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【シリーズ対談】松田哲夫の著者の魅力にズームアップ!
デビュー23年目の初めて尽くし

「新刊ニュース 2010年8月号」より抜粋

宮部みゆきさんの新刊『小暮写眞館』は、主人公の高校生“花ちゃん”こと花菱英一を中心に、家族、友人など様々な人物が織り成す物語。「初めて書いた“ミステリーではない小説”」というこの作品の構想や今後の展望などを伺います。
作家・宮部みゆき
1960年東京都生まれ。法律事務所に勤務後、87年「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。92年『龍は眠る』で日本推理作家協会賞長編部門、同年『本所深川ふしぎ草紙』で吉川英治文学新人賞。93年『火車』で山本周五郎賞。97年『蒲生邸事件』で日本SF大賞。99年『理由』で直木賞。2001年『模倣犯』で毎日出版文化賞特別賞、02年司馬遼太郎賞、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。07年『名もなき毒』で吉川英治文学賞受賞。その他、著作多数。この度3年ぶりの現代エンターテインメント小説『小暮写眞館』(講談社)を上梓。
編集者 松田哲夫
1947年東京都生まれ。70年筑摩書房入社後、編集者として活躍、赤瀬川原平『老人力』、岸本佐知子『ねにもつタイプ』などのベストセラーを手がける。大正大学客員教授、『新刊ニュース』書評連載「哲っちゃんの今月の太鼓本!」、NHKラジオ第1「ラジオ深夜便」わたしのおすすめブックスコーナーなど、編集者、ブックコメンテーターとして幅広く活躍中。TBS系テレビ「王様のブランチ」本コーナーのコメンテーターを13年務めたことでも有名。2010年6月に筑摩書房を退社し、フリーランスになる。主な著書に『「王様のブランチ」のブックガイド200』(小学館101新書)、『「本」に恋して』(新潮社)などがある。
宮部みゆきさんの作品
『小暮写眞館』
宮部みゆき著
講談社
『英雄の書』
上・下
宮部みゆき著
毎日新聞社
『火車』
宮部みゆき著
新潮社(新潮文庫)
『楽園』
上・下
宮部みゆき著
文藝春秋(文春文庫)
『名もなき毒』
宮部みゆき著
光文社(KAPPA NOVELS)
『クロスファイア』
上・下
宮部みゆき著
光文社(光文社文庫)
 

「本読みのおじさんたち」が応援したファンタジー小説

松田
 宮部さんにインタビューさせていただくのは初めてですね。とても楽しみですし、非常に光栄です。 

宮部 こちらこそ光栄でございます(笑)。

松田 今までドラマチックなお話をたくさんお書きになってきた宮部さんなんですけれども、今回の『小暮写眞館』は大きな事件や犯罪は全く起こらない。なおかつ、七一三ページという大作。大事件が起きないでこの長さというのは、ある意味ではそうとう思い切ったチャレンジだと思ったんですけれども。

宮部 
この作品は書き下ろしなんですが、一年八ヶ月かけて書いて、編集者に章ごとに渡していましたから、ページ数をあまり意識していなかったんです。最後の原稿を渡したときに「ところで何枚になったの?」とページ数を聞いて「長い!」と驚きました。どうして最近の私の作品は、こう長いんだろうと。「この長さなら上下巻に分けた方がよい」という意見もありましたが、この作品はどうしても第一話から第四話まで一気に読んで欲しかった。編集者に「わがまま言って申し訳ないんだけど、この体裁で何とか1冊に収まるようにしたい」とお願いして、なるべくページ数を減らす作業をしました。

松田 確かに長いんですけれども、主人公の花ちゃんとその家族の日常やちょっとした心の揺らぎの積み重ねが、最後の一五〇ページの盛り上がり、心の底から響き渡る感動につながっているという気がします。


宮部 最初に何人かに読んでいただいて、「無駄がない」という感想を聞けたときにほっとしました。鯛焼きを食べるシーンなんて、本筋とは関係ないのでなくても済む話なんですね。でも、花ちゃんに体験を積ませるために、何でもない日常的なことを書き積んでいく必要がありました。ホラー映画の「遊星からの物体X」の話のように、全く関係なさそうに見えて、後で意味が出てくるエピソードもあります。 
 

松田 家族小説としても青春小説としても思う存分楽しめます。そういう部分をとことん書いたというのは初めてじゃないですか?

宮部 これは私が初めて書いた「ミステリーではない小説」なんです。書いていてとても楽しかったですね。まず全体を通しての謎解きがない。第一話、第二話には心霊写真の謎がありますけれども、ロジカルな謎解きではありません。

松田 完全には謎が解けていないですよね。

宮部 探偵役の花ちゃんも写真の持ち主も納得はしますけれども、科学的には全く解明されないんです。それに複数の人物の感情的な言葉が地の文で入り乱れて、ミステリーの根本の掟である「視点の法則」を破ってしまっています。ミステリーの要素はあっても、ミステリー小説ではないんです。その代わり、家族、青春、恋愛と、物語の様々な要素を詰め込んだ。本当に初めて尽くしの作品でした。

松田 花ちゃん一家にいろんな出来事が起こり、光が当たっていくうちに、だんだん影の部分、心の襞に秘められたものが見えてくる。やはりこの長さは必要だったんですね。作品を書き始める前に、内容は決めていらっしゃるんですか。

宮部 いつもラストは決まっているんです。ストーリーは、大まかに大事な部分だけ決めている場合と、タイトルが出た段階でほとんど細部まで決まっている場合と2パターンあります。今回は後者でした。

松田 書いていてどちらの方が楽しいというのはありますか?

宮部 細部まで決まっている方が、書いていて高揚感がありますね。自分の頭の中だけにしかないものが字になって出てくるという、達成感や喜びが大きい気がします。今回は演出家のように人物をキャスティングして、誰に、どの段階で、どのセリフを言わせるか決めていきました。物理的に間違わずに書くことだけに専念できたことが、とても楽しかったです。

松田 書いているうちに膨らんだ部分や人物はいますか?

宮部 鉄道マニアのヒロシは第三話だけで引っ込むはずだったんですけれど、担当編集者が非常に彼を愛してくれて「こいつ、いいやつですね」って言ってくださって。すごく嬉しくて「もうちょっと出しちゃおうかな」と、最後の第四話の重要なシーンにも登場してもらうことにしました。

松田 編集者には物語の内容を事前に話しておいたんですか?

宮部 今回は極力言わないようにしていました。長丁場の連載の場合は、事件の真相がわかるタイミングや真犯人を担当編集者だけには話しておくんです。今回は原稿を渡すまで、どうなるかは内緒。ラストシーンを渡したのが年明けだったのですが、年末、編集部では「ラストはどうなるんだ」って、みんなで議論してくれたそうです。でもナイショにしてました。

松田 それは編集者も気になったでしょうね(笑)。他にも取材をされたんですか?

宮部 あとはうちの近所に小暮写眞館≠フモデルになった写真館が営業しているので、道に面して写真を飾ってある仕掛けを調べたり、インスタントカメラがコンビニに売っているか見に行ったり──。

松田 高校生のイキイキとした会話も楽しいのですが、そちらの取材は?

宮部 そこは私の学生時代の思い出と、姪やその友だちの会話を参考に。そして、私が非常に幸運だったのは、第四話を書き始めるタイミングで、小説すばる新人賞の選考委員として朝井リョウさんの青春小説『桐島、部活やめるってよ』を読めて、とても勉強になったんですよ。「私の書く高校生の青春が通用するんだろうか」と不安になっていたときだったのですが、二十歳(受賞当時)の朝井さんが書く青春と、自分の文章に響く部分を感じて、とても励まされました。

強い優しさに包まれた物語

松田 これまでの作品でも、必ず日常と悪がコントラストとして描かれていましたが、『小暮写眞館』も日常の楽しいことだけを書いているわけではない。

宮部 ある人物の生い立ちに悪の存在を描きました。自分ではどうすることもできなくて、過去の闇に何とか負けないように足を突っ張っているんだけれども、ときどき飲まれてしまう。非常に痛ましい存在です。でも極力具体的には書かず、本人にもぺらぺらしゃべらせなかった。本当に深く傷つく体験をした当事者というのは、どんなことが起こって傷ついたのか、たぶん、そのことをスラスラと話せないだろうと思ったからです。

松田 宮部さんの作品は、登場人物を甘やかすことなく、直面すべきことに目を向けさせる。でも、そういう人々を強い優しさで包んでいますね。『名もなき毒』や『火車』では悪に触れた存在は帰ってこれなくなりますが、今回は立ち直っていく。明かるい花菱家も過去には厳しい試練があり、花ちゃんや弟のピカちゃんは心の中で大きな葛藤や辛さを抱えている。

宮部 松田さんがおっしゃる通りで、この作品は過去に辛い目にあっていながら、幸せに立ち直っていく話を書こうという意図が明白にありました。

松田 そうした辛い部分がありながらも、上質なユーモアで包まれていて幸せな気持ちになれる。

宮部 悲しいことはあるけれども、あまりにもバカバカしくて笑ってもらえる部分を書こうと。そのためにも、花ちゃんの友人・テンコやコゲパン、鉄道マニアの二人のやりとりなど「こいつら、どうなるのかな」と思いながら読んでもらえる部分を書きました。ノリとして
は昔出した『ステップファザー・ステップ』に似ていますね。今年冲方丁さんの『天地明察』が吉川英治文学新人賞と本屋大賞を受賞されましたが、あの作品には明るい、品のいいユーモアがあると思うんです。私自身読んで、泣いたり笑ったりして幸せな気持ちになりました。そんな作品が賞を受賞されて「やっぱり皆さん、ハッピーな物語が好きですよね」と嬉しく思いました。私が今、そういうものを書きたいと心が動いているのは、決して自分一人が思っていることではないんだと。

松田 恋愛小説でもある…すみません、ネタバレになりますが(笑)。すごく切なくて美しい恋愛小説なんだという気がしましたね。

宮部 花ちゃんはそんなにいけてない、でもダメな子じゃないという、この年頃によくあるタイプ。そのタイプの子が経験する、通過するだけの恋愛をさせてあげたかった。好きだったんだけど、そこより先には進まない。でもその経験がないと、次に本当に出会うべき人と出会えない、というような。でも何しろこの歳で初めて恋愛小説を書いたので(笑)。

松田 デビュー23年目でしたね。それで初めて(笑)。

宮部 今まで事件の彩りとして書くことはありましたが、恋がメインになる話は書きませんでしたから。この歳になって書くとは思わなかったので、本当に恥ずかしい。発売日もとても落ち着かなくて、仕事が出来なかったんですよ。


今一番書きたいものを書く


宮部 私は今年五十歳になるんですけれど、今若い方がどんどんご活躍なさってて…。小説すばる新人賞で言えば、『蛇衆』の矢野隆さん、『魚神』の千早茜さん。

松田 『桐島〜』の朝井リョウさんも二十代ですしね。

宮部 若くして非常に破天荒な面白い物語を作れるのと同時に、しっかり勉強している人が増えている。新人賞の選考委員をしていると、とてもいい意味で競争心をかき立てられます。

松田 宮部さんは小説すばる新人賞もそうですし、直木賞までいろんな賞の選考委員をおやりになっている。実作者として選考する立場というのは?

宮部 今、プロ作家の作品が対象の賞は、吉川英治文学新人賞と直木賞の選考委員を務めています。直木賞はまだたった三回ですけれども、やはり責任重大。というのは文学賞の中でも、芥川賞、直木賞、そして本屋大賞は特に書店さんでの売れ行きを左右する。

松田 その三つの賞は影響力が大きいですよね。

宮部 書店ビジネスとしての期待を非常に大きく集める賞、作家にとっても営業的に大きな飛躍のチャンスでもありますので、ひしひしと責任を感じます。ただどの賞においても、選考の場で自分が言った意見は最終的に全部自分に返ってくると思うんですね。ですから、いくらキャリアを重ねていようと、自分も実作者として恥ずかしくない仕事をしなくてはいけないと痛感します。実際に私の周りには選考委員として大変な責任を担いながら、ますますアグレッシブにいいお仕事をなさっている作家がいらっしゃいますから。


松田 宮部さんはミステリー、ホラー、ファンタジー、時代小説と様々なジャンルにチャレンジされてこられましたが、今後はいかがですか?

宮部 今はいくつか新連載の準備をしています。今回、この作品が本当に楽しかったので、青春小説的なものも、いいネタを思いついたらまた書きたいと思います。『小暮写眞館』は心霊写真の元になる不幸な事件が起きてしまい、筋立て上必要だったのですが、唯一悔いが残りました。今度はそんな事件も起こらない、本当にのどかな小説を書いてみたいですね。つらいことも笑い飛ばせるようなコメディもいいかもしれない。

松田 「ミステリーではない小説」でも新しい作品が次々生まれそうですね。

宮部 ミステリー小説は謎が解けていく醍醐味がたまらないと思うんですが、『模倣犯』を書いたあとに、自分で自分が嫌いになるような描写はもうしたくないと思ってしまって。そこから一度抜け出して『名もなき毒』や『楽園』を書くことができましたが、どのジャンルでも、小説で読んだときが一番だと言ってもらえる作品を書きたいですね。以前、映像メディアの方に「あなたの作品は映像化がすごくやりにくい」と言われて、屈折した喜びを感じました(笑)。自分の作品が映像化されるのは本当に嬉しいんですけれど、小説を書くときはやはり小説でしかできないことをやるのが、第一の目標です。


松田 書きたいと思うものを書くのが、作家自身にとっても、読者にとっても一番いいと思うんですよね。

宮部 正直でないと、読者に伝わりますよね。自分に嘘をついて、こういうものが時代に合っているから、周りに評価されたからと無理して書いていても、読者の目ってそんなに甘くなくて、真っ先にバレてしまう。今でも、「『火車』のように社会の暗部を描くミステリーを書いてください」とお手紙をいただくことがあるんですけれども、今活躍されている方やこれからお書きになる方に、今という時代を見据えて書ける方がいる。私は今自分の心が向いているものを書きたいと思います。


松田 宮部さんが昔『火車』で書いたテーマは、『小暮写眞館』に、しっかりとつながっているという気がしますね。ジャンルは変わっても、同じテーマにしっかりと向き合っている。

宮部 それはとても嬉しいです。ありがとうございます。今出版界はいろいろ大変ですが、読者としてはフィクションにしろノンフィクションにしろ優れた作品が豊富で、こんな幸せな時代はないと思います。ぴちぴちした新しい作品を読むと「この人達のパワーに負けてはいられない」、私なりの個性とおばさんの味を出して(笑)自分も頑張らないとって思います。


松田 読者としても、宮部さんのこれからの作品から目を離せませんね。

(五月二十六日、東京・乃木坂の大沢オフィスにて収録)

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