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「ポトスライムの舟」の津村 記久子さん
インタビュアー青木 千恵(ライター)
「新刊ニュース 2009年4月号」より抜粋

津村 記久子(つむら・きくこ)
1978年大阪府生まれ。大谷大学文学部国際文化学科卒業。日中は土木関係のコンサルティング会社に勤務し、帰宅後に執筆活動をしている。2005年「マンイーター」(「津村記久生」名義・単行本化にあたり「君は永遠にそいつらより若い」に改題)で第21回太宰治賞を受賞し、小説家デビュー。2008年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で第30回野間文芸新人賞を受賞。138回、139回の芥川賞に連続ノミネートされ、2009年「ポトスライムの舟」で第140回芥川賞受賞。


第140回 芥川賞受賞作
『ポトスライムの舟』
津村記久子著
講談社


『八番筋カウンシル』
津村記久子著
朝日新聞出版


『アレグリアとは仕事はできない』
津村記久子著
筑摩書房


『婚礼、葬礼、その他』
津村記久子著
文藝春秋


『ミュージック・ブレス・ユー!!』
津村記久子著
角川書店発行/
角川グループパブリッシング発売


『カソウスキの行方』
津村記久子著
講談社


『君は永遠に
そいつらより若い』
津村記久子著
筑摩書房


── 芥川賞受賞おめでとうございます。改めて、受賞の感想はいかがですか。

津村  決まってから、ずっと実感がありません。贈呈式会場の人の数にびっくりして、なんでこんなに人がいるんやろう、芥川賞って凄いなと、大勢の人を見て思いました。

── 受賞作「ポトスライムの舟」は、複数の仕事をかけ持ちして働く二十九歳のナガセが主人公。NGOが主催する世界一周クルージングの費用百六十三万円が、自分の工場勤めの年収と同額と気づき、節約を始めるところから始まります。

津村 街中でポスターを見かけて、年収としてあり得る額だと思ったことと、周りの状況などが混ざりあってできた中編です。〇七年の暮れ頃には「女子工員の話を書きたい」と話していました。ナガセは、新卒で入った会社を上司のモラルハラスメントで辞め、時給八百円のパートで工場に入り、四年がかりで契約社員に昇格しています。同世代の女性の状況はいろいろですが、ひとつ言えることは、働いている人はだいたい一回は会社を辞めています。私はパワハラに遭って最初の会社を辞めましたが、九ヵ月で辞められただけでもマシで、他の人は凄まじい量の仕事をさせられて、二、三年も経って辞めさせてもらったり、よほどいい大学を出た人でなければ理不尽なしわ寄せに遭うことが、私の世代ではたくさん起こったんです。再就職するまでは、このまま何もしないことに慣れてしまわないか、次の職場では働けるだろうか、といった恐怖感で苦しい思いをしています。

── 就職活動をしていた時期は、「超氷河期」でしたね。

津村 子供時代が”バブル期”で、十代のときにバブルが弾けました。就職活動で私は四十社回り、何十社も歩かないと内定がとれない状況でした。自分らが虐げられているという感覚さえ持てず、二十二歳で逆らっても仕方がない、やれるところで仕事を覚えてしのいでいくしかないだろうと、最初の職場に入りました。私の小説を読んで、「お金がないのね」と上の世代の人から驚かれますが、私らの世代が貰うようなお給料でひとりで生きていこうと思ったら、自然と、こんなふうなつつましい生活の話になります。

── 大学時代の女友だち三人の姿も描かれています。そのうちのひとり、りつ子は夫と別居し、娘の恵奈と一緒にナガセの家に身を寄せる。恵奈の願い事は「小学校にいけますように」で、小学校の図書館で本が読めることを楽しみにしています。

津村 恵奈は親の状況をよく見ているので、いわゆる子供らしい「夢」を見ることができません。私は、恵奈のような子供でした。小学三年生のときに両親が離婚して「よかった」とホッとしたし、働こうと思いました。ナガセは百六十三万を貯めようとしますが、これも「夢」というより「目標を管理する」感覚です。夢やったら叶わないけど、目標なら管理できる。私らの世代は貧乏すぎて「夢」が持てないのかもしれないけど、目標管理がうまく行っていれば自分はまだ大丈夫で、万能感も感じていられる。自分で目標を管理している感覚を得ながら生きていくことは大事です。

── 単行本には受賞作と、主人公がパワハラに遭う「十二月の窓辺」の二編を収めています。二作とも切実な日々を描きつつ、受賞作のほうが穏やかな読み心地です。

津村 職場の人も友だちも、ナガセが持つ人間関係が基本的に良好だから、穏やかな話になりました。いい状態で働けることがいちばん大切で、ずっとおられる居場所を探す、そこで仕事が維持可能かということに、私は物凄くこだわります。お金をたくさん稼ぎたいとか高級な職場に勤めたいという思いはなく、逆に、高級な職場でも、人間関係があかんかったらあかんと思う。パワハラは老若男女、どの世代にもある。問題がある職場では全員がストレスを抱えてしまい、ストレスに耐性がない人がスケープゴートを探してパワハラに走るんだと思います。

── 小説を書き始めたのはなぜですか。

津村 祖母が八十四歳で亡くなったことがきっかけでした。「百まで生きる」と言われたあのおばあちゃんでも死ぬんだと驚いて(笑)、私などは「一ヵ月後に生きていられればいい」という生活でしたから、好きな小説を書いておこうと思いました。初めて応募した小説が「小説すばる新人賞」の三次選考に残り、二作目が「太宰治賞」を受賞しました。

── 昼は会社で働き、帰宅後に一眠りした後、二時間ほど小説を書く生活だとか。

津村 深夜から未明にかけて、一日五〜六枚を書いています。モチベーションは、書くと約束してしまったから(笑)。内容を企画して、完成までの工程を決めて管理する、作業員ひとりの”工場”みたいにして、小説を書いています。最初の場面の切り出し方や、どの場面を省くか描き込むかなどは、以前観まくっていた映画が教材になっていると思います。もちろん小説からも勉強しています。

── カート・ヴォネガットとG・K・チェスタトンが好きだそうですね。

津村  海外のミステリーが好きで、映画では、サム・メンデス、アレクサンダー・ペイン、カーティス・ハンソンといった、ぐるぐる悩んでいる普通の人々の営為を描く映画監督の作品が好きです。カーティス・ハンソンの「8Mile」は、主人公がデトロイトの工場で働いている話です。ラップのバトルで勝って飲みに行こうと誘われるけれど、「仕事があるから」と主人公は帰っていく。貧困から這い上がろうともがく姿は私らと一緒やし、そういう人たちの生活を誠実に書ける感覚は凄く大事だと思う。

── 芥川賞決定時の会見で、「できる限り働きたい」と語っていましたね。

津村  小説家と会社員、両方をできる限りやりたいです。家がいろいろなのと同じで、職場もいろいろで、私は今の職場の人たちが好きだし、仕事も向いているから、手放してはいけないと思う。働いているからこそ考えることがあるので、両方やれているほうがいい。去年の半分ほどを何らかの賞の結果を待って過ごし、お笑い芸人にとっては「ABCお笑い新人グランプリ」かなとか(笑)、賞について考えました。いただいてもその後の努力が絶対必要やと思うし、これからずっと、自分を”芥川賞作家”だと考えることはないと思います。もともと物事を楽観視しない性格で、賞をいただいたからといってうまく行くわけがないと思っている。ただ、仕事がうまく行っていないときでも、今年の音楽フェスには誰が出るのだろう、欧州チャンピオンズリーグにはどこが出るのか(笑)、関係ないことも気になります。仕事は順調だが好きな選手が辛い目に遭っていて悲しいとか(笑)、仕事がない間に新しい料理が作れるようになったとか、そんなことに気づくと人間は常に良いことと悪いことの両方を持っていると感じます。それを全部平行に書きたいと思うんです。

── 自分の小説によって世の中を変えたい気持ちはありますか。

津村  ないですけど、変えたくても変わってくれると思いません。でも例えば、私は音楽から「こんなにしょうもないことで悩んでいる人がいる」と知って楽になったことがあるのですが、それと似たようなことはしていきたいです。現状を小説で伝えている人間がいることで、誰かがちょっと楽になってくれればいい

── 今後の執筆予定を教えてください。

津村  書き下ろし『八番筋カウンシル』を二月に刊行しました。「小説トリッパー」「きらら」「ちくま」などから依頼をいただいています。私は”工場”ですが、同じものだけ作っていては生き残れないので、変われるところは変えて、新しい作品を書いていきたいです。

(二月二十一日、東京都渋谷区にて収録)

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