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『トロイメライ』 池上永一さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2010年10月号」より抜粋

池上永一(いけがみ・えいいち)
1970年沖縄県那覇市生まれ。早稲田大学在学中の94年、『バガージマヌパナス』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞。『風車祭(カジマヤー)』は98年に直木賞候補となる。沖縄の伝承と現代が融合した豊かな物語世界が注目を集め、日本の代表的なマジックリアリズム作家と評されている。著書に『レキオス』『夏化粧』『ぼくのキャノン』『あたしのマブイ見ませんでしたか』『シャングリ・ラ』『テンペスト』などがある。この度、角川書店より『トロイメライ』を上梓。

『トロイメライ』
池上永一著
角川書店発行/
角川グループパブリッシング発売


『夏化粧』
池上永一著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売(角川文庫)

『ぼくのキャノン』
池上永一著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売(角川文庫)

『バガージマヌパナス わが島のはなし』
池上永一著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売(角川文庫)
『王様は島にひとり』
池上永一著
ポプラ社
『風車祭(カジマヤー)上・下』
池上永一著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売(角川文庫)
『テンペスト 上・下』
池上永一著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売

── 新刊『トロイメライ』(※)は十九世紀、琉球王府の海洋都市・那覇を舞台に新米「筑佐事(岡っ引き)」の「武太」が活躍する六作の短編集です。この作品を書く動機は何だったのでしょうか。

池上 前作の『テンペスト』も含め、『シャングリ・ラ』『夏化粧』など僕の小説には長編が多いし自分でも得意だと思っていました。長編も短編も書けて作家だと思いますので今回は短編小説に挑戦したんです。実際に書いてみるとこれは難しかった。長編は和音をつけてシンフォニックに書き上げられるのですが、短編は五十枚の休止符で終わらないといけないので苦労しました。

── 今作は『テンペスト』と時代が重なっていますね。「多嘉良」や「孫嗣勇」など『テンペスト』の登場人物が各話に再登場して彩りを添えています。

池上 『テンペスト』は毎月百枚の連載でした。でも書き上がると百五十枚程になってしまい、削る作業が必要でした。舞台は首里城に集中し王宮文化のエリートたちの暮らしを書いたので、那覇での庶民の暮らしからオミットしていったんです。そのため、『テンペスト』だけだと琉球全体を描いていないという思いがあった。庶民の暮らしも書きたかったんです。琉球の平等所(裁判所)の判決文を読むと、殺人とかは少ない。風土的なものでしょうか、権利を整理する業務が大半だったようです。畑の境界線で家同士が揉めているとか、仔牛が産まれたら譲る口約束をしたのにくれなかったとか。庶民の様子が垣間見え、これを題材に書きたいと思いました。

── 今作は『テンペスト』と時代が重なっていますね。「多嘉良」や「孫嗣勇」など『テンペスト』の登場人物が各話に再登場して彩りを添えています。

池上 『テンペスト』は毎月百枚の連載でした。でも書き上がると百五十枚程になってしまい、削る作業が必要でした。舞台は首里城に集中し王宮文化のエリートたちの暮らしを書いたので、那覇での庶民の暮らしからオミットしていったんです。そのため、『テンペスト』だけだと琉球全体を描いていないという思いがあった。庶民の暮らしも書きたかったんです。琉球の平等所(裁判所)の判決文を読むと、殺人とかは少ない。風土的なものでしょうか、権利を整理する業務が大半だったようです。畑の境界線で家同士が揉めているとか、仔牛が産まれたら譲る口約束をしたのにくれなかったとか。庶民の様子が垣間見え、これを題材に書きたいと思いました。

── どの短編にも島唄と沖縄の料理が紹介されていますね。

池上 『テンペスト』は琉歌を使いました。特殊な定型詩で教養がないと詠めない、和歌のような世界です。今回は島唄で心情を滔々と三線に乗せて語るんです。料理に関しては、『テンペスト』の人々はゴーヤチャンプルーを食べないんですよ(笑)。でも実際に食べて美味しいのは庶民の料理です。読者もイメージし易いし、沖縄料理屋さんで食べられる「味クーター(※)」の食文化を書きたかった。

── 『トロイメライ』というタイトルに込めた思いは何ですか。

池上 僕は民話が大好きな子供で、国内外の民話を図書館で借りて読んでいました。今でも集めています。口伝で継承されるお話は物語の原型だと思うんです。そんな記憶を探っている感じ、「昔昔あるところに」と語られるような強い物語にしたかったのでトロイメライ≠ェ相応しいと思いました。執筆の前に那覇に取材に行ったんです。当時は一キロもあった石造りのアーチ橋の長虹堤も、水の都だった痕跡すらも、何も残ってない。久茂地は現在ビル街です。これは心眼で見るしかないと思いました。夢をみるように──そんな物語でもあるんです。

── 平等所の判決で不幸な人間が救われる訳ではないのですね。

池上 「お白洲物」を書こうと提案したのは僕なんですが、書き終わるとお上の判断をまったく信用していない自分に気づきました。判決には従うけど当事者や武太の心情は違う。その方が自分の中で納得できるんです。これは自分の出自から来ています。沖縄という土地は中央政府が何度も変わった歴史があります。琉球王国が解体されて日本に組み込まれ、戦後はアメリカになり、再び日本に復帰する。政府決定や法律は尊重するけど心の底からは恭順しないのは昔も今も沖縄の現実だと思う。だから『トロイメライ』は犯科帳の体裁を持って書き始めましたが、全部ひっくり返して判決とは異なる感情を書いています。

── 個々の短編についてお尋ねします。第一夜では士族に嫁いだ「真如古」が貧困のため墓を売り、一族の分家に訴えられる話です。

池上 沖縄では不動産で一番重要なのが墓です。生きている時間よりも死後の時間の方が長い。沖縄的な事件だと考えました。厳しい判決が出ますが、彼女の気持ちは皆が汲んでいるんだと物語を閉じました。

── 第二夜は覆面の義賊が活躍します。

池上 「運玉義留」や「油喰坊主」とか沖縄芝居には義賊の話が多いんです。僕も義賊を登場させました。でも格好良くてどうにも主役を食ってしまう。今後出番は控えさせねばなりません。いつか彼の正体を明かすときが来るでしょう。

── 第三夜で糸満売りという年季奉公を知りました。

池上 糸満売りは日本最後の奴隷制度と呼ばれていて、戦後まで残っていました。腕が良ければ年季あけも早いんですが、死ぬことが多い。「海人」って字面を見ると茫洋とした海の男と受け取られがちですが、殆どが糸満売りだったそうです。
 第三夜は子供たちが世界を知る通過儀礼ですよね。僕は虎寿を応援しています。彼の海人としての成長も描いていきたいですね。

── 第四夜は幻想的な話ですね。名器の三線が行方をくらますという。

池上 王家所有の盛島開鐘は楽器だけれど人格を帯びているとみなされている。人格があるなら出奔すればいいと考えました。琉球では帯刀が許されなかったので、床の間に三線を飾り神性を託したんです。強さではなくて美しさに自分たちの願いを託す琉球の文化を紹介したかった。

── 第五夜には魅力的な娼妓「魔加那」が登場します。

池上 魔加那は「峰不二子」を描きたかった。自分の趣味全開で書きました(笑)。キューティーハニーのようで書いていて楽しかったです。傍若無人なお嬢様って大好きなんです、何をするか分らない恐怖感と目が離せない楽しみがあります。

── 第六夜のオバァ「サチ」は全てを与え続けた聖なる存在ですね。

池上 沖縄のオバァはみなおっとりしているけど、話を聞くと全財産を失ったり男に捨てられたり、住む所を失ったりと大変な苦労をしている。そんな人がニコニコしながら死んでいく。僕の子供の頃近所にいたオバァもサチのような人生で、惜しみなく与えてくれる人でした。

── サチが死ぬと、入るべき墓がない。武太が奔走してついに首里の役人に嘆願に向かいます。

池上 やっぱり締めの話だから盛り上げないといけない。浮島の那覇と丘の上にある首里を繋げたかったので、武太を王宮に行かせました。墓については個人のものではなく、一族のものなのです。墓を中心に一族の運営がされるし、墓を中心に行事が編成されるんです。

── 墓にまつわる話は第一夜につながりますね。

池上 短編集として、最終話が一話に再び戻るように循環する物語として楽しんでもらえれば嬉しいです。作品全体には午睡のまどろんだ幸せな時間が永遠に続くかのようなイメージを意識しました。歴史的にはこの後、明治政府の琉球処分で悲惨なことになる。でもそれは書きたくなかった。地政学的な影響もあるでしょうけど、沖縄には白黒つけない明確に割り切ることを避ける風土がある。琉球王府も薩摩と清のどちらにも与せず上手く避けた。そんなテーマが庶民にも反映されています。『トロイメライ』のシリーズは千夜一夜物語だから今後も続きます。これから「お白洲物」では収まらない怪談や職人の競い合いなどを書く予定です。楽しみにしてください。

(七月三十日、東京都千代田区の角川書店にて収録)


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