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『曠吉の恋 昭和人情馬鹿物語』の久世 光彦さん
インタビュアー 大島一洋(編集者)

久世 光彦(くぜ・てるひこ)
1935年東京都生まれ。東京大学文学部美学科卒業。TBSで「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」など多くの人気ドラマを手がける。その後、文筆業にも手を染め、独特の美学をたたえた秀作を発表。主な著書に『一九三四年冬−乱歩』(山本周五郎賞)、『聖なる春』(芸術選奨文部大臣賞)、『蝶とヒットラー』(Bunkamuraドゥマゴ文学賞)、『蕭々館日録』(泉鏡花文学賞)、『雛の家』、『へのへの夢二』等がある。




『曠吉の恋
昭和人情馬鹿物語』

角川書店



『蕭々館日録』
中公文庫



『雛の家』
中央公論新社



『へのへの夢二』
筑摩書房


大島 本の冒頭に「川口松太郎さんへ」という献辞があり、サブタイトルが「昭和人情馬鹿物語」ですから、これは川口松太郎さんが昭和二十九年に発表された『人情馬鹿物語』を意識した小説ですね。川口さんへのオマージュになっています。
久世 うです。むかし読んだのがきっかけですね。ただし、川口さんが昭和二十年代から大正を振り返ったのに対して、僕はちょっとずらして、今の平成から昭和のはじめを振り返るという形にしました。
大島 時代は昭和八年からですね。巣鴨の水道屋一家の次男坊・曠吉が十五歳から十八歳までの物語ですが、舞台を巣鴨にされたのはなぜですか。
久世 巣鴨というのは、下町でもなく山の手でもない町で、関東大震災の被害も少なかった地域です。僕は昔から、とげ抜き地蔵が好きでね。ロケに使ったりしていた。それと今はないけど、癲狂院と廃兵院というのがあった。また、ちょっと足を伸ばせば遊廓や大塚の三業地もあるし、染井、雑司ヶ谷という墓地もある。物語の環境としてはいいんじゃないかと思って選んだんです。僕は下町暮らしの経験がなくて、一種のコンプレックスみたいなものがあるんだけど、しかし、下町的精神とか匂いは多少わかりますから、巣鴨なら腰を引けないで書けるかなと。
大島 主人公の曠吉という名前はむずかしい字ですね。
久世 実は高校時代の友人に曠吉というのがいたんです。親しくしてたんだけど、大学へ入ってからノイローゼになって自殺してしまった。彼はいつも「俺はむなしい男だ」って言ってました。荒地を意味する「曠野」の曠ですからね。で、その名前に愛着があって、この小説で使わせてもらった。
大島 曠吉自身のモデルはいるんですか。
久世 いや、それはいない。すべて創作です。一種の成長物語ですね。曠吉に女の修行と文学の修行の両方をやらせてみたい、いろんな女性と出会いながら、一方で川口松太郎みたいな小説家を目指すという設定です。川口さんは昭和十年に「鶴八鶴次郎」と「風流深川唄」で第一回直木賞を受賞しているから時代的にちょうどいい。
大島 都々逸や小唄が重要なポイントとして挿入されていますが、これらの唄からストーリーを発想された部分もあるでしょうね。
久世 それはあります。たとえば「人に言えない」「九尺二間」の章はそうです。
このふたつははじめに都々逸ありきですね。都々逸を知って、昔の父親の行動や自分の体験が結びついて、妄想をふくらませたものです。
大島 都々逸は、資料として、まとまった辞書みたいなものがあるんですか。
久世 いや、ちゃんとした文献はないですね。有名になってるものは数がしれているし、いいものがなかなかない。CDで柳家三亀松とか都家かつ江なんかの都々逸集はありますよ。だけど基本的に数が少ない。これを集めるのが大変だった。いろんな人に聞いて、ひとつずつメモして、今も続編のために集めてます。ただ心配なのは、若い人が都々逸や小唄をどれくらいわかるのかということですね。言葉としてわかっても三味線にのせて唄われたときの雰囲気を、実感として味わってもらえるかどうか。今はもうテレビでもラジオでも寄席でもやりませんからね。昭和三十年代くらいまでは、美空ひばりや江利チエミが歌のなかに都々逸や小唄を入れてたからまだよかったけど、最近はまったくだめですね。だいたい街に三味線の音が聞こえないでしょ。これはお座敷の衰退というのが大きいのでしょうね。
大島 会話にも、今はあまり口にしないような言葉が出てきますね。例えば第一章で見ると「悋気」「所帯を持つ」「大概にする」「思案する」などです。読めるし意味はわかりますが、今はもう日常会話ではほとんど使いませんね。
久世 半死語と思われる言葉をたくさん使うようにしました。「我慢」と書くところを「辛抱」に置き替えるとかね。昔の東京のいい言葉を残したいということです。だから、作業としては、川口さんはもちろん、久保田万太郎さんや古い作家の小説を読みながら線を引いて、言葉をメモに書き写す。どんどん言葉をプールしていくわけです。小説を書き出す前に、それらのメモをまわりに散らかしてね、いわば単語帳を見るようなもんです。そういう言葉で自分の頭を埋めていく。それから書き始める。雰囲気として、その効果はあったかなと思います。ただし、昔風に書けばいいというわけじゃない。今の読者にきちんと伝わらないといけないからね。川口さんの娘さんの晶さんと親しいので感想を聞いたら「面白くて読みやすいし、今の小説を読んでいるような感じで、自分の知らないあの時代が目に浮かびます」と言われて嬉しかったし、多少の自信も持てました。
大島 酒と食べ物が頻繁に出てきますね。曠吉は十五歳ですが酒を飲みまくってます。そういう時代だったんでしょうか。
久世 半纏着た職人ですからね、酒くらい飲んだでしょう。食い物も当時は作るのに時間がかかった。今みたいにスーパーやコンビニがあるわけじゃないから、手間暇かけたんです。今じゃ、漬物すら自分の家では漬けてないでしょ。
大島 曠吉を一度だけ、巣鴨から阿佐ヶ谷へ住ませますね。なぜ阿佐ヶ谷だったんですか。
久世 それは僕が阿佐ヶ谷で生まれ育ったからです。曠吉を巣鴨からちょっとよそへ出そうと考えたとき、やはり書くのに自信がある場所というと、土地勘のある阿佐ヶ谷だったんだね。巣鴨より下町の雰囲気が少ない町でないとだめなんです。浅草なんかに行かしたら、あとで巣鴨に戻ったときに困っちゃいますからね。
大島 ミステリー短編としても読みごたえがあります。乱歩に詳しい久世さんならではと思いました。
久世 そんなに大げさなつもりはないけど、ちっちゃな「はてな?」ですよね。読者を引っ張るために、市井で起きる小さな事件や疑惑を出しておいて、それを小唄の師匠であるお涼が素人探偵で明らかにしていく。アームチェアー・ディテクティブです。つまり自分では動かないで、あちこちから情報を集めて解決していくスタイルですが、最初からそうするつもりはなかった。でも今の読者はミステリーに慣れてるから、これもいいかなと思って。
大島 曠吉がいろんな女と性体験していきますが、性描写がかなりエロティックですね。
久世 ちょっとはっきり書き過ぎた感じがするので、続編からは少なめにしていきたい。それより情景が色っぽいとか、女の気持ちが色っぽいというふうにしたいですね。僕は、色気がないと言われたら書くのやめようと思ってるくらい、色気にはこだわってます。
大島 川口さんの『人情馬鹿物語』でも、すぐ男と女が寝てしまいますね。
久世 うん、そうだけど川口さんには天性の良質のユーモアがある。僕にはそのへんが足りないかなと思ってる。
大島 人情、ミステリー、セックスと三拍子そろってますから、これはテレビドラマになりそうですね。
久世 その気はないですね。僕がテレビドラマをやってるから、ドラマを撮るように書いているのかもしれない。色にこだわっているところとか、映像的に読めるみたいですけど、それは僕の商売の影響ですよ。
大島 それにしても曠吉はうらやましい男です。
久世 曠吉は行動派で、頭で考えるタイプじゃない。やることは馬鹿だけど、それだけに、せつない、かわいい、という風に書きたかった。曠吉は馬鹿だねえ、と思いながら、読んでて顔がゆるんでくるようなキャラクターにしたいと思っていました。男は見てくれに格好をつければ必ずボロが出る。人生は矛盾だらけですから、その矛盾が、おかしさ、かわいさになってくれればいいなと思います。啓蒙的な小説を書いてるつもりはないんだから。
大島 曠吉は、これからどうなっていくんでしょうか。
久世 続編を終戦まで書いて、第二部は戦後でやりたい。第三部は東京オリンピックまでだと思ってます。曠吉は結婚して子供も生まれるだろうけど、それでも人情馬鹿は成り立つと考えてます。天から降ってくるような幸運もないかわり、とてつもなく落ち込むような挫折もない。小さなつまずきや裏切りはあるかもしれないけど、そうやって人と人との人名録がふえていって、人間は成長していくんだと思いますね。僕の作品のなかでは、あまり濃くない小説で、自分でも楽しんで書いてますから読みやすいはずです。ぜひ読んでください。

(12月21日 東京・赤坂にて収録)

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