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市川拓司(いちかわ・たくじ)
1962年東京都生まれ。獨協大学卒業。97年からインターネット上で小説を発表。2002年1月のデビュー作『Separation』がテレビドラマ化され、注目を集める。『いま、会いにゆきます』は映画化され、120万部を超えるベストセラーに。主な著書に『世界中が雨だったら』、『そのときは彼によろしく』(07年6月2日全国東宝系公開)、『恋愛寫眞――もうひとつの物語』、『きみはぼくの』などがある。 |
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『ぼくの手はきみのために』
角川書店発行
角川グループパブリッシング発売
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『世界中が雨だったら』
新潮社
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『いま、会いにゆきます』
小学館
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『そのときは彼によろしく』
小学館文庫
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―― 市川さんの最新作『ぼくの手はきみのために』は表題の短編小説と、「透明な軌道」「黄昏の谷」という二作の中編小説で構成されています。まず、「ぼくの手はきみのために」からお尋ねします。これは、似た環境に育った幼馴染みの「ぼく」と聡美の物語です。十一歳の夏に発症した聡美の発作に対して、「ぼく」が彼女の肩胛骨近くに手を置くことで、聡美を治癒することができるようになります。
市川 僕は物心がついたときから、母親に対して身体をさすったり、肩を揉んだり、足を揉んであげたりしていました。結婚してからは奥さんや子どもに対して同じ行為を続けています。僕の日常にある行為なので、小説を書こうと思ったときに自然に発想しました。
―― 作中の「ぼく」は聡美の手当てをすることで《ぼくらは離れられなくなった。互いが互いを必要とし、それぞれがそれぞれのかけがえのない存在となったのだ。》と意識しますが、この言葉は市川さんの全作品に響くキーワードですね。
市川 これは無意識下の働きかけです。僕は自分の主義主張やポリシーがあって小説を書いているわけではなくて、自然と湧き出てくるものが同じになってしまうところが、オブセッションとも言えると思っています。僕のような人格を抱えている人間は、お互いがお互いに「命がけでなつこう」とするんです。それでうまく交わることができれば、シュアな関係を結べるし、かけがえのない存在になるのだと思います。
―― 聡美との会話の場面では《彼女は最後まで言葉を尽くすことができなかった。》と表現し、また別のシーンでは《遠慮がちな好奇心》という表現もあります。これは市川さんの持つ天賦の言語感覚ではないでしょうか。
市川 そういう部分を読んでいただけるのは嬉しいですね。僕はメッセージ性の強い作家と思われたり、「人生観」を誉めてくださる読者の方が多いんですが、自分の個性が如実に表れているのは、言葉の表現だったりするんですね。でも、なかなかそこに気づいてもらえない(笑)。
―― 十七歳になった二人は、一旦離れて暮らします。その別れの場面は市川さんの真骨頂とも言える映像的な描写力で描かれています。こうした表現力は、修業して習熟したものですか。
市川 生まれつきですね。作家として最大の特徴であり、武器ではないかと思っています。僕は母方も父方もおじいちゃんの代から職人なんです。叔父も東宝の美術の仕事をしていました。映像を生業にしているのは家系的なものですね。僕も映像の業界に入ってもおかしくなかったのですが、たまたま映像を文章に置き換えたんです。僕の中では現実・夢・妄想・小説が、横並びに近い状態で目の前に広がっています。だから読者も映像をイメージしやすいのかもしれません。
―― それが市川さんの小説が、映像化される理由かもしれませんね。
市川 たぶんそうでしょうね。じゃないとおかしいなという思いがあります。僕の作品のうち『そのときは彼によろしく』などの四作が、ドラマや映画化されました。これは、運だけでは語れません。おそらく脚本家やプロデューサー、監督の方々が読んだときに、自分の波長と合うものを感じてくれたのでしょうね。
―― さて続く「透明な軌道」は、庭木に囲まれた平屋で暮らす康生と充生の父子に、真帆という女性が関わっていく静かな物語です。ディテールは市川さんの人生が反映されているのではないでしょうか。
市川 これは願望小説ですね。作品に描かれているような、模型やガラクタに囲まれた生活が理想の暮らしなんです。息子の充生が高校卒業後にジオラマの制作会社に就職しますが、ジオラマ制作も自分の天職かな、と思うことがあります。
―― 作中に「毛様筋」という言葉が登場します。これは辞書には載っておらず、ネットで検索して、ようやく眼球の周囲の筋肉だとわかりました。
市川 僕は十九歳でパニック障害という病気にかかり、お医者さんと同じくらい必死に勉強したので医学用語をたくさん知っています。また物理学も好きで、人文系の人にはない語彙が多いんです。小説を書くときに、そうした専門用語はギリギリのところで削除するようにしていますが、たまに難しい言葉が残ってしまうんですね(笑)。
―― 康生の元妻であり充生の母親でもある、能動的で風のように世界を移動する茜には、誰かモデルがいたのでしょうか。
市川 彼女のモデルは自分自身だと思うんですよ。僕の中では、いつも二面性がせめぎあい、融合しているんです。臆病で不安で悲しみを抱えている繊細な部分と、陸上選手として全日本を目指していた頃の多動的な部分です。病気になる前は、将来は世界を旅して回る人生を送ると思っていたので、そういう想いが茜に投影されています。
―― 終盤で真帆は「悪い病気かもしれない」とつぶやきますが、それを乗り越えていくような予感も感じさせます。作者としてはどちらの想いでしょうか。
市川 エンディングは二十枚ほど書き足しました。そのときは完全に前向きな気持ちで書いていました。このカップルはうまくいくんだという想いです。その暗示として、上昇を続けて空に消えるグライダーを書きました。
―― 最後の作品は「黄昏の谷」です。伯父の寛一と貴幸、そして寛一の昔の交際相手の子どもである初恵が織り成す、ある家族の年代記とも言えます。
市川 クロニクル的な構成になったのは、小説の舞台として自分が子どもの頃に住んでいた長屋を描きたいという理由がありました。僕の作品の中では珍しく時代を遡る設定になっています。
―― この作品は他の二作に比べてファンタジー性が強いです。後半では題名通り黄昏の谷が登場します。
市川 最初にラストシーンありきで、二人が宇宙の終わりまで永遠にキスを続ける姿が頭の中に浮かんでいて、その映像から物語をたどり小説をつくりました。
―― 長屋で寛一がキャンディーを持ち歩く女性と出会い、その行方は物語を読み終えて、もう一度オープニングを読み返すと僅かに暗示されています。全てを説明しない小説の魅力を感じました。
市川 小説を書いていて、どこまで省略できるかなといつも考えています。筋を説明するだけの文章では、飽きがきてしまいます。だから説明はできるだけ端折って、読者のリテラシーに頼りたいという想いがあります。でもそれを突き詰めるとぶつ切りの小説になってしまうし、その欲求のせめぎあいの中から生まれたのが現在の形です。
―― コミュニティ的な長屋の人々は、非常に印象深いですね。
市川 僕が暮らしていた長屋がそうでした。家族構成や職業は替えていますが、そこに住んでいた四部屋の住人は、弱さを抱えつつも本当に優しくて、そのまま投影しました。
―― 市川さんのお話をうかがうと、黄昏の谷もその長屋と二重写しに見えてきます。
市川 イコールではないけれど、そういう人達がひっそりと暮らせる、永遠の時間を持った場所が、どこかにあったらいいなという願望がありました。この作品は母親を亡くすときに書いていました。黄昏の谷という存在を信じきることができれば、僕は救われるんだという想いがあったんです。
―― 本書に収められた三作の若い恋人たちは皆、片親を知らないか、その存在が薄いですね。これは市川さんの経験ではなく、虚構の仕掛けなので しょうか。
市川 僕の中では親そのものの存在が希薄なんです。だから、『恋愛寫眞』や『いま、会いにゆきます』、『Separation』などの作品では、親のことに触れていません。言うならば、僕のお袋は永遠の少女だったし、親父は永遠の少年でした。だから、十代の早い時期に、僕は精神的に家長のような感覚になっていました。高校入学も結婚式も自分で勝手に決めて段取りましたし。そんな土壌で育った精神性が、親の存在が希薄な小説を書いてしまうのだと思います。
―― 市川さんの作品の読後感には、いつも希望を感じます。
市川 『いま、会いにゆきます』も、完全に別れてしまうのに読後感は救いがあると言われました。それは「祈り」みたいなものなんです。自分の中に親しい人をなくす不安を抱えていて、常にそれに対するアンサーを求めて小説を書いています。そのアンサーが絶望ではやりきれないので、救いみたいなものをいつも描きたいと思っているんです。
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