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中上 紀(なかがみ・のり)
1971年東京都生まれ。ハワイ大学卒業。高校、大学時代を含めた10年間、カリフォルニアとハワイで暮らす。大学で東洋美術を学んだことをきっかけに、アジア各地を旅し、ミャンマーが舞台の紀行文『イラワジの赤い花』を刊行。99年『彼女のプレンカ』ですばる文学賞を受賞。主な著書に『蒼の風景』、『シャーマンが歌う夜』、『水の宴』、『夢の船旅
父中上健次と熊野』、『アジア熱』、『悪霊』などがある。 |
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『月花の旅人』
毎日新聞社
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『蒼の風景』
アートン
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『水の宴』
集英社
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『彼女のプレンカ』
集英社文庫
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―― このたびの新刊『月花の旅人』は、主人公「亜子」と、彼女が留学した中国で出会うミステリアスな青年「波多英輔」の恋愛を軸にした長編小説です。しかし、舞台は中国の北京や西安、日本の紀伊半島の熊野や沖縄を股にかけて展開し、さらに兵馬俑や徐福伝説、不老不死などをモチーフにした、伝奇小説のおもむきをも備えたスケールの大きな物語でもあります。発想のきっかけを教えてください。
中上 ずっと「恋愛小説」を書きたいと思っていました。この小説は亜子の恋心を中心に描いていますが、結果的にはもっと別の、歴史であるとか遺伝子の記憶、不思議な「語り部」が登場する伝奇的な部分が膨らんで作品として成立しました。昨年二度ほど中国に行って、中国の作家の方々と座談会や食事をする機会がありました。二回とも、取材というよりは、日中の文化交流という意味での先方からの依頼でした。そのとき、私はなんとなく中国に呼ばれているように感じまして、中国を舞台に物語を作ろうと考えました。
―― 秦の兵馬俑はそのときに初めてご覧になったのですか。
中上 はい。大学時代は東洋美術史を専攻していましたので、兵馬俑などの遺跡には興味がありました。実際に見たら書きたくてたまらなくなりました。
―― 構想期間はどのくらいですか。
中上 資料を調べて書き始めるまでは一年ほどですが、徐福については子どものころから気になっていました。私は小学校三年のときに、三重県の熊野市新鹿に住んでいて、隣の波田須には徐福の墓がありました。また和歌山県の新宮市には阿須賀神社の徐福の宮や徐福公園もあって、徐福には親しみがあったんです。
―― それでも膨大な資料を駆使して書かれたのではないですか。
中上 徐福についての歴史的な記載は、司馬遷の『史記』に始皇帝に命じられて東方に不老不死の薬を探しに行き、一度目は大鯨に阻まれて帰国するが、二度目に旅に出てついに帰 っては来なかった≠ニいうようなくだりがあるだけです。後の時代の人が伝説的にいろいろと書いていますが実像はわからない。一方で、徐福がたどり着いたとされる伝説は日本のいたるところにあります。多様に語り継がれたこと自体がロマンだと思います。それから、徐福に同行した三千人の童男童女や技術者たちが日本でその後どうなったかに、小説的な興味がありました。
―― 波多がしばしば失踪する理由が最後に判明するなど、緻密に構成された物語ではないかと思います。
中上 プロットは何度も書き直して時間をかけました。大枠のプロットをつくり、それから一つ一つ細かく詰めていきました。
―― 小説の魅力のひとつに、亜子自身の成長の物語もあると感じました。
中上 亜子は、初めは自分の未来が見えなくて、どうしたらいいかわからない状態ですが、縁のあった中国に行くことで、未来を探す旅が始まります。そして旅の果てにニライカナイのような極楽浄土、または不老不死がかなう素晴らしい「場所」があるに違いないと考えます。けれども彼女自身がさまざまな経験を重ねたり、波多の運命に巻き込まれることで、最後には本当の極楽浄土は一番近くにあるのだと気づきます。
―― 月の満ち欠けが不老不死に通じるのは幻想的な発想ですね。
中上 古代人は月の満ち欠けを死と再生ととらえていたようです。月と海と不死は密接な関係があったと考えられます。
―― 小説を通して感じたのですが、中上さんは目に見えない「何か」の存在を確信して書かれていたのではないでしょうか。
中上 「血の記憶」というものを意識したことは確かです。波多は曾祖父から大量の輸血を受けて、同時に、徐福とともに渡来し不老不死として生き長らえた曾祖父の記憶も受け継ぎます。聞いた話ですが、ある人が交通事故にあって大量の輸血をして社会復帰すると、その人は全く性格が変わっていたという出来事があったそうです。その話も物語のヒントになりました。
―― 漂流を続ける波多という人物は、中上さんご自身の男性観が表れているのではないでしょうか。
中上 多くの女性は、どこか傷を背負っていたり、何かを抱えているような男性に惹かれるんじゃないかと思います。母性本能というのでしょうか、亜子は波多の癒しになろうと努めるんですね。
―― 重要な脇役で中国人の作家「張蘭」が登場します。彼女が書いた小説はいつも亜子の心とリンクしますね。
中上 張蘭は一作小説を書き上げるとふらりと旅に出ます。そこで小説の主人公になったつもりでいろんな行動を起こします。実はこれは、私の憧れの姿でもあって、張蘭の一部は自分自身を投影しているところがあります。小説のラストで亜子は波多と肉体関係を持ちますが、一途な恋心を遂げる意味合いが強いので生々しい描写にはしていません。でも、小説の中でエロティックな場面は欲しくて、代わりに張蘭に託しました(笑)。
―― 熊野の山奥で暮らす「語り部」の少年が登場しますが、この人物は実際にいるのでしょうか。
中上 彼は創作です。でも、きっと下北半島や沖縄以外にもシャーマンのような人はいると思います。語り部の少年は十四歳ですが、素質があったので老行者から後継者に選ばれました。徐福が連れてきた童男童女の中にも、素質がある者は神女に なっています。私自身も不思議な話が好きで、語り部的な人と会う機会があります。以前旅をしたタイでも、シャーマンと出会い儀式に参加しました。
―― 中上さんご自身に不思議な体験はありますか。
中上 金縛りにあうくらいでしょうか(笑)。ただ、小説を書く行為はある種シャーマンなどと近い状態で、思いがけないことを書いていたりします。後から読み返すと、何でこんなことが書けたのかと驚くときもあります。『悪霊』を書いていたときの私はトランス状態でしたが、今回はわりと冷静に書くことができました。書いているときに何かが降りて来るような感覚は、他の作家の方も感じたことがあるのではないでしょうか。
―― 語り部の話を聞いた後、亜子の父親が急死します。この突然の出来事は、中上さんのお父様、中上健次氏の死と重ね合わせてしまいました。
中上 小説では父の死後、母が泣き暮らしたり、無気力になったりします。そんな母を亜子はむしろ、死を受け止めることができてうらやましいと感じます。逆に亜子は父の死に納得できていない。これは私が実際に感じたことです。私に子どもが生まれて、ようやく父の死について少し受け入れることができるようになりましたが、いまだに全部は納得しきれていません。
―― 父親である中上健次という作家は、中上さんにとってどのような座標軸なのでしょうか。
中上 父は父で大きなところにいるので、私は私で別の世界を作りたいです。でも、今回の作品では新宮や熊野についても描いているので、父の世界とは端の部分でつながっているようにも感じています。
―― 中上さんの作品には、日本だけにとらわれない、汎アジア的な世界観が横たわっているように感じます。なぜ、こだわり続けるのでしょうか。
中上 アメリカに住んでいたときに、自分に流れているアジアの血を嫌でも実感させられました。そこでは当たり前のように、日本人である以前にアジア人なんだと感じていました。そのときの思いが、小説を書く際に表れているのかもしれません。
―― 『月花の旅人』という題名は亜子のことを指しているようですが、永遠に旅を続ける波多のようにも思えます。作品世界を的確に表現した題名だと感じました。
中上 「花」という言葉は使いたかったし、それから「月」のイメージもあったので、最終的に印刷をしてもらって字面で決めました。思い返せば、亜子にしても波多にしても、張蘭も徐福も、みんな旅人なんですね。
―― 今後の小説の予定はいかがでしょう。
中上 今回は二千年前の血の記憶を題材にしましたが、もう少し近い現実的な血の記憶について書こうと考えています。親から子、そして孫へと、いくつかの世代にわたる、それぞれの物語を書いてみたいですね。
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