── 『水滸伝』全十九巻の続編『楊令伝』が全十五巻で完結しました。二作併わせて十一年に及ぶ執筆期間を経た達成感、感慨はいかがでしょうか。
北方 『水滸伝』から併せて一万七千枚の原稿を書いたことになります。余韻に浸ったのは三日程度でした。それ以降は力不足だったと振り返るものです。ひと月程時間が経つと、そこそこ書けているのかな、と手応えを感じます。『三国志』を書き終えたときも達成感はなかった。歳をとると作家は感覚が磨耗して弛緩する部分があるんです。だから客観的に作品を見つめるようにしています。
── 『楊令伝』は前作『水滸伝』の梁山泊陥落から三年経った時点で物語が始まります。
北方 『水滸伝』は「宋」という国家を倒そうという目的を持った革命勢力梁山泊≠フ物語だったんです。しかしその革命は敗北して『水滸伝』は終わった。次の『楊令伝』は梁山泊が目的を達してしまう物語です。主人公の楊令 が宋禁軍(近衛軍)の総帥・童貫を倒して宋が滅んだ。では目的を達した後どうなるのか、が『楊令伝』のテーマでした。その疑問を梁山泊で問うているのは、楊令だけだった。楊令が帝に即位して宋の領土に新たな国家を創るのは簡単なんです。だがそのためだけにあれだけ多くの人間が死んでいったのかと。それでは天下が入れ替わっただけですよね。革命というのは運動体です。運動体が制度を倒し、新たな制度になる。するとまた別の運動体ができる。その繰り返しは果たして正しいことなのか、という問いかけが僕の中にあります。それは楊令自身の問いでもありました。既存の国家とは違う国の在り方があるのではないかと探っていく訳です。その姿は誰も見たこともない訳だから、試行錯誤の中で創り上げるしかない。
── 宋を倒した楊令は帝にはならないと宣言します。開墾を奨励したり、自由貿易のルートを探ります。これは北方さんの唯物史観が反映されていますか。
北方 歴史観でしょうね。人間が何千年も同じことを繰り返しているのは何故か。画期的な変革を成し得なかったのは何故か。楊令は梁山泊の民の税金を一割に軽減しますが、そんな国が歴史上に存在した。耶律大石が多民族国家の「西遼」という国を作り、シルクロードを押さえて道路を財産にした。その収益で国を支えて、西遼はおよそ八十年続きました。そんな例もある。楊令は国家をどう統治するかを考えた。権力による抑圧でもなく、権威でもない。交易での立国を目指したのです。しかし梁山泊以外の諸国は「自由貿易は国を滅ぼす」と考えた。
── 江南で反乱を起こす、宗教的指導者の方臘は清濁併せ呑む不思議な人物ですね。宗教的な狂乱が恐ろしく描写されていました。
北方 宗教的なカリスマ性を持った人間の魅力は「理」では描けない。信徒一人一人の血を吸ったり、信者に石を一つ渡すと、信者は石を抱いて喜んで死んでいったり。これは現世を否定していく訳ですよね。方臘の弱みはそこにあった。自ら死んでいいと思っている人間を集めて革命を起こそうとした為に滅ぶことになる。やはり、豊かに暮らしたいとか、税金が安くならないかとか、生きるための欲望を抱きながら建設に係わる人間でないと権力を倒す闘争には勝利できないだろうと思います。梁山泊の元軍師・呉用も初めは狭量な人物だったけれど、方臘の傍にいて経験を積むことがきっかけで内面が豊かになっていく。方臘のカリスマ性に魅了され、彼の要求を考えに考えて実現に導く。果ては方臘とともに死のうとする。梁山泊に留まっていたらこれほど豊かにはならなかったでしょう。
── 呉用は「方臘の乱」末期に梁山泊の武松に救出されて生き残りました。
北方 死に場所を求めていた呉用なのに、あいつは中々死なないですね(笑)。実を言うと呉用は『水滸伝』で死んだのです。燃える梁山泊に飛び込んで行ったのだから、小説の文脈では死んだことになる。しかし「梁山泊の会」という読者の会合でみんなが文句を言うんです。呉用の死体が出てない、だから絶対に死んでないと。そこまで言うのなら、と生き返ることになってしまった(笑)。生き返ると案外活躍するんですね。
── 最終巻では梁山泊を大洪水が襲いますね。この意味合いは何でしょうか。
北方 中国の歴史はいつも天変地異で大きく変わっています。黄河は暴れ川で、氾濫するたびに時々の国政が揺らいでいる。「梁山泊」という歴史上存在しない運動体にダメージを与えるのは北方の金軍でもなく、南宋軍でもないんです。天なんです。一番肝心な時に大雨が降ります。天は梁山泊の存在を許さなかった。
── 『楊令伝』は梁山泊の物語であり楊令の物語であると同時に、宋禁軍の将軍・岳飛の成長の物語でもありますね。
北方 自信に溢れた少年時代の岳飛が戦で楊令に蹴散らされて、剣を突きつけられる。楊令が顔を見て「子供だったのか」とその場からいなくなる。その瞬間から岳飛は楊令を超える為に生きていく。後に禁軍の総帥・童貫に見出されて指揮官になっていきますが、楊令と闘うという執念を持ち続けていきます。『水滸伝』が楊令の成長の物語でした。それが『楊令伝』に引き継がれ、岳飛も『楊令伝』の時間の中で成 長して一端の男になるのです。二人が見ているのは同じ物でした。岳飛には国家観がなかったけれど自分の存在が民の為になるように、という思いは梁山泊の志である「替天行道」の思想と一致する。しかし今生の縁で二人は闘うことになっているのです。実は初めから続編の構想がありました。今後『岳飛伝』という『水滸伝』第三部を書く予定です。成長した岳飛は『岳飛伝』の中で、自分にとっての楊令は何だったのかを考えていきます。
── 地のセンテンスだけでなく、人物の科白も簡潔ですね。北方さんの全身全霊が宿っているようです。
北方 文体とは作家の息遣いなんです。僕らの修行時代は枚数制限が厳しく、言葉を切り詰めていく修練をせざるを得なかった。僕は現在様々な賞の選考委員をしていますが、若い作家の小説は概ね言葉が緩い。その緩さを補う為に何行も描写を書き連ねる。言葉の吟味や省略の訓練をしている作家は少ないようです。
── 物語に西暦や年号が一切書き込まれていないのは何故でしょうか。
北方 小説の中で歴史的な事実は曲げていません。「方臘の乱」や宋の滅亡、金の侵攻や南宋との同盟、それらは年表を見れば分ることです。僕は歴史の解釈を述べたい訳ではなく物語を書きたい。僕らの大先輩に司馬遼太郎という作家がいます。司馬さんは物語の中に解説を持ち込み、学術的な面も際立たせて日本独特の歴史小説を確立された。我々は司馬さんの小説と対峙しながら創作してきたんです。日本に元々あった大衆小説の伝統をきちんと活かした方法もあっていい。だから僕は年号を書かないのです。いざとなれば年表を本の付録につければいい。
── かつて北上次郎さんとの対談で、物語のダイナミズムを求める中で「日本史を勉強すると、中国にたどり着く」と発言されていますね。
北方 漢字から何から、あらゆる日本の文化、思想は全て半島を通じて中国から入ってきていたんです。一番大きな流入は「国家観」です。春秋戦国時代の思想家・孟子が国家には「王者・覇者」があると言いました。「王者」は連綿と続く有徳の権威がある。「覇者」はその時代に戦で勝った者であり権力を持つ。その国家観が日本に根付き、歴史にも表れています。日本に入らなくて良かったのは纏足と宦官くらいだとよく言われています(笑)。
── 担当編集者とは、長く素晴らしい関係を持ち続けられているそうですね。
北方 若い頃から一緒にやっています。『水滸伝』でも『楊令伝』でも、書いている僕のエネルギーは常に前を向いているんです。夢中で書いていると忘れることもある。そこで時折後ろを振り返って積み残したことを知らせてくれる人がいると助かるのです。長編小説を担当する編集者の仕事だと思います。
── 『岳飛伝』はいつごろ書かれるのでしょうか。
北方 それは公表していません(笑)。『水滸伝』は革命の物語で『楊令伝』は建設の物語でした。その建設が潰えた後、楊令に従い建設に係わった人間たち個々の人生を検証していかなければなりません。色々な場所に散った様々な個人の人生の戦いと決着をつけていきます。『岳飛伝』を併せて三作を『大水滸伝』と括り、合計五十巻近くの書物になるでしょう。このシリーズは巻を重ねるたびに初版部数が伸びているそうです。待っていてくれる読者がいるのはありがたいことです。
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