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『ぼくは落ち着きがない』の長嶋有さん
インタビュアー青木 千恵(ライター)

長嶋有(ながしま・ゆう)
1972年埼玉県生まれ。2001年に「サイドカーに犬」で第92回文學界新人賞、02年に「猛スピードで母は」で第126回芥川賞、2007年に「夕子ちゃんの近道」で第1回大江健三郎賞を受賞。ブルボン小林(コラムニスト)としても活動している。今作が初の連載長編となる。
〈主な著作〉「猛スピードで母は」(文藝春秋)、「ジャージの二人」(集英社)、「パラレル」(文藝春秋)、「泣かない女はいない」(河出書房新社)、「夕子ちゃんの近道」(新潮社)、「エロマンガ島の三人―長嶋有異色作品集」(エンターブレイン)他多数。





『ぼくは落ち着きがない』
光文社



『猛スピードで母は』
文藝春秋



『泣かない女はいない』
河出書房新社



『夕子ちゃんの近道』
新潮社



『ジャージの二人』
集英社

――『ぼくは落ち着きがない』は、図書室の管理運営を部活動にしている「図書部」の高校生たちを描いた青春小説です。語り手は高三の中山望美ですが、今回、高校生を主人公にした理由を教えてください。
長嶋 出版社から依頼を受けたとき、「学園小説にしましょう」と自分から言ったんです。末永く作家としてサバイバルしていきたいと考えて(笑)、ロングセラーになりうる学園小説を書いておこうと。念頭にあったのは、島田雅彦さんの『僕は模造人間』、山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』という、活躍し続けている作家さんの入門編のような青春小説です。題名もあやかって「ぼくは〜」まで決めて、でも『僕は勉強ができない模造人間』では怒られそうだしとかいってね。とにかく・学園小説で大もうけ・(笑)という邪念で出発して、どんな内容かは後から考えた。自分の青春時代である一九八九年頃を舞台にするか、現代の中高生を書くか、そこを決めかねてなかなか書き出せませんでした。
―― 〇七年二月号から〇八年一月号にかけて「本が好き!」に連載された長編です。結果として、現代の高校生の話になっていますね。
長嶋 八九年頃の高校生活を書いたら、小説がノスタルジックものになってしまう。今の十代にとってリアルにならない気がした。当時と今の中高生の端的な違いは、携帯電話があるかないかで、だから携帯電話をどう書くかを悩みました。文章表現において携帯って邪魔なんですよ。結局、「携帯」という言い方ではなくドコモの501iとかまで踏み込むことにした。なんのキャリアのどの機種を使っているかは、中高生にとって自己表現の一つだろうし、auとソフトバンクの新機種が出たが、自分はドコモだから買えないとか、そんな不自由さが人間のやっていることらしく思えるんです。「男は携帯電話を取り出した」やメール文の引き写しでは、そんな人間の不自由さ、高校生が携帯を持つ臨場感を表現できないだろうと。
―― ベニヤの壁で仕切られた書庫が図書部の部室で、図書部員はお弁当を食べたり、漫画やゲーム機を持ち込んでたむろしています。望美、頼子、部長、ナス先輩、樫尾……。図書部のことばかりで話が進んでいきますね。
長嶋 作者が悪い人で、図書部のことだけで書こうと決めて、部室から出してあげなかった(笑)。九〇年代の『行け!稲中卓球部』、二〇〇〇年代の『げんしけん』という・部室漫画・の系譜があって、部室内の日常だけで続くドラマをやろうと。中高生にとって、部室ってある種の全能感を与えられた場所で、ガスコンロがあってお茶が淹れられるなんて最高でしょう。青春時代限定の特権をうまく描写した小説なら、バカ売れではないかと(笑)。その部室に、クラス替えや部活で一緒に過ごすことになったとき、・柔道部と掛け持ちの幸治・のように、キャラクターがすぐ把握できる人と、存在感が希薄で、いるかいないか分からないこと自体が個性になっている人がいる。ページをめくって読み進んでいく課程で、望美と読者にそんな人物の個性がだんだんと分かってくるように書いてみたかった。人間が知り合うってそういう感じだと思うんです。
―― 部室の机の特徴や、野球部の練習のかけ声など、描写される学校の光景が、十代でない読者にもリアルに思い浮かびます。
長嶋 机のへりをむしったり、頼子のお弁当が大きいといった伏線は、早いうちから張った。定期連載は初めてで、同じ長編でも書き下ろし一挙掲載と連載はタイプが違う。書き下ろしは無限に手直しできて、小説が球状に膨らむ感じだけど、連載は樹形図のように、例えば一度「左利き」と書いたら、その人物が右利きである可能性の世界が消えるから、諦めがついて気が楽なところがある。でも早いうちに伏線を入れておかないと、後半で有機的につながっていかない。あと漫画的な笑いは、取り入れても学園小説では嫌味にならないだろうと。こういうふうに終わるだろうという展開は、なんとなく流れで思い浮かぶんですよね。
―― 携帯電話以外でも、『デスノート』『金田一少年の事件簿』など漫画作品が出てきたり、「写写丸」「カツクラ(活字倶楽部)」「ツンデレ」など、固有名詞、流行り言葉が説明を入れずに出てきます。特に携帯は日進月歩ですが、固有名詞が十年後、二十年後の読者に通じづらくなる不安はないですか。
長嶋 その単語自体が通じなくても、脚注をつけた古典作品が読み継がれるように前後の文脈で読み取ってもらえる。未来の読者を信頼する。臨場感を活写できていれば、物や流行りは小説の中で普遍的に古びない気がします。でも『デスノート』が十年後に通じるか、「通じて!」と思いながら書くわけで、当てずっぽうなところもある。ただ本来的に、本の中の出来事は手に取った誰かがページを開いて文字や絵を目で追ったときにその都度この世に生じる仕組みでね、『デスノート』のキャラクターが死ぬことで受ける衝撃は、ある人にとっては二〇〇五年でも、ある人にとっては二〇〇八年に発生する。『金田一少年の事件簿』のように、少し前の流行り漫画を取り入れたのは、図書室には古典から新作まで、過去、近過去が保存されていることを意識したからです。現実で嫌な目に遭っても、それに類したことを本によってあらかじめ知ってたら、自分なりに対処していける機能もある。本には必ず何かが保存されていて、昔の漫画や小説が再び流行るのは、いつでも「役に立つ」ことの表れです。
―― 長嶋さんも、十年後、さらにずっと先、誰がいつ読んでも新鮮に物語が発生して役に立つように小説を書いているということですね。
長嶋 それが本の醍醐味だから。ただ、今回は男の作家が女子高生の視点で書いているから、描写に齟齬がないか心配でした。四話ほど書いたとき、「桜ヶ丘高校に衣替えはないんですか」という感想メールが来て、もの凄くドキッとした。小説に感情移入して読んでくれた読者による値千金の感想ですよ。よくプロの編集者でも「人間の心の機微が巧みに描かれてますね」なんてもっともらしい感想をいうけど、もっとずっと具体的で有用な言葉です。分からなければ書かない、ぼろが出ないように書けばいいでは通用しないというのは、この小説を書いて学んだことのひとつですね。
―― 後半、頼子が不登校になったり、望美が〈人って、生きにくいものだ〉と思ったり、在校生の悪口などを匿名で語っている「裏掲示板」の話題が出てきます。
長嶋 この小説では時事的なことも迂回せずに自分にしては珍しく真正面から書いた方ですね。なんだか、不登校になっている子を引っ張りたかった(笑)。〈俺も、落ちるときあるから分かるな〉〈心のケアっていうか、そういうのが必要なんだよな〉と、すごく物分かりがいい言葉ばかり言ってるけど、若いのに・定見・を持っているのはおかしいし、実際に不登校の子を引っ張ってみたことがあるのかと。そういうアングリーな気持ちが小説に出た。この不登校の頼子についてはたぶん短編で後日談を書くと思います。この小説で作者が彼女を不登校にしてしまったわけで、自分で図書室から出さないとか意地悪いっておいてなんですが、頼子だけはなんだか不憫なんですよ。
―― 連載中、『夕子ちゃんの近道』で第一回大江健三郎賞を受賞しましたね。
長嶋 文芸畑の人もだろうけど、僕も「まさか」って思いましたよ(笑)。発表時に地味な評価だった小説が大江賞を受けて、そうか、あの小説はあれでよかったんだ、好きに書いていいんだと、この小説の後半を書く励ましになった。だから筋運びが野蛮ですね。連載ってライブなんですよ。
―― 映画化も続きますね。昨年「サイドカーに犬」が公開され、今年七月、堺雅人、鮎川誠主演の「ジャージの二人」が公開されます。
長嶋 連続で二作も映画化されるなんてありがたいですよ。映画の「ジャージの二人」は、本当に主人公が上下ジャージ姿で出てきて面食らった(笑)。でも「ジャージの二人」という言葉に触発されて、中村(義洋)監督がデフォルメして使い、映画ならではの世界を作り出していて面白かったです。
―― 今後の刊行予定を教えてください。
長嶋 講談社からエッセイ集『電化製品列伝(仮)』を九月に刊行予定です。小川洋子『博士の愛した数式』のアイロン、吉本ばなな『キッチン』のジューサーほか、小説中の電化製品が描写された場面だけを、延々と鑑賞して説明した異色エッセイです。柴崎友香、名久井直子、福永信、法貴信也と五人で出している同人誌「イルクーツク2」も好調です。二〇〇一年にデビューして以来、恵まれています。今後も頑張ります。バカ売れとか目論まずにね(笑)。

(6月5日 東京都・吉祥寺にて収録)

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