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『ウツボカズラの夢』の乃南アサさん
インタビュアー 青木 千恵 (ライター)

乃南アサ(のなみ・あさ)
1960年東京都生まれ。広告代理店勤務などを経て、作家活動に入る。88年『幸福な朝食』が日本推理サスペンス大賞優秀作に選ばれる。96年『凍える牙』で直木賞を受賞。巧みな人物造形、心理描写が高く評価されている。主な著書に『風紋』、『晩鐘』、『ヴァンサンカンまでに』、『しゃぼん玉』、『いのちの王国』、『駆けこみ交番』、『いつか陽のあたる場所で』、『二十四時間』、『嗤う闇 女刑事音道貴子』などがある。





『ウツボカズラの夢』
双葉社



『凍える牙 新装版』
新潮社



『いつか陽のあたる場所で』
新潮社



『いのちの王国』
毎日新聞社

―― 『ウツボカズラの夢』は、二ヵ月前に母が病死し、愛人とすぐに再婚したいと言い出した父に反発した「斉藤未芙由」が、東京にいる母のいとこ「尚子おばさん」の家に身を寄せ、一見非の打ち所がなく見える「鹿島田家」の内実に触れ、彼女自身も変化していく物語です。まず、この小説を書くことになった端緒を教えてください。
乃南 二年くらい前でしょうか、「なんか変だよね」という、担当編集者との会話が始まりでした。例えば、「おはよう」と声をかけて、「だから何だよ」と返されるような、居心地の悪い世の中になってしまったなと感じる今日この頃で、その「なんか変な感じ」を小説にできないかと考えました。お父さんが怒ってちゃぶ台をひっくり返しても、最後には仲直りして、みんなで笑ってご飯を食べるような昔のホームドラマが、今は成立しなくなっています。誰も悪くないような顔をして、実はみんな悪いという、もやもやと閉塞した「変な感じ」を書いてみようと思いました。
―― 「鹿島田家」は、渋谷に近い静かな住宅街に建つ瀟洒な二世帯住宅で、二階に四十代の鹿島田雄太郎・尚子夫婦、大学生の隆平、高校一年の美緒の四人家族が、一階に雄太郎の両親である老夫婦が住んでいます。未芙由は〈住み込み家政婦〉同然に家事を引き受け、アルバイトをしながら将来の夢を手探りしていきます。
乃南 誰もがうらやましく思うような家の内実が、実は荒廃していて、そこに異分子が入り込んだら、どんな化学反応を起こすだろうと考えました。書き始めると、家族を失った悲しみの子≠ェ、都会の荒んだ人間関係に短期間で順応していく、うすら寒い物語が生まれました。まだ十九歳で、将来の夢を描く力を持たないのは当然としても、手近な所に頼って易きに流れるというか、荒んだ人々にすり寄っていく彼女の選択は、まったく驚きの展開かもしれませんが、考えてみると今の時代ならではの行動だと思います。
―― 家事を手伝うと言う未芙由の申し出に喜び、「バイト料払ってもいいよ」と尚子おばさんが言ったり、雄太郎が愛人に転職先を斡旋して、十万円近いスーツを買ってあげたりなど、どう見ても「変」な家族なのに、非常にリアルだと感じました。それぞれがしょっちゅう外出していて、家ではあまり顔を合わせないなど、家族としての粘着力がないんですね。
乃南 ちょっとしたことで縁を切ってしまう、どろどろしようがない人間関係は、現代を象徴していると思います。潔く、さばけた関係に見えますが、裏を返せば、親子や兄弟という深く干渉し合う絆でさえ、いとも簡単に断ち切られることになります。この徹底したドライさが逆に振れたとき、わが子に暴力を振るったり、親を殺してしまう方向に向かうのだと思います。人間関係は、粘着力がないと面白くないですよね。腐れ縁と思いつつ離れられなかったり、兄弟が組んずほぐれつして、ともに大人になっていったり。ドライな関係は楽だけれど、果たしていいことなのでしょうか。自分からあっさり関係性を切ってもいいけど、自分が切られた場合はどうでしょう。私だったら辛いし、もし私が切る立場なら、相手が傷つき、苦しむだろうとわかります。自分の中で葛藤が生まれるし、当然抑制を働かせるだろうと思います。この小説がリアルに読まれるということは、そうした葛藤がない人が増えているのだと思います。小説は本来、人間同士の葛藤を描くものですが、この小説の人物たちは、未芙由も含めて、葛藤するフリはしていても、極めて葛藤がない人々ばかりなんです。
―― 葛藤がない人々を書きながら、乃南さん自身は、葛藤していたのではありませんか。
乃南
 書き上げて、もうボロボロです(笑)。私だったらこういう行動はしないのに、などと思いながら書くのは大変なストレスでした。家族それぞれの行動を視点を切り替えて書きましたから、個々の心情をその都度探らないといけなくて、苦労しました。私はプロットを立てず、視点をどう動かすかも決めずに書くので、筆がなかなか進まないんです。
―― 鹿島田家で半年暮らした未芙由は、毎日出歩き、自分磨き≠ノ余念がない専業主婦の尚子おばさんについて、〈あんまり幸せじゃないんだな〉と感じます。登場人物のディテールはどう取材されましたか。
乃南 喫茶店に一時間座っていたら、美容についてとか、あの家のご主人はガンだとか、主婦の会話が自然に耳に入ってきます。老若男女、大勢いる街に暮らして、街並みや人の動きを毛穴から吸収している感じです。昔、満たされない主婦たちの不倫を描いたドラマが流行りましたが、現在は、満たされていないことにも気づかないでポヨンとしている、成熟ではなく弛緩した状態なんです。平和が続き、何となく息苦しい世の中で、できるだけ前向きに暇をつぶしている光景だと思います。生きることで精一杯だったら、噂話をしたり、美を追求してなどいられません。
 パチンコ店の前を通ると、開店前から、人がたくさん並んでいるのを見かけます。そのエネルギーがあったら、働いた方がいいのにと思いますが、泥臭く働くのはダメな人が多いんでしょうね。パチンコ玉を見ていたり、ネイルサロンで美容情報を仕入れたりして、なるべく考えないで暇をつぶして、人生を終わらせたいのだと思います。この小説の人々は、世の中の空気や温度に反応して、自然体で生きている、ごく普通の人たちなんです。自分の人生を慈しんで、日々を積み重ねていこうという人生観は見受けられません。
―― 誰も帰ってこない鹿島田家で、十九歳の誕生日を独りで迎え、「私は本当に独りだった」と未芙由は反芻します。乃南さんの作品には、孤独感を抱えた人が出てきます。
乃南 誰もが等しく孤独感を抱いているのも、現代に象徴的なことで、それを小説を通して描いています。ただし、昭和の頃と違って、自分の孤独と他人の孤独をつなげて考えることはできなくて、自分の孤独はかわいそうでも、他人の孤独は面倒だから引き受けないという考え方が、顕著になっているように感じます。寄り添えない孤独感が、年齢を問わず、どんどん深まっていると思います。
―― デビュー作『幸福な朝食』も孤独な女性が主人公でした。今回は家族を書いていますが、小説を書きながら書くテーマは変わってきましたか。
乃南 昔からへんてこりんな家族を書いていましたから、書くことが変わっているという意識はありません。私が書きたいのは人間で、できるだけ多面的に見て書こうと思うと、大勢の人は書けません。家族は最小の社会単位で、膨らみを持たせることで、象徴的なドラマが書きやすいので、家族をよく舞台にします。警察小説を書く場合でも、組織の何人かに絞り込んで、職場の顔、休日の顔など、その人物の全体像を意識して書くようにしています。私は人から、「美的感覚がない」と言われていて(笑)、自分の感覚をあてにはできないので、その人物が魅力的かどうかは考えず、できる限り膨らみを持たせて書く形がいいのだろうなと思っています。
―― デビュー作の頃から、プロットを考えずに書くスタイルですか。
乃南 最初の頃は、もうちょっと考えてました(笑)。考えようとすると眠くなっちゃうので、『風紋』(九十四年)の頃から考えるのをやめました。考えなくなってからは、登場人物任せで小説を書くようになりましたが、その人物が見えてこないと書けないので、人物が動き出すまでかなり待ちます。
―― 小説を書き始めたのはなぜですか。
乃南 きっかけはなくて、「私は小説を書くことになるだろうな」と、根拠もなくずっと思っていました。思ったまま何もしないで、「日本推理サスペンス大賞」の募集広告を見て、第一回で切りがいいと初めて小説を書き、デビュー作になりました。
―― 今後の執筆予定を教えてください。
乃南 年内は、ミャンマーを旅したときの随想のような本を文藝春秋から、裁判員制度に関わるテストケースを小説にしたものを新潮社から刊行予定です。それから、来年の講談社百周年に向けて、長編小説の資料集め、取材をしています。小説を書くのって、充実感があまりないんです。完成した本を見せていただいたときには、気持ちは次の作品に向かっていて、昔の彼氏の写真が出てきたような、儚いものなんです(笑)。ただ、今回の小説については、鹿島田家の人々や未芙由を、読者の方がどう感じてくださるか興味があります。この小説は書き終わった後は読者任せで、「変な感じ」を丸投げした心境なんです。

(3月13日 東京都・吉祥寺にて収録)

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