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金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年東京都生まれ。中学生の頃から小説を書き始め、2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞を受賞しデビュー。同作品で04年に芥川賞を受賞した。著書に『蛇にピアス』、『アッシュベイビー』、『ハイドラ』、『オートフィクション』、『AMEBIC』がある。 |
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『星へ落ちる』
集英社
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『蛇にピアス』
集英社文庫
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『アッシュベイビー』
集英社文庫
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『ハイドラ』
新潮社
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―― 金原さんの新刊『星へ落ちる』は、「私」と「彼」の恋愛の行方を描いた連作短編集です。二人は恋に落ちているにもかかわらず、「彼」には恋人(「僕」)がいて、「私」には昔の同棲相手(「俺」)から毎日電話やメールが届きます。まず、どのように発想されたのでしょうか。
金原 最初に第一章にあたる「星へ落ちる」を、単発の短編小説として文芸誌に発表して、次に「サンドストーム」という作品を、雑誌『マリ・クレール』に発表しました。全くの別物として書いたつもりでしたが、同一人物のその後の話として読めるのではないかと考え、短編集として一冊の本にしようと書き継いでいきました。今までは女性の一人称で小説を書いてきましたが、今回は、一人称多視点で書いてみました。いろんな人の気持ちを書いてみたかったんです。これまでは、自分の体の中に内視鏡を入れているような書き方でしたが、今回は遠くの方からフォーカスをあわせて、外側から細部を描く表現に挑戦してみました。
―― 書名でもあり、短編の題名でもある〈星へ落ちる〉という言葉は、上昇と落下を重ねあわせた、優雅で可憐な表現ですね。
金原 「星をずっと見上げていると、その星へ落ちていきそうな気がする」という言葉を、実際に人から聞いたことがあって、いい言葉だなとずっと書き留めて、温めていました。夜空を見上げている時に感じる、足元がフワッとする落ちちゃいそうな感覚は、自分自身が恋に落ちる時の不安定な感覚と似ているような気がしました。
―― 第一章の「星へ落ちる」では、「私」はマンスリーマンションで暮らしていて、《ここは借り物だ。》と表現しています。彼女が置かれている宙ぶらりんの状態を、見事に表していると思いました。
金原 私もマンスリーマンションで暮らしたことがあって、その時は、自分自身が何者であるか、揺らいでいくような感覚がありました。住所や電話番号がはっきりと決まっていることは、人間にとって精神的に落ち着く状態だと思うんです。いつか、借り物の部屋でどんどんアイデンティティが揺らいでいく人物を書こうと思っていたんです。
―― 続く「僕のスープ」は、「彼」の恋人である「僕」の一人称で綴られた短編です。
金原 最初は、彼の恋人を女性で書こうとしました。でも、その人物設定だととても嫌な女に見えてしまって、感情移入ができなかったんです。それで、男にしてみたらどうかと考えました。発想を転換したらすごくしっくりいって、物語が展開していきました。
―― 恋人を男性にしたことで、ストーリーに膨らみを感じました。
金原 今回は性差というものを意識しないようにしました。男性同士の恋愛感情というのは私には知り得ないところですが、同じように体験している状況に追い込んで書いたので、憑依されたという感じがします。自分自身がその状況で生活をしていると仮定したときに、初めて見えてくる細部があると思うんです。そのあたりを見落とさないように気をつけました。
―― 「僕」と「私」の間に立ち、二人を翻弄する「彼」ですが、その「彼」を視点にした物語がありませんね。
金原 「彼」の視点を入れるかどうかは悩みました。「私」「僕」「俺」の三人は、恋愛を軸に生きている人たちで、恋愛を軸に生きていないであろう「彼」の短編を書いたら、『星へ落ちる』の世界観が崩れてしまうと考えました。「彼」は、「私」や「僕」がいる世界とは、違う次元で生きていると思うんです。「彼」は物語の中心人物ですが、ドーナツの穴みたいなもので、「彼」の視点がないほうが、想像力をかきたてるのではと思っています。
―― 登場人物には名前がありません。ニックネームすらないですね。
金原 第一章の「私」と第二章の「僕」、第四章の「俺」の三人は、たとえ憎しみあう関係であっても、同じ悩みを抱えている点で通じあっています。ですから、完全に個別に書くことはしないで、どこかで融けあっているともとれる書き方を選びました。「○○さん」や「××ちゃん」のように名前がつくと、人物像が独立してしまいます。「私」「僕」「俺」であれば、入れ替えが可能なんですね。今回は多視点で書くようにしたので、作品世界が立体的に見えるように最終的な調整をしました。「彼」にしても、「私」にしても、別の人からの見方を加えることで、全然違う人物に見えてくることを狙いました。これは今までにない作業でした。
―― 『星へ落ちる』の面白さの一つは、読み進めていくうちに、登場人物の輪郭が、ゆっくりと浮かび上がってくるところではないでしょうか。第四章の「左の夢」で、それまで暗示されていた「私」の職業が、小説家だとわかります。
金原 「私」は会社に勤めているわけではないし、仕事をしている場面もないので、あえて職業を出さなくてもいいかなと考えました。ただ、編集者である「彼」をよりリアルに描こうとすると、彼女の職業のディテールが必要になりました。フリーの仕事といっても、「ライター」や「カメラマン」にするとリアリティがなくなるような気がしたので、自分に近いところで作家という職業を選びました。
―― 最終章の「虫」は、三度「私」の視点で語られます。
金原 「私」は一章、三章、五章と進むに連れて幸せになっていくんです。当初「彼」は他の人と暮らしていたのに、一緒に暮らすところまでこぎ着けたし、「結婚しようよ」とまで言われるようになります。でも、なぜか彼女はどんどん不幸になっているようにも見えるし、嫌な人間になっているようにも見えます。一章の彼女が、一番純粋だったような印象がありますよね。求める人を手に入れたとしても、必ずしも幸せになれるものではないという、状況と感情が一致しない、恋愛の二面性が描けたと思います。
―― 「私」が最後に嘔吐する場面に、それが表れていると感じました。
金原 二章に登場する「僕」と「私」の類似性を、浮き彫りにしたいという狙いもありました。初めは「私」の影に怯えていた「僕」だったのに、今は「私」が「僕」の影に怯えるようになっています。そして彼女は、それぞれの立場が逆転したことに気づくんですね。
―― 圧倒的な閉塞感で幕を下ろしますね。
金原 最終的に、答えは出ていないんです。恋愛については、どうしても結論を避けたところでしか書きようがないと思っています。結局、・出口はないということだけがわかる・そこでこの小説は終わります。
―― 金原さんの作品には、相手の考えがわからない、相手に自分の気持ちを伝え切れない、そんな〈絶望感〉がモチーフとして存在していると思います。
金原 人と人の間には、どんなに近い存在になってもわかりあえない、絶対的な壁があると思います。理解しあえないことで傷つき、苦しんでいる人はたくさんいると思いますが、それが普通で自然なことなんだと小説で伝えていきたいです。それから、現実世界の違和感や、すべてのものに対する疑念とかも書きたいと思っています。
―― 前作までの感覚的な文章とは異なり、『星へ落ちる』では、センテンスのひとつひとつを丁寧に積み重ねているように感じました。
金原 デビューの頃から心がけているのは、読みやすい文章を書くということです。難しい言葉を使わずに、自分が話している感じやリズムを、再現するように書いてきました。今回は、読みやすさは変えることなく、その上で優しく流れる文章を実践しようと思いました。これまでがラップやヒップホップのようなリズムだとしたら、『星へ落ちる』では、クラシックのような流れにしたかった。言葉ひとつを取っても、替えがきかないものにしたいと、すごく気をつかいました。
―― 二〇〇三年のデビューから順調に作品を上梓されています。金原さんは勤勉な作家ではないかと思うのですが。
金原 小説を書くときは、ペース配分を考えたことはなくて、書けたら出版するという形でやってきました。そういうスタンスで書いていると、一年に一作というペースが、自分にとっていいリズムだと感じるようになりました。私にとって小説を書く行為は、ものを食べて排泄することと同じなんです。自分が生きている中で取り込んでいったものを、小説という形をとってはき出しているんです。しばらくは、このリズムは変わらないでしょうね。
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