今年デビュー三十周年を迎える大沢在昌さん。日本推理作家協会理事長として、ミステリー界全体を見据えている大沢さんならではの展望、 「新宿鮫」シリーズから「大極宮」の活動まで。
大沢在昌(おおさわ・ありまさ) 1956年愛知県生まれ。慶應義塾大学中退。小説推理新人賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞、直木賞、柴田錬三郎賞など受賞多数。大沢オフィス主催。現在は日本推理作家協会の理事長を務める。主な著書に『パンドラ・アイランド』上・下、『亡命者 ザ・ジョーカー』、『夢の島』、『天使の爪』上・下、『死角形の遺産』、『影絵の騎士』、『ニッポン泥棒』、『Kの日々』、『氷の森』、「新宿鮫」シリーズなどがある。
── 大沢さんは、一九七九年に「小説推理新人賞」でデビューして、今年はデビュー三十周年です。三十年のあいだに、ミステリー・ジャンルはどう変化しましたか。 大沢 作品も書き手も、間違いなく広がり続けています。昨年の秋葉原無差別殺傷事件、東金の女児死体遺棄事件など、今、現実社会では、人間の行動原理がデジタル化して、動機などがあやふやなままに重大な結果をもたらすような犯罪が頻繁に起こっていますよね。ミステリーの守備範囲は非常に広くて、現実の犯罪者の動機が分からないから、小説上でシミュレーションして、掘り下げようとする作家もいる。ミステリーは時代性が強いジャンルで、作家は現代社会の状況を見すえながら、半歩先、一歩先の日本を書こうとしている。読者は、現実の社会で起きている事件の動機なり、背景なり、得られない答えを少しでも得たい、知りたいと、ミステリーを手に取る。それでベストセラーにミステリーが並んでいる状況だと思います。 ── 確かに、元厚生次官宅連続襲撃事件の「犬の仇討ち」という動機は、まったく見当がつかない。 大沢 カミュの『異邦人』などはデジタル型の犯罪ですが、小説の中でデジタルな人をデジタルなままに書くと、読者は答えが得られず、うんざりすると思う。基本的に、ミステリーは論理が成立するアナログでなければいけないと僕は思っていて、自分の小説でも、事件に至るまでの人間の心理、引き金となった出来事などを、読者が納得できるように掘り下げて書きますね。世の中に反発があった、騒音にむかついたと、そんな理由で事件を起こした人物は、ミステリーの主人公にはなりにくい。僕は、組織暴力を題材にすることが多いですが、組織暴力がすべて悪で、一人ひとりがとんでもない悪人ばかりだという書き方はしない。それだと物語の奥行きがなくなってしまうし、企業犯罪も同じだと思いますが、一人ひとりは組織に忠誠心を持ち、仕事を遂行しただけで、それが社会的には恐ろしいことになった…。そんな成り行きは、世の中にもたくさんあると思う。 ── 大沢さんは、ミステリーの中でもハードボイルドの作家と言われています。 大沢 もともとは本格推理、エラリィ・クイーンやアガサ・クリスティーなどを読んでいました。中学のとき、ウィリアム・P・マッギヴァーンの『最悪のとき』という作品に出会い、チャンドラーを読んで、洋の東西を問わずハードボイルドを追いかけて読み、小説を書き始めました。ただし、チャンドラーが書いたフィリップ・マーロウは一九四〇、五〇年代の人物で、トレンチコートを着てピストルを持った私立探偵が悪に立ち向かうハードボイルド。これを今の日本で書いたら、パロディでしかない。僕が書く小説は、今生きている人たちの生活の延長線上にある日本が舞台ですから、チャンドラー、フィリップ・マーロウとの接点はゼロです。ハードボイルドというと、金科玉条的に「男の世界」と言われることが多いですが、僕はそういう先入観が大嫌いです。 ── 現代の日本では、男より女のほうがよっぽどハードボイルドな生き方を要求されていると、女性を主人公にしたり、多彩に書いていらっしゃいますね。 大沢 小説は、人物の選択の物語です。現代の日本、東京を舞台に、人物たちの置かれた状況、心理、選択をストーリーテリングで引っ張って、結末まで読んでもらい、「面白かった。かっこいい。これがハードボイルドなの?」と、読んだ後に僕の考えるハードボイルドを感じてもらえるよう、ずっとやってきました。 ハードボイルドとは? と問われて、ひと言で言えるようなものじゃない。「男の世界でしょ」と、先入観で遠ざけてしまう読者が凄く多い。僕の三十年の小説家人生は、そこを変えるための闘いでした。小説は、面白いか面白くないかです。小説を読み終えて、面白い、これはどういうジャンルの小説なんだろう、ハードボイルドなんだ、大沢在昌という作家はハードボイルド作家として世の中で分類されているんだと、とにかく読んだ後に感じてもらいたいと格闘してきました。 ── 書きたいテーマは、次々と出てくるものですか。 大沢 出てこないですね(笑)。もう八十冊も書いているし、新たに書くときは、苦しいことのほうが多い。この保守的な時代では、多くのファンを得ているシリーズものが強いですが、シリーズに依存したら自分の世界が狭まるから、そればかり書くわけにはいかない。しかし、シリーズものである「新宿鮫」を書くにしても、前作と同じように書くのは嫌。その中で新味を出すのも苦しい作業ですから、いずれにしても苦しいばかりです。ただ、安直で楽しいことがプラスになることは世の中にないわけで、苦しいな、嫌だな、と思うことがトータルではプラスになるんですよね。 ── 最新作の『黒の狩人』は、狩人シリーズの三作目ですが。 大沢 シリーズとはいえ、主人公が毎回変わり、死んでしまうこともあるので、シリーズと思って書いていないところがあるシリーズです(笑)。主人公が毎回変わるところがいいというファンもいる、ちょっと矛盾したシリーズで(笑)、過去に出てきた人物は、新宿署の刑事の佐江だけです。「新宿鮫」とは違い、新宿の地べたに近い視線を繰り返し保って、犯罪を追う話になっていると思います。 ── 佐江という人物は、同じ新宿署の鮫島に比べて冴えない中年刑事ですね。 大沢 佐江は、・寅さん・なんですよ。毎回パートナーに去られる宿命を背負った冴えない中年のおじさんですが、仕事にかける誇りは凄まじい。組織内で・困ったちゃん・になることもあるが、有事に頼りになるタイプの人は日本に大勢いると思います。ロマンスには縁がないが、彼が求める勝利に恋などはいらない。日本のおじさんの典型だととらえています。佐江だけでなく、僕は人物をストーリーのための存在にせず、一人ひとりの存在感、リアリティを意識して書くようにしています。その結果、半歩先、一歩先の日本が小説に書かれると考えているのです。ただ、読み終わったときに不快感が残るようなものはなるべく書きたくない。謎があり、興奮をもたらすアクションがあり、謎が解決したとき、読者の胸に一服の爽快感のようなものが残る作品にしたいと、その点で、主人公の設定にこだわりますよね。 ── 新宿という土地柄もありますが、近著はアジア色が強くなっています。 大沢 現代の組織暴力を書こうとすると、外国人犯罪の存在をはずしたらファンタジイになって、リアリティを欠いてしまう。海外と日本の犯罪組織の繋がり方とか、書き手なりに理論武装しないと書けないから、これからハードボイルドタイプの作品を書こうとしている若い作家は大変だと思います。すべて現実にあわせる必要はありませんが、同時代を生きている読者にリアリティを感じてもらう材料揃えは苦労すると思います。 ── 現実では、デジタル型の犯罪が頻発しているわけですが、ミステリーを書きづらくなったと感じることはありますか。 大沢 小説を読む時間は娯楽ですよね。読者は読んでいる間は現実から離れて楽しみたい、フィクションの醍醐味を求めている。陰惨な事件が頻発している時代に、殺人を扱うフィクションは嫌だという人が増えるかというと、東野圭吾さんを初めとするミステリー作品はちゃんと売れていますから、そうでもないのかなという気がします。 ── 大沢さんは、九〇年刊の『新宿鮫』でブレークするまで二十八作が初版止まりで、「永久初版作家」の異名をとりました。現在活躍中の東野圭吾さん、今野敏さんも、長く書き続けてブレークしています。 大沢 あのときは、・平成の逆バブル・って言われました(笑)。『新宿鮫』以降、世の中はバブル後の不況でも、なぜか僕の本が売れていた。今、世界的な不況がやってきている中で、東野作品が爆発的に売れていることにちょっと因縁を感じますね。別に東野圭吾さんのせいで不況が来ているわけじゃないけど(笑)、不況になればなるほど、苦労した人間の大ブレークが起きるようで、東野さん、今野さんは、僕以上に長く苦しい時期があったのだと思います。だから作家というのは積み重ねしかない。僕は永久初版作家を十一年やりながら、いろいろ世の中を見て、本を読んで、その時期に自分の中に積み重なったものを材料に書き続けている。 ── 下積みは大切だという実感はありますか。 大沢 それはないです。下積みをしないで済むなら越したことはない。ただ、初めから売れた人も、途中でブレークした人も、長くプロとして書き続けなければ身につかない技術、技量というものがあり、それに役立っている事実はあります。自分の小説に対して世の中の人が振り向いてくれなくても、あきらめて投げてしまったら、その時点で終わり。どこかでブレークするか、ずっと下積みのまま終わるかは分からないが、あきらめて降りたら、そこでもう答えは出ない。僕はアンチ・クライマックスの小説は好きじゃないから、ハラハラドキドキして、最後に、ああよかった、面白かったと思ってもらえる小説を書き続けています。自分が読者だったらこういう作品を読みたい、自分が考えるよい物語で読者を喜ばせたい、この値段で、二、三時間を楽しんでくださいと。何年もかけて書いた作品を、二、三時間で読んでもらい、一瞬のうちに時間が過ぎた、現実を忘れた、面白かったと言ってもらえたらそれでいいです。 ── 大沢さんが主催している大沢オフィスは、大沢さん、宮部みゆきさん、京極夏彦さんという、人気作家三人が所属しています。一月中旬から、全国の書店で「大極宮フェア」(※1)が開かれます。フェアの意図を教えてください。 大沢 大沢オフィスに所属する作家が三人になったことのアピールと、複数の出版社の本を横断的に編んだフェアができないかと、〇二年にスタートして今回で七回目になります。参加社は初めは五社でしたが、今では十社共同のフェアになりました。三人の本を並べて紹介することで、それぞれのファンがほかの作家の違うタイプの本に興味を持ってくれたらいいし、書店の中で出版社の枠を取り払って、店頭を活性化させたい気持ちがありました。 たとえば薬を買いに行くと、薬局では違うメーカーの薬が同じ場所に並んでいるのに、書店では、特に文庫や新書の棚で出版社の枠があり、何か本を見つけるのに歩き回って探さなければならないのは、ユーザーフレンドリーではないと思ったんですよね。人気作品を揃えて並べられるから、ふだん一部の作品しか置けない中小の書店さんからの引きが凄くあります。 ── 三人で活動する良さはどんなところにありますか。 大沢 刺激でしょうね。三人全員が、オフィスのお荷物になりたくない、頑張らなきゃいけないという矜持を持っていて、それが、よりよい作品を書こうとする気持ちに繋がっています。切磋琢磨しながら一緒に走っているランナーですね。直木賞作家三人が所属していると言われますが、僕は「直木賞作家」の冠で紹介されているうちはまだ半端だと思う。作家の大沢在昌、もっと言えば、「大沢在昌」だけでどんな仕事をしている人なのか認知されるようになりたい。そんな気持ちでやっています。 ── 三人とも、ミステリーのジャンルに入る仕事をなさっています。 大沢 ミステリーの作家だという意識は、三人とも持っていると思います。ただ、ジャンルというものは、本の売り上げに寄与したり、読者を増やしてはくれません。ミステリーという看板だけで売れるなら出版社も作家も楽ですが、ミステリー作家全員が売れているわけではありません。ミステリーに根っこがある作家だと意識していても一人ひとりいい作品を書くしかない。むしろ、ジャンルに寄りかかれない競争が激しい世界で書いているから、ミステリーの作家は基礎体力があって強く、ベストセラーにミステリー作品が並ぶんだと思います。ミステリーを書いている人はとても多いですから、層が厚い。厚い層の上のほうに浮かびたい、少しでも目立ちたいともがき、頑張る力が作品の質を上げる。大沢オフィスの三人も、もがく努力をずっと続けているということですね。 小説のベストセラーはミステリーで占められていますが、文芸書全体の部数の落ち込みは深刻です。作家、作品への一極集中は不安材料のひとつで、そのほかのミステリーや、さまざまな本に読者がなかなか手を伸ばしてくれず、当たりかはずれか分からない本には無駄な出費をしたくない傾向が見られる。本を買うのは、一種、冒険的な行為なんですね。タイトルを見たらだいたいの中味が想像できる教養新書と違い、ことにミステリーは、最後まで読みきって初めて面白いかどうか分かるタイプの本ですから、冒険しない読者が増えているのは不安です。ただ、昨年は湊かなえさんの『告白』という、新人のデビュー作がベストセラーになり、年間ベストテンに選ばれる現象が起きた。このことを見ても、まだ冒険をためらわない読者が存在しているので、ミステリーの将来はそれほど暗くはないのかな、と一縷の希望は持っています。