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「居眠り磐音」の佐伯 泰英さん
インタビュアー青木 千恵(ライター)
「新刊ニュース 2009年7月号」より抜粋

佐伯泰英(さえき・やすひで)
1942年福岡県北九州市生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒。大学卒業後CM制作などに従事したのちスペインに滞在。写真家として活動する一方、小説『ゲルニカに死す』など現代ミステリー小説を執筆する。1999年、初の時代小説『密命 見参!寒月霞斬り』を発表。同作品を皮切りに次々と時代小説を刊行、時代小説の旗手として高い評価を得る。人気シリーズ多数。2007年より「居眠り磐音 江戸双紙シリーズ」がNHK木曜時代劇『陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜』としてドラマ放送開始。現在第3弾放送中(NHK土曜時代劇)。


『厭居眠り磐音 江戸双紙シリーズ 冬桜ノ雀』 (29)
佐伯泰英著
双葉社


『「居眠り磐音江戸双紙」読本』
佐伯泰英著・監修
双葉社


密命シリーズ(21)『相剋 密命・陸奥巴波』
佐伯泰英著
祥伝社


シリーズ(1)
『破牢狩り』
佐伯泰英著
光文社


鎌倉河岸捕物控
シリーズ(14)『隠居宗五郎』
佐伯泰英著
角川春樹事務所

── 「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズを原作にしたNHK時代劇「陽炎の辻」が好評で、現在、パート3が放送されています。

佐伯 原作者であっても一ファン、一視聴者で、ドラマを観ながら、俺、こんなこと書いたんだっけ、とそんな感じです(笑)。主演の山本耕史さんは、パート1で「山本・磐音」をかちっと決められて強烈ですね。今では読者の多くが山本さんの顔を思い浮かべながら磐音を読んでいて、凄いと思う。僕が小説を書くときは、人物なら顔の造作より仕草が思い浮かぶし、まず風景ありきです。町のざわめきや物売りの声、季節によってはツバメが横切ったり、なんとなく浮かんだ風景の中に人間を立たせると物語が動き始める。理詰めで考えて書くタイプじゃありません。

── 人気シリーズ「居眠り磐音 江戸双紙」が誕生した経緯を教えて下さい。

佐伯 一九九八年の春に親しい編集者に呼び出されて「もううちでは出版できない」と通告されました。「佐伯さんに残されたのは官能小説か時代小説だよな」と呟かれ、それにすがって時代小説の短編を五編ほど書きました。短編集は売れませんと言われて持ち帰りましたが、ひとつが豊後関前の三人の若い藩士が藩政改革を夢見て帰郷し、悲劇が起きて、三人の友のうち一人だけ生き残る話でした。なんだか、この話を生かしてやらないとかわいそうだなと思っていて、短編を冒頭にしてシリーズ一作目の『陽炎ノ辻』を二〇〇二年に出しました。その頃も経済情勢が良くなく先行きが見えない時代でしたから、悲劇の先を明るくしたい気持ちは確固としてありました。何せ冒頭が大悲劇です。時代小説の魅力のひとつはチャンバラシーンですが、『陽炎ノ辻』の冒頭の決闘場面以上のものは、それ以後、書いていないね。自分の生き方も小説作法も何もかも、あれほど注ぎ込んだものはない。

── 磐音は穏やかで、爽やかで、成長し続けている人物ですね。

佐伯 剣術には強いが、人間としては優しい、気を配りながら生きている男で、だからこそ、読者に受け入れていただけたのかなと思います。僕が書いているのは現代的なことなんですよ。今の世の中にあるいやなもの、醜いものも含めて、世の中の縮図を時代小説で書いている。こんな絵空事もあるよと、読んでいる時間は現実を忘れて、楽しんでもらえる物語を書こうと思っています。

── 最新二十九巻で、磐音は盲目の武芸者と対決しています。将軍家の嫡男、徳川家基を守る磐音ですが、家基は実史では十代で夭折していますから、いよいよなのかな? と。

佐伯 家基の死をどう書くかは、今、僕の一番の大命題で、探り探り書いているところです。家基の死はこのシリーズ最大の出来事だと思うし、全身全霊で家基を守ると覚悟している磐音にとって、それが失敗すれば、彼の人生は大きく変わるでしょう。そろそろやらないといけないだろうね。ただ、パソコンに向かって書いているそのときに物語が展開するまで、答えはまだ何も出していません。僕にとって一番の胸突き八丁を前にして、気持ちは箱根峠で言えば相の宿の畑宿あたり(笑)。

── 磐音を始め、個人の裁量で動いている主人公たちは魅力があります。

佐伯 僕自身が不安定な生活をずっとしてきましたからね。大学の四年間だけ実家から仕送りを受けて安定していて、それ以降は一度もお給料をもらったことがない(笑)。幕府や藩という組織の人物を書くとしても、外に出た人の目からの方が書きやすい。さ大学を出て、アパートで仕事ないなあと思っていた六十年代半ばは、周囲は働いて、僕だけ仕事がなかったんですが、今は、世の中全部が厳しいから、ほんとうに辛い時代だと思う。

── 人生の経験が、今まとめて時代小説の中に注ぎ込まれている。

佐伯 江戸時代の比較的安定していた時期を書いても、武士が武士として生きられなかった場合に何をよすがにしたらいいか、僕の場合は、何とか生計をたてるところを意識しますね。飢えの時代に育った人間の性というか。僕にとって、三歳で体験した敗戦が一番大きな出来事で、敗れ去った民族としての原体験がいやでもある。内田百間、永井荷風、山田風太郎が好きで、その戦中戦後の日記を繰り返し読んでいます。百間がどうやって酒を工面したか、永井荷風が寄宿先でどう過ごしたか、そこに戦中戦後と作家の来し方が見える。僕の人生の最初の記憶は、昭和二十年初夏の夜の空襲です。炒り豆をいれた布袋を背負い、姉に手を引かれて防空壕に入るときに、サーチライトと空に浮かんでいるB29が見えた。姉の手のぬくもりははっきりと覚えていますよ。

── シリーズの当初、離藩した磐音は江戸長屋に住み、鰻を割く手伝いをして日銭を稼ぐ。この人物はどうなるのかと、読者は行く末を見守っていくわけですが、ハッピーエンドや勧善懲悪にこだわるところはありますか。

佐伯 それはない。常にそのときの筆の滑り、パソコンの叩き具合で進んでいくのが私流です。『密命』シリーズで米津寛兵衛を死なせたときは、「なぜこんな大事な人物を殺すのだ」と読者から手紙をたくさんいただいた。ところが僕は、答えを何も持っていない。書いていたあのとき、ここはこうすべきだと、そう思ったんでしょうね。時の流れの中で世代が変わり、輪廻していく。それが人間の営みだし、人類の歴史だと思うんでね。人は必ず誰もが死にますから。僕はまあ、職人さんで、職人というのは、頭で考えていないんだと思うんです。手が勝手に動く。書き始めたら、我流の打ち方でずーっと書いて、時間が三時間経ったらこれくらい終わっているだろうとそんなペースです。

── 小説を書く上で、ご自身を職人と意識され始めたのはいつでしょうか。

佐伯 時代小説を書き、少しずつ注文が増えてきたあたりだと思います。五十幾つまで売れない作家を続けて、自分の才能を見限っているから、大望なんて掛け値なしにない。それなり愛犬ビダと。の質の商品をコンスタントに提供することが、作家として生き残っていける唯一の道かと思ったとき、芸術家ではなく職人になろうと。哲学者の鷲田小彌太さんが「書き続けるから、枯渇しない」とおっしゃったけれど、その通りで、多作でしんどいかというと逆なんです。約二十日で一作書く。一つ書けば、次の物語が現れる。持続し続けるのが大きい。時代小説に転じるまで、現代ものを年に数作は出して食いつないできた、それが時代小説を書く原動力になっていて、今はもう余禄、ご褒美みたいなものだと思います。

── 書店にずらっと並んでいる著書をご覧になったとき、どう思われますか。

佐伯 書いたことを忘れているんだよね(笑)。予測が幸せな方向に外れて、続くなんて思わずに十年前に出した『密命』や、『陽炎ノ辻』など、シリーズの一作目が今も版を重ねてくれて、こんなに幸せなことはない。物語全体のうねりみたいなものは常にありますが、区切りや先々について、あんまり考えない方が疲れが出ない。

── 小今後、どこまで走り続けていこうと思っていらっしゃいますか?

佐伯 差し当たって、磐音に関して言うと、「五十巻」と考えています。少なくともあと五巻で終わるイメージはない。年に十五、六冊書ける体調さえ維持すれば、五十は書き続けられるかと望みをこめた数字で、物語の進行とはあまり関係がありません。誰でも老いは来る。その前に物語の決着をつけるのは僕の責任でしょうね。何よりも、読者に支持していただけるかどうかです。僕らは売れて幾らで、売れなくなったら、それで終わり。時代小説に転じてからは幸せな人生です。書き続けられる舞台を作っていただいたからね。物凄くありがたいと思っています。

(五月八日 ご自宅にて収録)

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