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柴崎友香(しばさき・ともか)
1973年大阪府生まれ。大阪府立大学総合科学部卒業。2000年『きょうのできごと』でデビュー。行定勲監督によって映画化され話題となる。2007年『その街の今は』で、織田作之助賞〈大賞〉を受賞。主な著書に『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』、『青空感傷ツアー』、『フルタイムライフ』、『ショートカット』、『いつか、僕らの途中で』(田雜芳一共著)などがある。 |
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『 また会う日まで』
河出書房新社
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『その街の今は』
新潮社
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『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』
河出書房新社
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『フルタイムライフ』
マガジンハウス
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青木 『また会う日まで』は、二十五歳のOL・仁藤有麻が、大阪から上京するついでに高校時代の友人・鳴海くんに会いに行く物語です。高校の修学旅行の夜、心理テストのゲームで意識して以来、鳴海くんは、有麻にとってずっと気になる人≠ニなるわけですが、この小説の構想についてまず教えてください。
柴崎 人って、この人とは素直に話せるけど、この人とはけんか腰になってしまうなど、接する人によって違う自分になることがありますよね。違う姿を見せると「裏表がある」「別の顔がある」と言われたりしますが、私はそうは思わなくて、どれもその人自身だと思うんです。有麻は、ほとんどつき合いがなかった鳴海くんと心理テストで遊び、自分のことを言い当てられて、《ああ、やっぱり思ってることはバレるねんな》と思うわけです。そして、他の人が見ていなかった自分を見てくれていた鳴海くんのことが、高校を卒業してからも気になり続けるんです。人によって見つけられる自分や普段と違う場所に行って気づく自分があるんですね。自分の輪郭というのはそれぐらい曖昧なわけで、その曖昧な感じを書いてみようと思いました。
青木 日曜日に友人の結婚式に出席した有麻は、そこで鳴海くんの噂を聞き、会えるかわからないけれど、翌日からの会社の休みで上京するのに合わせて連絡を取ります。そして友人の家を泊まり歩く、成り行き任せの東京観光が始まります。
柴崎 知らない街でふらふらする感じも書きたかったです。私も二〇〇五年の十月に東京に越してくるまで、しょっちゅう大阪から東京に来ては、いろんな人に会うのが楽しかったんです。私は相手の言葉が移ってしまうタイプで、東京では標準語を話していますが、長く東京にいるのに大阪弁しか話さない人もいて、その違いも面白く感じていました。書きたい場面や面白いと思ったことが、書きながらつながっていきました。
青木 変人だから気になったり、恋愛対象として気になったり、気になる≠ノもいろいろな形があります。誰もが感じることですが、ただ気になる≠ニいうのは、現実でも小説でもあまり言葉にして語られないですね。「異性に会いに行く=恋愛」と考える読者には、『また会う日まで』は不思議な読み心地がするかもしれません。
柴崎 作中の鳴海くんのように、気にしつつ会えない人って結構いると思います。理由があって会えないのではなく、理由がなくて会えない人です。実際、「これでお別れだ」と会えなくなる人は少なくて、「じゃあ、またね」と言って以来、ずいぶん会っていないな、連絡するのもおかしいかな、というように気になったままの人はたくさんいるのではないでしょうか。有麻にとって鳴海くんは、時々思い出しては気になる人で、その時間がいつの間にか「六年ぶり」となってしまいました。最近はメールや携帯電話など、連絡方法もいろいろあって、連絡を取るだけで知らなかった一面を発見する面白さもありますよね。見た感じは立派な大人の男なのに、メールで絵文字をいっぱい使っていたり(笑)、すごくよくしゃべる人なのに、メールになるとそっけなかったり、電話だと丁寧な話し方をする人が、直接会うと別人のようにラフなしゃべり方になるとかね。
青木 作中にも、友人や会社の後輩と電話で話をする時、ものすごく丁寧な言葉をつかう人が登場しますね。
柴崎 会社に勤めていた時、外線電話だとむちゃくちゃ可愛くて丁寧なのに、社内に対してはものすごくぞんざいに話す女の人がいて、「詐欺や」って言われていました(笑)。しゃべり方を切り替えるスイッチがどこにあるのかなと不思議で、そういうことをとても面白く感じていて、登場人物のヒントにしました。
青木 柴崎さんの小説は主に二十代の人たちを書いていますが、二十代というのは、社会人としての振る舞いが現れてくる時期でもありますね。
柴崎 二十代を主に書いているのは、自分自身がスリリングに過ごしていたからです。学生の面影や気分を残しながら、今まで接していなかった人と知り合ったり、東京に容易に行けるようになったり、いろんな世界が広がった年代でした。
青木 主人公の有麻は「ほんとは、写真家になりたい」と思いながらも、大言壮語せず、自己主張をしないタイプです。柴崎さん自身のキャラクターが反映されているのでしょうか。
柴崎 反映されている部分もあると思います。私も人に対して強く言えない、「みんながそう言うんだったら…」と、合わせるタイプです。流されずに主体的に、自主的に行動する方がいいと言われがちですが、主体的であるばかりでは得られないことがあって、人についていって得られる面白さもあります。つられたり流されたりすることを楽しんでしまう、それも書いてみたかったです。
青木 有麻は凪子という女の子を、電車内の風景の中で見つけます。この娘が鳴海くんにつきまとっていて小説を盛り上げますが、柴崎さんの小説は可愛い女の子がよく登場しますね。。
柴崎 可愛い女の子が出てきたら楽しいかなと思って(笑)。以前、昔から好きだったモデルの娘を見かけたことがあったのですが、彼女が爪を噛んでいたのがずっと印象に残っていて。大人なのに爪を噛み続けている人ってどんな人だろうと考えて、そこから凪子のキャラクターをつくりました。凪子はまわりのことを全く気にしない娘で、有麻とは違うタイプなので、二人が会ったらどうなるだろう、と。
青木 「月曜日」から「土曜日」までの六日間の休みで、有麻は友人の家に泊まり、ライブに行き、はとバスに乗って皇居、浅草寺、東京タワーを見学するなど、観光者ならではの行動を取ります。ただ、ミステリーや恋愛小説とは違って事件≠ヘ何も起きません。
柴崎 旅行中って日数が限られているから、あそこも行きたい、ここにも行かないと、という気持ちであちこち出かけるんですね。私の小説は、事件が起きない、なんでもない日常を書いているとよく言われますが、私の方は、毎日こんなに面白い出来事があって、全然なんでもなくないのにな、と思っています。私は東京ミ新大阪の新幹線に乗っている時に富士山を見るのが好きで、運よく富士山が見えたのにまわりの人が知らん顔をしていると、「富士山見えてんで、見んでいいの?」と言いたくなってしまいます(笑)。日常の生活には面白いことがたくさんあるのに、どうして誰も書かへんのかなという気持ちがあって、もったいないから私が書こうと。ただ、ある程度の長さのものを人に読んでもらうには軸≠フようなものが必要で、自分が書きたい場面、面白いと思うことにいかに近づけて書けるか、そのあたりでいつも悩んでいます。
青木 柴崎さんが影響を受けた作家は誰ですか。
柴崎 私は小説も漫画も映画もテレビも好きで、特に中学生の頃に読んでいた少女漫画、中でもくらもちふさこさんが好きです。小説では、夏目漱石、特に『草枕』と『三四郎』ですね。『草枕』の主人公は、日本の将来や芸術について考えていますが、していることは俳句を書いたり、旅館の女の人が気になるくらい。『三四郎』も気になる人がいて、何もできずにうじうじしている間に彼女が嫁に行くことになってしまう(笑)。書き表すのは難しいけれど、その人にとっては確かに事件が起きている、その様子が好きですね。
青木 二〇〇〇年のデビュー作『きょうのできごと』は映画化されました。〇六年九月刊の『その街の今は』では「新境地を拓いた」と絶賛されました。
柴崎 書いた順番は、『また会う日まで』『その街の今は』の順で、刊行が前後しました。ずっと風景や街の面白さを書いてきましたが、街という存在が人の背景や舞台装置と思われがちなので、街や風景自体を前面に出してみようと、『その街の今は』では街そのものの話にしました。私は前々から、毎日見える風景に強い興味があったんです。大学の時、友だちにつられて写真部に入部したのですが、写真を撮ることで、写真的な目で風景を見られるようになった気がします。
青木 最後に、普段の生活とこれからの執筆予定を教えてください。
柴崎 私の日常はすごくバラバラで、書いたり、書かなかったりです。毎日何をしているんですかと聞かれると、「レポートがいっぱいある学生の夏休み」と答えています(笑)。子どもの時に物語をつくる人になりたいと思って、漫画を描き、小説を書き、そのまま今日まで来ているので、この先もずっとそうしていくんだろうと思います。私が夏目漱石を古典ではなく今の小説と同じように読むように、百年経っても面白く読んでもらえる小説を書いていきたいと思っています。以前、六十代の男性から感想をいただいたことがあって、とても嬉しかったですね。先入観を持たずに、いろいろなものを見て、小説を書いていきたいと思っています。
彼の映画は、わかりやすくて透明性がある。しかし、よく見てみると複雑な構造になっている。そこに憧れたんです。透明性があって簡単に読めてしまうが、ちょっと立ち止まってみると、実は複雑な背景があるという作品をつくりたいと思っています。
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