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『ほかならぬ人へ』の白石一文さん
インタビュアー 青木 千恵(ライター)
「新刊ニュース 2010年4月号」より抜粋

白石一文(しらいし・かずふみ)
1958年福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。父は直木賞作家の故・白石一郎氏。文藝春秋勤務を経て、2000年『一瞬の光』でデビュー。一貫して世界の構造、また男女間の愛について探求し、読者から強い支持を受けている。著書に『不自由な心』『すぐそばの彼方』『僕のなかの壊れていない部分』『私という運命について』『心に龍をちりばめて』『この世の全部を敵に回して』など。07年『どれくらいの愛情』で第136回直木賞候補。09年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で第22回山本周五郎賞受賞。2010年『ほかならぬ人へ』で第142回直木賞受賞、初の親子受賞作家となった。


第142回 直木賞受賞作
『ほかならぬ人へ』

白石一文著
祥伝社


『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』
上・下
白石一文著
講談社

『この世の全部を敵に回して』
白石一文著
小学館

『心に龍をちりばめて』
白石一文著
新潮社
『どれくらいの愛情』
白石一文著
文藝春秋(文春文庫)
『私という運命について』
白石一文著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売(角川文庫)
『僕のなかの壊れていない部分』
白石一文著
光文社(光文社文庫)
『一瞬の光』
白石一文著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売(角川文庫)

── 直木賞受賞おめでとうございます。親子で直木賞は初めてのことですね。

白石 ありがとうございます。八度目の候補で受賞するまで、父が大変な苦労をした賞ですから、僕はできれば直木賞などの文学賞と関わらずに、細くていいから長く小説を書いていきたいと考えていました。それで、幾つかの賞の候補を辞退していましたが、二〇〇三年に作家専業になり、一年に一作のペースで書き下ろしを発表していたら、生活はやはり大変でした。僕はパニック障害を患っていますから、収入を確保するために連載を幾つも引き受けるような無理はできない。そんな中、『どれくらいの愛情』が直木賞の候補作になることを受け入れました。落選しましたが、人間、不思議なもので、ずっと関心がなかった直木賞のことが、気になって仕方がなくなりました(笑)。そして丸三年が経過し、二度目の候補で受賞しました。

── 改めて、感想はいかがですか。

白石 嬉しいです。ただ、白石家にとっては期待するとろくなことがない賞ですから(笑)、期待はしていませんでした。それに、前回候補になったとき、尊敬する作家の渡辺淳一さんに「頭がいいだけでは小説は書けない。その典型のように思えた」と評されてショックを受け、それをバネにして、自分のスタイルを最大限に打ち出した『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』を書き上げていましたから、『ほかならぬ人へ』で候補になり、受賞したのは、思いがけないことでした。「ほかならぬ人へ」は、旧知の編集者が小説誌「Feel Love」の編集長になり、「きみが編集長になったら、何か書くから」と言っていた約束を果たすために、『この胸に〜』の執筆を一ヵ月間中断して書いた小説です。勝負作の傍らで書いた、少し力を抜いた作品でしたが、ゲラで読み返して「意外に面白い、小説らしい小説だな」と思いました。

── 「Feel Love」のメーン購読層である女性を意識して書かれたそうで、読みやすく、柔らかい質感の作品だと思いました。ただし、シビアな男女関係が描かれている。

白石 僕ももういい齢になり、男女関係を書くなら、恋をして葛藤する気持ちよりも、そうした恋愛感情を永続的に保てているカップルがほとんどいないことの方に関心が向かいます。どれだけ燃え上がっても、いずれはトーンダウンして、相手への関心をなくしていくのはなぜだろう、どうすれば一生仲良くいられるんだろうと。若い人が恋愛や結婚に憧れを持つのは当然ですが、結婚だけでなく、恋愛だって、つき合うときも別れるときも慎重でなくてはならないよと、油を求めるエンジンに水を差すようなものを書きました。

── 表題作の主人公・宇津木明生は、幼なじみの真一への思いを捨てきれない妻、なずなに裏切られる。併録作「かけがえのない人へ」のみはるは、東大出のエリート社員、水鳥聖司と結婚する予定だが、かつての上司、黒木との関係を切れずにいる。二編の登場人物たちは、どうしようもなくすれ違っている。

白石 結婚は、長い道のりを二人で歩き始めるスタート地点なのに、結婚を目標地点にしている人が少なくないと思います。みはるは黒木に執着しながら、結婚するなら聖司だと考え、みはると聖司は、婚約したとたん目標を消化した気分になり、相手への関心を急速に失っている。でも、いちばん大事なことは、結婚によってよりよい人間関係を築けるかどうかです。結婚とは、死に別れても残された方が強くいられるように、共に暮らしながらお互いを陶冶しあう関係であるべきで、そんな相手はなかなかいない。単純なんですけれど、僕は、心から好きな人と結婚するといいと思います。とにかく結婚したい、子供を産みたいとの気持ちは分かりますが、もの凄く好き、会いたくて仕方がないような感情の方が重要だと思う。強いエネルギーで発進してエンジンが利いていたら、多少の乱気流にもまれても、機体は持ち直しますよね。

── 表題作で、明生は美人のなずなとうまくいかず、六歳上の上司で、お世辞にも美人とは言えないが、大らかで明るい東海さんに惹かれていきます。

白石 東海さんは、やけ酒を飲みたい明生の誘いをいったん断るが、思い直して居酒屋に来てくれる。来てくれたことで、明生は東海さんの一面を知ることになる。本当の人間関係は、お互いに思いあわないと成立しません。永続的な関係を持つ相手については、なぜだかチェックが利いて、プラスのこともマイナスのことも覚えてしまう。相手を一編の物語としてとらえるような、細やかな興味を持つ作業を繰り返していかないと、少し喧嘩したらおしまいの関係にしかならない。愛するべき真の相手、ベストの相手≠ヘ、人づき合いをかなり経験しないと見つからないと思います。この人を失ったら生きていけないような人間関係が一度でもあったら、人生の記憶は凄く豊かだと思います。

── 人物たちがどうなっていくのかへの興味で、白石さんの小説に引き込まれます。

白石 人は個性で変わるのではなく、対人関係で変化するのだと、人物が共振する小説を志してきました。僕はもう恋愛の現役世代ではないから、恋愛小説を書くと言うより、いずれはたった一人になるかも知れない人間が、最終的にどうやって一人で生きていけばいいのかを考えていくと思います。誰かを必死で好きになることは、豊かな思い出の源泉になるからした方がいいと思いますが、思い出がなくても豊かに死ねる人もいる。では、人間は何を基準に、何を目標に生きていけばいいのか、そこを考えていきたい。

── 小説を書き始めたのは。

白石 大学一年生の時に父の小説を批評して、「だったら、おまえが書いてみろ」と言われ、三日三晩徹夜をして、二百五十枚ほどの小説を書きました。父が絶賛してくれて、作家になれるかもしれないと思いました。編集者として忙しく働き、帰宅してから睡眠時間二、三時間くらいで、十年くらい、コツコツ書いていたんです。夫婦関係がこじれて九七年に家出をし、中学生の息子のことが心配で眠れなくなり、九八年にパニック障害の凄まじい発作を起こしたことが、作家専業になる大きなきっかけとなりました。復職しましたが、編集者としての人生はもう無理だろうと感じていました。リハビリしながら、三十代で書いた小説を手直しして発表し、会社を辞めると、小説を書くことだけが自分に残されたできることでしたね。

── 今後の執筆予定を教えてください。

白石 とりあえず、七月までは何もせず、次の直木賞作家が誕生したあたりで、こっそり執筆を再開する予定です(笑)。生活に四苦八苦しつつ小説を書いていたら、直木賞をいただいて、作家生活に外部からひと区切りつけられたような感じです。読者の心にしみる、小説らしい小説を書いたところでひと区切りをつけて、自分の主張を注ぎ込んだ、僕らしい変てこりんな作品に戻ります。僕にとっては、ずっと変転し続けてきた自分のものの考え方が、もっとも変化に富んだ素材なんです。齢と共に自分が変わっていくたび、新しい素材が得られるから、その都度、見いだされてくる自分の生活設計や意見を、ひとまとめにして書いてみたい。それを書くには、またさらに時間がかかるんだと思います。

(一月二十七日、東京都千代田区・祥伝社にて収録)


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