年という時代を舞台に、四十四歳の平凡な主婦「美恵子」が、ひょんなことからロックバンドを組みステージで演奏するまでの物語です。
五十嵐 『1985年の奇跡』という高校野球を題材にした物語を書いた時点で、いずれはロックバンドの小説を書こうと考えていました。家庭生活を営み続けている四十代の主婦は、不満ではないけど、何かしら苛立ちめいたものを抱えているのではなかろうかと想像しました。学生時代にロックバンドを組んでいたメンバーが、四十歳を過ぎてもう一度集まるという設定もあったかもしれませんが、「洋楽って何?」という普通の主婦がハードロックを演奏する面白さを狙いました。
―― この作品は、自らを「優等生」と振り返る美恵子と、幼なじみで二度の離婚歴がある女性「かおり」を造形した点が素晴らしいと思いました。キャラクターが両極端なコンビが物語を進めます。
五十嵐 ちょっと地味目な美恵子を登場させたので、どうしても真逆の人間として、個性の強いかおりが必要になりました。美恵子には主人公であると同時に、話を進める水先案内人の役割を託しています。だから、まわりの状況や人物につっこみを入れるという二次的な役割も発生し、話が先に転がっていくんです。
―― 美恵子がかおりに巻き込まれていくエピソードの数々が、バンド結成に向かって見事に畳みかけられています。
五十嵐 バンドを組む物語ですから、最低でも四人必要です。主人公はいる、相方もいる、ということで残りは二人。その二人をどう引っ張ってくるかが、書く難しさであり楽しさでもありました。美恵子はマルチ商法に騙されたかおりにお金を貸すために、コンビニで働くことになります。パートは友人を助けるために始めたわけですが、本当は美恵子自身の「逃避」でもあったんです。そしてある日、美恵子は万引きした女性を捕まえますが、結局許してしまいます。この万引き犯の「雪見」が三人目のメンバーになるわけです。
―― バンド結成を美恵子は頑なに拒否します。かおりは美恵子を呼び出し、高校時代を思い返し、ガールズバンドを組みたかったことを告白します。そして美恵子は、かおりが自分のポジションを探していたことを知ります。
五十嵐 ポジションという言葉を、僕は小説でよく使います。かおりは男に頼らないで生きてきて、ポジショニングが上手い女性です。それでもやっぱり「ちゃんとした自分のポジション」を求めていたのだと思います。二度結婚に失敗しているかおりは、自分のポジションを見失っていたわけです。だけど、バンドという形であれば、それが自分のポジションになるのではないかと考えたわけです。車の中で、缶コーヒーを飲みながら語り出すあの場面は、そういう雰囲気を出したかったんです。
―― コンビニにベーシスト募集の広告を出して、新たに「新子」が参加し、いよいよ四人揃ってバンドの練習が始まります。
五十嵐 実際にバンドの取材をし、いろいろな資料にもあたりました。僕は高校時代、まわりにいたバンドのスタジオ練習に、コーラスで参加したことがあるんです。そのときの経験も役に立ちました。
―― 「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフが「ジャッジャッジャー ジャッジャジャジャーン ジャッジャッジャー ジャッジャジャーン」と書かれています。この文字を読むだけで、曲名やバンド名を知らなくても、メロディーが自然に浮かんできます。繰り返し登場するこの表記の発見が、小説のクオリティを決定づけたのではないでしょうか。
五十嵐 小説の基本プロットを思いついたのは、ディープ・パープルのこの曲を聴いていたときでした。例のリフは、今でもあちこちで流れていて知らない人はいないと思うので、彼女たちが演奏する曲も「スモーク・オン・ザ・ウォーター」にして、書名も『1995年のスモーク・オン・ザ・ウォーター』に決めました。
―― 作品の時代設定を一九九五年にしたのはなぜでしょうか。
五十嵐 一九九五年は阪神・淡路大震災や、地下鉄サリン事件があり、作品が暗くなるのではという意見もありました。でも僕には一九九五年を忘れてはいけないというこだわりがあったんです。サリン事件は人としてやってはいけない事件だし、大震災はもし神様がいるのなら、起こしてはいけない災害でした。そんな災いと美恵子たちの抱える問題をシンクロさせました。
―― 小説のクライマックスで、ステージに立った美恵子たちはアクシデントで演奏を中断してしまいます。全身を震わせながら美恵子は「間違ったことも含めて、わたしたちの人生なのだ」と呟き、客席に向かい「問題は、間違ったところからどうやってやり直すかじゃないのか?」と叫びます。あの悲惨な年を乗りこえてきた私たち読者には、このストレートな言葉が胸を打ちます。
五十嵐 常日頃、感じていたことを書いた台詞です。僕は後悔ばかりの間違った人生を送ってきました。でも、過去の判断に対して今になって言い訳するのはかっこ悪いと思うし、卑怯だと思います。だから、失敗したことを認めたうえで、どうリカバリーするか、どう立ち上がるかが大切だと考えています。
―― さて、五十嵐さんは多様なジャンルの小説を書かれていますが、意識的に作品世界を広げているのですか。
五十嵐 僕はホラーサスペンス大賞を受賞した『リカ』でデビューしましたが、別にホラーを書きたいと考えていたわけではありません。そのときに興味があることを書いているだけです。それが、たまたまホラーやミステリーや青春小説、時代小説だったりしたわけです。気がついたら間口が広がりすぎていました(笑)。
―― 得意なジャンルはありますか。
五十嵐 強いて言えば「笑い」でしょうね。読者を泣かせることよりも笑わせることのほうが難しいです。小説の世界において、「笑い」の席はまだ空いているように思います。でも「笑い」の小説の評価は低いんです(笑)。
―― 『1985年の奇跡』の岡村や『2005年のロケットボーイズ』のカジシンは、熱く生きることに対して斜に構えているものの、意地を通すための努力は惜しみませんね。
五十嵐 僕もそういうタイプの人間なんです。小説は命がけで書いていますが、人に訊かれると「適当に書いています」とか「ひらがなばっかりの小説です」とか答えてしまいます(笑)。僕は物事が百あったら、九十九は譲ってもいいと思っています。ただ、明らかに違うことがあった場合は、プライドにかけて守らなければなりません。「誇り」というものは、命より大事だと思っています。『1985年の奇跡』の岡村も、『2005年のロケットボーイズ』のカジシンも、ここぞというときには一生懸命やるプライドを持っています。彼らは僕の小説に出てくる基本的な人物像です。
―― 五十嵐さんはいつ頃から作家を目指したのでしょうか。
五十嵐 小学校五年のときに作家になるものだと思っていました。僕は学業においては劣等生でしたが、国語の能力だけは自信がありました。でも、自信があるだけにそれで負けたら終わりなんです。小説を書いて賞に応募し落選したら、僕のアイデンティティーはガタガタになります。『1985年の奇跡』の中で「保留」という言葉を使いましたが、結果を出すのが怖いから、僕は人生をずっと保留にしてきました。だから一生懸命でないふりをしたり、頑張っていないふりをしたんです。勝負に出ない限り負けはなくて、引き分けでいいじゃないかという考えが三十代の前半まで続いていました。三十代後半になり、さすがに保留のし過ぎだろうと反省し勝負に出ました。そして賞をいただき、作家になることができました。
―― 五十嵐作品に通底しているのは、落ちこぼれやダメ人間たちがチームを組んで、敵や目標に立ち向かっていくことではないでしょうか。
五十嵐 格差社会などと言われるようになり、勝者と敗者がはっきりとわかれる時代になってしまいました。僕も負ける側の人間ですが、一つだけ勝てるかもしれない方法があります。それは「仲間」です。一対一では勝てない相手でも、信頼できる仲間がいて力をあわせて戦えば、戦いようはあるんです。仲間というのは、僕の中の生涯のテーマなんですよ。

(10月15日 東京・港区にて収録)

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