トップWeb版新刊ニューストップ
『スリープ』 乾くるみさん
インタビュアー 青木千恵(ライター)
「新刊ニュース 2010年8月号」より抜粋

乾くるみ(いぬい・くるみ)
1963年静岡県生まれ。静岡大学理学部数学科卒業。98年『Jの神話』で第4回メフィスト賞を受賞しデビュー。著書に『イニシエーション・ラブ』『リピート』『クラリネット症候群』『林真紅郎と五つの謎』などがある。この度、角川春樹事務所より『スリープ』を上梓。

『スリープ』
乾くるみ著
角川春樹事務所
1,575円

『蒼林堂古書店へようこそ』
乾くるみ著
徳間書店(徳間文庫)
660円

『六つの手掛り』
乾くるみ著
双葉社
1,470円

『Jの神話』
乾くるみ著
文藝春秋(文春文庫)
720円
『クラリネット症候群』
乾くるみ著
徳間書店(徳間文庫)
620円
『リピート』
乾くるみ著
文藝春秋(文春文庫)
790円
『イニシエーション・ラブ』
乾くるみ著
文藝春秋(文春文庫)
600円

── 『スリープ』は、TV番組の中学生レポーターとして活躍していた羽鳥亜里沙(アリサ)が、三十年後に、中学生当時の姿で目覚める物語です。未来を舞台にした理由を教えてください。

乾 僕はいつも、思いついたネタから舞台や人物を決めて話を作っていきますが、この作品の場合は、今の科学技術では実現不可能だったので、未来を舞台に設定しました。ただ、いきなり未来の話を始めたら取っつきづらいだろうということで、現代から始まり、やがて時空が未来になる構成にしました。〇四年に『イニシエーション・ラブ』と『リピート』を出版し、次に何を書こうかと考え、〇五年末にはこの作品のあらすじができ、翌年に発表するつもりで〇六年から始まる話にしたんですが、三十年後の未来のイメージがなかなか掴めなくて。他の仕事も重なったため、六年ぶりの長編書き下ろしとなってしまいました。非常に時間がかかった分、いよいよ出せる感激がひとしおの作品です。

── 目覚めたアリサが、四十四歳になったかつてのレポーター仲間の戸松鋭二と共に逃亡する事になる三十年後の日本は、車は空を飛んでいないものの、マスクで容姿を簡単に変えられたり、五千円札の人物が豊臣秀吉、千円札の人物が上杉鷹山になっていたり、ディテールが大変面白いです。

乾 物語の冒頭に、未来を描いた映画の原作者「マーク・クリントン」という人物を登場させ、〈自分で《答え合わせ》ができる範囲内で、なるべく遠い未来。そうやって考えていったときに、《三十年後》っていうのが、丁度良い数字として出てきたんです〉と語らせています。僕も、それと同じことを考えていました。僕は今四十代で、多分、三十年後はまだ生きているから、自分が想像して書いた未来の《答え合わせ》ができるのは楽しみだし、絶対に見てみたい。こんなふうになってほしいという希望ではなく、今と違っている部分と違っていない部分とを混ぜ合わせて、こんな感じじゃないかと描いていきました。

── 主人公を一九九一年(平成三年)生まれの女の子にしたのは。

乾 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』もそうですが、女の子がひとりぼっちの状況におかれるのは同情を誘うし、突出した才能とアイドル性がある子が、それがために不幸な目に遭う経緯は説得力があるだろうと。男子と女子、どちらにするか少しだけ悩みましたが、物語の要請で、わりとすんなり、中学生の女子が主人公になりました。

── 物語の序盤で、TV番組のクルーが《未来科学研究所》へ取材に行くシーンでは、科学的ディテールが詳細ですが、乾さんは理科の知識は。

乾 ないです(笑)。高校時代に成績が良かったのは国語と数学で、文系か理系か選択するとき、理科より社会が苦手だったから消去法で理系に進みました。大学で学んだので数学ならある程度分かりますが、本当に得意だったのは国語(笑)。僕は家からほとんど出ずに仕事をしていて、小説の舞台や、テレビの制作風景、科学的なディテールなどの大部分は想像で書いています。専門外の人間だから大胆に書けるところもある。あくまでも小説で、うそを書いている自覚がありますから、なるべく本物らしく書こうとしてディテールが細かくなるのかもしれません。

── 乾さんは六十年代生まれで、子供時代に科学特捜隊が活躍する「ウルトラマン」が流行るなど、それこそ科学を身近に感じて育ったのではないですか。

乾 それはあると思います。テレビドラマなどSF・科学的な娯楽に親しんで、知らず知らず影響を受けていたと思います。また、『スリープ』に出てくる「マーク・クリントン」は、『ジュラシック・パーク』が代表作のマイクル・クライトンがモデルです。僕がずっと好きだった作家で、テーマ性で少し影響を受けていたと思うんですが、『スリープ』は、テーマの浮かび上がり方が面白かった。現代を舞台にした序章がうまく書けたから、TV番組のレポーター仲間だった残る二人、プログラマーの鷲尾まりんとメカマニアの山下勇樹も、主要人物のアリサと戸松に未来でも関わらせたいと考えました。四十代になったまりんを直接的に描くのではなく、年下の助手のような人物を介在させたらどうだろうと、まりんの部下で二十代の貫井要美を登場させました。途中まで書いたところで急に生まれた人物だったんですけど、彼女を絡めて書くうちに、物語全体のテーマが浮かび上がってきました。最終的にこんなところに行き着くのかと、自分でも意外な展開でした。ずっと吸収してきたいろんなものが自分に影響していて、少し時間のずれがある人物の視点が入ると、ある時代の流行に対するアンチテーゼが絡んでくるとか、面白いことが起きるなと思わされました。

── テーマも重みがありますが、やはりこの小説の端緒となったネタ(トリック)に驚かされました。

乾 僕は、今回の作品は「SF」に分類されるのだろうと思ったんですが、出版社の新刊予告のジャンル紹介には「推理・サスペンス」とありました。逃亡サスペンスの要素はあるけどSFじゃないかなと思ったら、編集者は「SFの要素があるミステリですね」と(笑)。ただ、娯楽小説として書いているので、ひと言、「面白かった」という感想が聞けたら、それが一番だと思います。

── 別名でミステリ評論もしておられますが、ミステリにこだわりはありますか。

乾 小中学校の頃から本格ミステリを中心にした読書で、ミステリ好きでした。初めに謎を出すか、最後にどんでん返しを仕組むか、ミステリの手法にのっとって書く傾向があります。僕は最初にネタありきで、謎やトリック、範囲を広げてアイディアと言ってもいいですが、ネタを思いついてしまったから人に読んでもらいたい、それが小説を書く動機です。ネタ次第で設定や雰囲気を大きく変えてしまうから、前作の作風を期待されても違うものになる。ネタ次第で作風が変わる面白さを楽しんでいただけたら嬉しいですね。『イニシエーション・ラブ』のネタを思いつくまでは、自分が恋愛小説を書くなんて思っていませんでした。戦前の探偵小説はSF、本格と何でもありで、ジャンル横断的な面白いものがたくさんありました。ジャンルとして本格ミステリが好きなのに、実際に書いてみると、SFなのかサスペンスか、ジャンル分けに迷うようなごちゃごちゃとしたものを僕が書いてしまうのは、子供時代に読んだものの影響で、どきどきさせられたジャンル横断的なものの魔力を再現しようとしているのかもしれません。

── 今後の執筆予定を教えてください。

乾 今年の新刊は、『蒼林堂古書店へようこそ』が五月、本作が七月、秋に長編が出て三冊の予定です。「日常の謎」「SFサスペンス」「恋愛サスペンス」と作風はばらばらです(笑)。三つとも面白いのが一番ですが、必ずひとつは好みに合う、面白いと言っていただけるものだと思うので、ぜひ手にとってください。今後も書きたい、もやもやっとしたネタがあって、もやもやが取れて種≠フ形になったら、肉付けをしていきます。次に長編を書き下ろすときは、六年もの間が空かないようにしたいです(笑)。
(六月二十一日、東京都千代田区の角川春樹事務所にて収録)


Page Top  Web版新刊ニューストップ

Copyright©2000 TOHAN CORPORATION