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「追跡 警視庁鉄道警察隊」の高嶋哲夫さん
インタビュアー 石川 淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2009年9月号」より抜粋

高嶋哲夫(たかしま・てつお)
1949年、岡山県玉野市生まれ。慶應義塾大学工学部卒業、大学院修士課程修了。日本原子力研究所研究員を経てカリフォルニア大学に留学。79年、日本原子力学会賞技術賞受賞。94年『メルトダウン』で第1回小説現代推理新人賞受賞。99年『イントゥルーダー』で第16回サントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞。理系の作家ならではの知的な作風とダイナミックな展開にファンは多い。


『追跡 警視庁鉄道警察隊』
高嶋哲夫著
角川春樹事務所


『風をつかまえて』
高嶋哲夫著
NHK出版


『ミッドナイトイーグル』
高嶋哲夫著
文藝春秋


『イントゥルーダー』
高嶋哲夫著
文藝春秋


『M8』
高嶋哲夫著
集英社


『虚構金融』
高嶋哲夫著
文藝春秋


『フレンズ シックスティーン』
高嶋哲夫著
角川春樹事務所



── 『追跡 警視庁鉄道警察隊』は、警視庁鉄道警察隊の新宿分駐所に勤務する二十六歳の小松原梓が五十二歳の岩佐光章とJR中央線車内で多国籍スリ集団を追跡中、バッグの切り裂き事件に遭遇し、二つの事件を捜査してゆく…という長編小説です。高嶋さんにとって初めての「警察小説」ですが、どのような経緯で書かれたのでしょうか。

高嶋 編集者から警察小説を書いてみないか、と提案があった時、僕はうーんと考え込んでしまいました。と言いますのも警察組織についてはほとんど知らないからです。でもお引き受けしました。ただ、警視庁捜査一課や所轄を舞台にした小説はたくさんありますから、誰も書いていない分野を書こうと、それが鉄道警察隊(通称 鉄警隊)だったのです。

── 高嶋さんは大地震や原発事故といったパニックものや国際謀略ものなど、スケールの大きな社会派作品で知られています。今回は正反対の限定された区域が持ち場の鉄警隊の物語を書かれました。

高嶋 はじめは鉄道警察隊がどんな存在なのかまったく知りませんでした。資料としていただいた警察組織の本を読んだり、ネットなども使ってゼロから調べていきました。最初は新幹線の爆破を考えましたが、大仕掛けすぎてリアリティが無い。鉄警隊は警視庁の地域部所属で、その中の分駐所は交番と似たような小さな組織です。本庁には鉄警隊の特務班として私服の捜査官がいるんですが、実際の分駐所には制服の警官しかいません。
それで第一章で《警視総監が代わったときに、犯罪防止ばかりに力を入れるのではなく犯人逮捕にも重点をおくべきだというひと言で》私服の特務班が新設されたという設定にしました。ある程度書きあがった時点で、JR以前の国鉄時代、鉄道公安官だった方に読んでいただき「まあ、いいでしょう」と言っていただきました。

── 本作は誰もが知っている新宿駅の、誰も知らない鉄警隊新宿分駐所にスポットを当てます。

高嶋 僕も警察の部署が新宿駅構内にあることを知りませんでした。実際に確認に行くと非常に判りづらい場所にあります。読者の方にも、警察にはこんな組織もあるんだよ、ということを知ってもらえればありがたいですね。

── 主人公の小松原は読んでいて応援したくなるといいますか、いつのまにか小松原に感情移入して、彼の視点で読んでいました。

高嶋 まず、主役は若い警察官と思っていました。警察を愛していて上昇志向のあるキャラクターを考え、警察の花形の刑事課に行きたかったけれど、鉄警隊配属を余儀なくされた。いつか刑事課に移ってやるという強い気持ちを持っています。でも、それだけだと跳ねっ返りの若造が拗ねている印象があるので、岩佐という本庁の敏腕刑事だったけれど、ある事件をきっかけに自ら転属願を出して鉄警隊に移った人物を配しました。事件解決に向けた大きなうねりの中で、小松原の成長小説としての意味合いを入れたかったのです。それから、主人公の名前については悩みました。字面だけで存在感があって、かつ印象に残る名前がいい。個人的にお付き合いのある方の部下に「小松原梓さん」という人物がいたんです。とても素敵な名前なので、本人に了承を得て使わせていただきました。

── 小松原を囲む新宿分駐所の捜査官たち、タッグを組む岩佐を始め、痴漢検挙のスペシャリストで手厳しい清水、同僚の末広香織や中隊長の丸山など多士済々。それぞれのキャラクターの持ち味と鉄警隊という組織の動きが読みどころでもあります。

高嶋 鉄警隊の隊員として勤務に精励しながらも、所轄署で活躍する同期生二人に、小松原は焦りやコンプレックスを感じています。これはまったく個人的な意見ですが、鉄警隊で働いている人が疎外された気持ちになってもおかしくはないと思えました。所轄に比べていろいろな制限があるんです。鉄道施設内で大きな事件が起きても事件現場の現状維持がメインになってしまい、実際の捜査はなかなか出来ない。ひとたび犯人が街に出てしまえば、所轄の管轄になってしまう。

── 組織と個人のあつれきはやはり警察小説の醍醐味です。

高嶋 新宿分駐所の隊員は本当に頑張って仕事をしているし、好きで鉄警隊に入った人もいる。でもなかなか報われない職場じゃないかと感じました。こうした環境で日々精一杯生きてゆくうちに、やがて小松原の意識も次第に変わっていく。僕が書きたいのはこういう所なんですね。

── 第二章で早々と切り裂き魔の容疑者・富岡清子が自首してきます。彼女は認知症で犯行の認識はありません。しかし、小松原同様に読者も清子が犯人かどうかの判断が揺れ動き続けます。

高嶋 じつはずっと気になっていたことがありました。役人や大学教授といった社会的な地位のある人が、万引きをして捕まり、懲戒免職になってしまう。愛犬ビダと。退職金も貰えず、数千円の万引き行為と引き換えに人生を棒に振るのです。何でこんなことをするんだろうと。そんななか「ピック病」という若年性認知症を知り、登場人物の設定に使いました。やがて清子に対する夫の「自分にも責任がある」と強くかばうことにも心を打たれ、捜査を続けるうちに清子は本当に犯人なのか、と小松原は考え始めるのですが…。

── 切り裂き魔の犯行はエスカレートしていきます。

高嶋 これも僕の想像ですが、カバンを切る行為で被害者が驚いている様子や、困っている姿を見るというのもある意味で性的興奮と同じものがあるのではないか。痴漢行為をしている場面をたまたま見かけたことがきっかけで、自らも同じ犯罪に手を染めてしまう…。

── 犯人の心理的背景や認知症の扱いなどは、やはり高嶋さんの小説ならではの現代の暗部を描出していると思います。

高嶋 鉄警隊が扱う多くの犯罪がスリであったり、痴漢であったり、言わば姑息で卑劣なものが多い。連続殺人も国家転覆もおよそ縁遠いし、結果的に日常に潜む暗部を書くことになってしまいました。暗いエピソードが多いので意識的に小松原と香織の会話やチーム内でのやり取りはライトな感じで書きました。

── 小松原は香織との会話で、最初はやられっぱなしだと思いましたが、だんだん張り合えるようになっていきます。

高嶋 小松原の成長譚でもありますから。内面的にも若い男が一人前になっていくのが見て取れるのはやはり女性を前にした時だと思います(笑)。

── 本書を読み終わると同時に続編が読みたくなりました。小松原と香織の無意識の恋愛関係の行方が気になります。

高嶋 僕自身も書いているうちに登場人物たちがどんどん好きになったんですよ。小松原が香織と恋愛に向かうか、いいお姉さんと弟的な関係のままなのかはまだ決めてはいませんけれど。また、岩佐のトラウマを引き起こした事件も解決しなければなりません。

── 高嶋作品の魅力は、社会のなかで個がどうあるべきかを常に問うているのではないでしょうか。

高嶋 僕は基本的には組織を書くのが好きなんです。志のある人達が大きな目的に向かって自分たちの力を出し切っていく物語です。だから鉄警隊というお題を与えられても、そこは変わりません、と言いますか、変えられないです。

── たとえ主人公は死んでも、希望を繋ぎますね。

高嶋 そのように読んでくださるとありがたいです。『イントゥルーダー』では主人公の羽嶋浩司が死んだのかどうかいつも訊かれました。『ミッドナイトイーグル』も最後に主人公は死にますが、もっと別の終わり方があるんじゃないかとも言われました。今回の『追跡』では一人も死なせたくなかった。結果として、一人だけ亡くなりましたが、僕は人が死なない小説を書きたいとずっと思っています。

── ところで今後の執筆のご予定は。

高嶋 書き下ろしの歴史小説が決まっていて、北条時宗と元寇を題材にしたものです。それと『パンデミック』という小説が控えています。これはエボラ出血熱が流行った十年ほど前から構想していたもので、そのうち五年前には鳥インフルエンザが流行し、今年新型インフルエンザが流行しました。次のウイルスの予防も含めて、早く書こうと思っています。

7月10日、東京・千代田区の角川春樹事務所にて収録

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