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『許されざる者』辻原登さん
インタビュアー 石川 淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2009年8月号」より抜粋

辻原登(つじはら・のぼる)
1945年和歌山県生まれ。1985年に『犬かけて』で作家デビュー。1990年『村の名前』で第103回芥川賞を受賞。1999年『翔べ麒麟』で第50回読売文学賞、2000年『遊動亭円木』で第36回谷崎潤一郎賞、2005年『枯葉の中の青い炎』で第31回川端康成文学賞、2006年『花はさくら木』で第33回大佛次郎賞をそれぞれ受賞。現在、東海大学文学部教授。2007年7月より2009年2月まで、毎日新聞紙上にて『許されざる者』を連載。このたび単行本として上梓。


『許されざる者 上・下』
辻原登著
毎日新聞社


『円朝芝居噺 夫婦幽霊』
辻原登著
講談社


『ジャスミン』
辻原登著
文藝春秋


『遊動亭円木』
辻原登著
文藝春秋


『夢からの手紙』
辻原登著
新潮社


『だれのものでもない悲しみ』
辻原登著
中央公論新社


『マノンの肉体』
辻原登著
講談社


──この度の新刊『許されざる者』は、日露戦争前夜から終結講和、その後までの時代を背景に、熊野川河口に位置するまち「森宮」の医師・「槇隆光」と、槇を取り巻く多彩な群像を描いた、上下巻併せて八百四十頁を超える長編小説です。戦争に召集された市民から実業家、任侠の女組長、森鴎外まで、様々な階層の人々の思惑や行動を描写しつくして、さながら時代の壁画のような巨大な作品です。まず、どのように着想したのでしょうか。

辻原  神話から叙事詩を含めて、人類は「物語」を大切な記憶として養って生きてきました。『イーリアス』や『オデュッセイア』、『史記』、『古事記』や『平家物語』といった物語に共通しているテーマとして「戦争と平和」が扱われています。小説は近代のヨーロッパに登場した物語の形式ですが、ディケンズにもバルザックにもスタンダールにも、小説の背景あるいは全面に戦争があり平和を希求する人々がいる。神話の時代から物語の基本は変わらないんです。
 日本の近代小説では反戦小説はありますが、戦争を正面から捉え歴史を動かす大きなエピソードとして描いた小説は少ないと思います。人間の欲望や権謀術数など、ありとあらゆるものが集約される、そういった戦争と平和を書きたいと、前々から考えていました。
 不謹慎と言われそうですが、日本の近代で勝った戦争は日露戦争なんです。しかもあの戦争は日露50万人の軍隊が一年半も戦った二十世紀初頭の、当時世界最大規模の戦争です。そんな歴史が大きくうねり始める中で、日本の男女、様々な人たちがどんな葛藤や喜び、不幸を抱えてドラマを展開していくか見たかった。そんな意気込みで取り掛かりました。

── この小説は事実を調べた上に想像力を働かせて書かれたと思いますが、構想期間はどのくらいかかったのでしょうか。

辻原  書き始める前に二年半くらいは資料を読んだり準備をしました。たとえばトルストイの『戦争と平和』では、実在のロシア軍のクトゥーゾフ将軍やナポレオン・ボナパルトが出てくる。だからこそ面白いわけです。

── 小説を読み進めると槇にはモデルがいることが判ってきます。和歌山新宮に実在した「大石誠之助」です。モチーフの一つに大石誠之助の鎮魂もあったのではないかと思いました。

辻原  僕は和歌山県出身です。熊野という地域は神話の時代から体制側に少し反発するような場所なんです。地元では「大逆事件(※1)」は今でも負の遺産として尾を引いています。大石誠之助は幸徳秋水と同じく天皇暗殺計画の首謀者とでっちあげられて死刑になっています。彼が魅力的な人物だったことは確かなので、そんな人物を存分に活躍させたいとも思いました。大石と違い、槇は医者として戦場にも赴きます。僕の小説は大逆事件の前に終わっています。「森宮」は小さなまちですが、そこを中心に描くことでその周りの「日本」が表現できるのではないかと考えました。

── しかしながら作品世界のトーンは明るく、風通しがいいですね。

辻原  「風通しがいい」のは小説に必要なことだと思います。風通しのよさを表現するのに気持ちよく風が吹いています≠ニ書くのでは駄目です。『許されざる者』では「ネジ巻き屋」や「点灯屋」といった人達が風通しをよくするんです。架空の人物ですが彼等がいなければ作品が成り立たないくらい大事な人達です。シェイクスピアの戯曲でも妖精パックとかトリックスターが出てくる。あんな存在が要るんですよ

── 主人公の槇は医者であり、リベラルな思想の持ち主であり、名コックでもあります。やはり堂々としていて風通しがいい。

辻原  大石誠之助自身が名コックでした。実際アメリカ留学当時は、現地でコックをしてお金を貯めて医学を修めた。堺利彦の編集する家庭雑誌にマヨネーズやハムの作り方などを書いていました。そんなところはドクトル槇のキャラクターの一つに役立てています。

── 何人もの男から求愛される槇の姪「西千春」は溌剌とした女性ですね。

辻原  彼女もモデルがいます。大石の甥で「文化学院」を創設した西村伊作です。彼は趣味人ですが小説の人物としては魅力が足りない。彼を姪の千春と甥の勉の二人に分けて描きました。主人公と副主人公の二人では、対話は成立しますがドラマは動き出さないんです。槇と千春と勉の三角形になると、ドラマが動き出す。それぞれが、それぞれの関係を持ちながら常にトライアングルがあるのが小説において大事なことです。

── 千春との対比で勉は肺病で「死」が身近にある人物に設定したんですね。

辻原  小説の構造上、惜しまれながら退場してゆく人物が必要です。勉には既に死を抱えている状態で登場してもらいました。

── さて、この物語にはもう一本の大きな軸があります。槇と永野忠庸の妻との秘めた恋の行方です。彼女は徹底的に「永野夫人」「夫人」と書かれ物語は進みます。これは姦通という状況を現在の読者に訴えるための仕掛けでしょうか。

辻原  
はい、槇がパブリックな場所でファーストネームを呼ぶことはありえないわけです。誰がファーストネームを呼ぶかといったら、それは亭主か身内だけなのです。スタンダールの『赤と黒』もレナール夫人のファーストネームは一度出てくるだけです。最大の姦通小説である『アンナ・カレーニナ』は夫人のフルネームが書名になっている。トルストイは前例を意識してタイトルに持ってきたんだと思います。僕も永野夫人のファーストネームを一度だけ、さりげなく書きました

── 亭主の永野忠庸も印象深いですね。森宮で逼塞した日々を送っている陸軍歩兵少佐ですが、やがて日露戦争に出征します。

辻原  
やっぱり槇とは最大の敵同士ですからね。永野をきちんと書かなければ槇と夫人の恋が薄っぺらいものになってしまいます。槇も永野を《軽薄な人物ではない》と判断しますし、永野が抱えた陰影を深く書き込むことで夫人の美しさが際立ってくると思います

──『ジャスミン』にも登場した淡路の人形浄瑠璃が出てきますね。

辻原  人形浄瑠璃に熱心に接するようになったのはこの十年くらいなんです。その前に淡路島が気に入って何度も旅行をしていました。淡路は人形浄瑠璃の一つの本場です。近松門左衛門をはじめ浄瑠璃には男と女の世界が独特の方法で描かれているから、浄瑠璃に仮託して小説の恋愛を語ることもできると思ったんです

──やはり書名についてお尋ねしなければなりません。どんな背景があったのでしょうか。

辻原  
タイトルには難渋しました。明治政府にとっては許されざる者が槇であったと捉えるかもしれませんし、国家側を許されざる者と考えた読者もいました。許されざる罪「姦通」でもいいです。僕はこの地上で誰かが誰かを許さないことはあってはならないと考えています。それは神だけが決めること。だから、逆説的なタイトルで許されざる者はいない、と考えて貰っていいです。今はこの題名でよかったなと思います。

──小説の視点についてお尋ねします。作中で《私たち》と書かれている箇所がありますが、これは森宮の人々全体を指しているのでしょうか。

辻原  
森宮で暮らす人達と同時に、物語をいざなう作者の「私」でもあるし、作品に参加する読者の「私」でもあって欲しいと思っています。

──さらに時々槇の愛馬「ホイッスル」や紀州犬の「ブラウニー」の視点も書かれていて、これは辻原さんが楽しんで書かれたのだと察します。

辻原  
前からやろうやろうと考えていました(笑)。これには前例があります。『アンナ・カレーニナ』の狩りに行く場面で一度だけ犬が喋りだす所があるんですよ。

──この作品は毎日新聞で1年半に亘って連載された物語です。新聞での連載小説ということでの特別な配慮などはありますか。

辻原  
新聞連載は割と好きです。自分の小説の作り方を工夫するので、勉強になりますね。毎日リズムを作って書いて、これを何万人かの人が読んでくれているのかなと思う楽しみがあります。特に新聞は幅広い読者層になりますので、奇抜な試みをしても通じなかったら意味がありません。過激にやりたいことは文芸誌などで書くようにしています。

──今後のご予定はいかがでしょうか。

辻原  
十一月から日経新聞で連載小説が始まります。それから長編小説『イタリアの秋の水仙』(文藝春秋)が今年の末か来年早々に出版されます。楽しみにしていて下さい。

(6月11日 東京・千代田区にて収録)

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