トップWeb版新刊ニューストップ
「逆転ペスカトーレ」の仙川 環さん
インタビュアー青木 千恵(ライター)
「新刊ニュース 2009年2月号」より抜粋

仙川環(せんかわ・たまき)
1968年東京都生まれ。大阪大学医学系研究科修士課程を修了し、新聞社に入社。科学技術部、産業部、大阪経済部などで記者として活動。在職中の2002年に先端医療を題材にした『感染』で第1回小学館文庫小説賞を受賞。〈著書〉『感染』(小学館文庫)、『転生』(小学館文庫)、『ししゃも』(祥伝社)。


『逆転ペスカトーレ』
仙川環著
祥伝社


『ししゃも』
仙川環著
祥伝社


『聖母(ホスト・マザー)』
仙川環著
徳間書店


『治験』
仙川環著
双葉社


『無言の旅人』
仙川環著
幻冬舎


『繁殖』
仙川環著
小学館(小学館文庫)


『感染』
仙川環著
小学館(小学館文庫)

── 『逆転ペスカトーレ』は、シェフの突然の退職で窮地に陥ったレストランで事件が起こる・料理ミステリー・です。「崖っぷちレストランの再生」というテーマを選んだいきさつをまず教えてください。

仙川 デビュー以来、医療を題材に書いていましたが、虹色ししゃもで町おこしをする『ししゃも』を〇七年に出して、働く人々を書くことに面白さを感じました。「ししゃもがおいしそうでした」という感想を読者からいただいて、食べ物の話はどうだろうと。ここ数年、農業に関心を持っていて、自然農法の共同農園の手伝いに行っています。そこで採れた野菜は、ふだん買うものとびっくりするほど味が違う。去年、中国製の冷凍餃子に殺虫剤が混入していた「毒ギョウザ事件」が起きましたが、実は私もあの商品を食べていて、「あ、あの餃子だ」と凄く驚きました。私たちは安全だと思って無造作に口に入れているけれど、食べ物には怖いところがある。みんなに関係があることなので、食べ物については改めて強く意識しています。

── 全体のストーリーは、東京・代々木上原にある地元客相手のレストランの人間模様です。店を仕切っていたシェフが去り、その上大家から家賃の値上げを要求された「れすとらんミヤマ」に、凄腕シェフの花井が現れ、彼のペスカトーレが「絶品」と評判になる。中心となる食べ物をペスカトーレにしたのはなぜですか。

仙川 何となく食べたかったから(笑)。もちろん「食」に関心がありますが、今作は「食の安全」についての問題提起ではなく、「人生、いろいろありますね」という話にしたいと思いました。後継者がいなかったり、大企業のチェーン店に押されたりで、家族経営のお店が姿を消していくのはさびしいですよね。それに最近では、煩わしいとか、自分が傷つくのも誰かを傷つけるのもいやだと、家族のように濃密な人間関係を苦手とする若い人が多いと思います。でも職場に入れば、いやでも一日中顔を合わせて働くことになる。私は会社員をしていた頃、新入社員が職場の人間関係の中で変わり、自分なりの仕事観をつかんでいく様子を見るのが楽しかったので、ストーリーを通して人物たちがどう変わるかも、興味がありました。

── 仙川さんの作品は、ストーリーの始まりから終わりに至るまでに、主人公が変化していく点で共通していると思います。主人公で二十七歳の深山あきらは、派遣社員として短期間働いては旅に出る、気ままな生活を謳歌していた。ところが「あんた、いい加減、大人になりなさいよ」と姉のみゆきに厳命され、三ヵ月の約束で実家のレストランを手伝うことになる。この作品の人々は、あきらを始め、優しすぎる高橋、頑張りやだが精神的に脆い香津子など、ダメな人が多い気がします。

仙川 私は、ちょっとダメなところがある人を主人公にするのが好きですね。自分も含めて世の中はダメな人ばっかりだと思うし(笑)、欠点があっても、地に足をつけて生きているならいいじゃないかと考えています。大人になるということは、自分を枠にはめ、我慢をして生きることではない。仕事とは生活費を稼ぐためにするものでも、自分の夢や野心を実現するためにするものでもない。ダメなところがあっても、何もしないゼロとは雲泥の差ですよね。ただダメなまま終わってしまったら、お話にならないですが。

── 新シェフの花井は、スーシェフの高橋以外には遠慮なく怒鳴り散らし、ホール担当の若菜を三日で五度泣かせたり、店全体が不穏な空気に包まれ、騒動が絶えなくなる。

仙川 わざと嫌な質問をしたり、プレッシャーをかけて相手の質を見る「圧迫面接」は、昨今の企業面接などでは禁止の風潮ですが、人の本当の力量は、ある程度トラブルに見舞われないと分からない。嫌なことを言われて、頑なに言い返しても、へなへなとやられっ放しでもダメで、うまく切り返して関係をスムーズに持っていく力はとても大事です。私は新聞記者をしていましたが、新聞社は人間関係が濃くて、「お前は学者じゃねえんだっ」と怒鳴られたこともあります。泣かないと決めていたので泣きませんでしたが、結構きつくて、全部受け止めるとストレスで参っちゃいますから、いろいろ作戦を練りました(笑)。今では怒ってくれた人に感謝しているところもある。会社を辞めたら怒ってくれる人がいないので、趣味のボクシング観戦を通して「戦わなくてはいけないときは、戦わなくてはならない」と励みにしています。私が魅力的だなと思うのは「地に足のついた人物」で、私の小説の人物は、事件を通してだんだんと足を地につけていく、そんな人であってほしい。

── ペスカトーレが評判になったと思ったら、香津子が担当したテリーヌが腐っていたとクレームがつき、ネット上に罵詈雑言が書き込まれます。謎がつきまといますが、ミステリー色をつけたのはなぜでしょうか。

仙川 謎に引っ張られて次へ次へと読み進んでいく話が好きなので、謎を作りました。小説は、ストーリーという縦糸に、人物の心情などの横糸が絡み、その上で人間がどうなるかが書かれる、縦糸と横糸の関係だと思っています。謎があって、それに対する答えが得られるもの、事件が書かれているものをミステリーととらえていて、事件は殺人などの大事件でなくてもいいと思っています。

── 新聞記者をしながら、ミステリーを書き始めたのはなぜですか。

仙川 新聞記者になってからずっと忙しくて、趣味らしい趣味がなかったんですが、ミステリーを読むのは好きでした。海外ものではスー・グラフトン、マイクル・Z・リューイン、日本の作家では宮部みゆきさん、東野圭吾さんが好きで、シンクタンクに出向して時間ができ、ミステリー好きの友だちができたらいいなとミステリー教室に通い始めました。原稿を提出して講評してもらわないと、授業料がもったいないよと言われて、トリックを使った殺人事件を書いたらあまりウケなくて(笑)。そこで記者としてずっと取材していた先端医療をテーマに医療サスペンスを書いたんです。先端医療について書くとき、新聞記事では最後のほうで将来的な問題に触れて締めくくるんですが、この締めくくりの一行にはリアリティがないなと思っていました。そこにある問題をテーマアップして具体的に考えたいが、新聞で作り話を書くわけにはいかない。でも、小説なら書けるんじゃないかと。先端医療は、善悪二元論では語りにくい問題で、正しいか正しくないか、誰かの意見を鵜呑みにするのはもう通用しなくなっている。いろいろな見方を知った上で、自分の考えを選択していくしかないから、誰にとっても身近なこととして、できるだけ多くの人に先端医療について知ってもらいたいと思っていました。二元論で割り切れないのは人間も同じで、悪い奴には彼なりの理由があったりしますから、私は小説の中では、完璧に悪い人を書いていないと思います。普通の人に読んでもらいたいから、小説の中で社会的な問題に触れること、普通の人を書くことにはこだわっています。

── 今後の執筆予定を教えてください。

仙川 「医療」と、「働くこと」の二つを柱にしていきます。会社を辞めて昼間郊外にいる生活をしていると、勤めていたときと違う風景が見られるようになりました。
そこで主人公が地元で働く『ししゃも』や今回のような作品が生まれてきました。同様に、東京と地方とでは見えるものが違うだろうから、東京以外も書きたい。五年間住んでいた大阪などは書いてみたいですね。〇九年は、小学館文庫から医療サスペンスの新刊が出る予定です。ブログでミステリー作家を名乗っているのは、ちょっとかっこいいかなと思ったので(笑)。私の小説は広義のミステリーだと解釈していただいて、普通の小説を読む感覚で気楽に読んでいただければ嬉しいです。

(12月10日 東京・乃木坂の大沢オフィスにて収録)

Page Top  Web版新刊ニューストップ

Copyright©2000 TOHAN CORPORATION