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『マルドゥック・スクランブル』 冲方丁さん
インタビュアー 石川 淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2010年12月号」より抜粋

冲方丁(うぶかた・とう)
1977年岐阜県生まれ。早稲田大学在学中の96年に『黒い季節』で第1回スニーカー大賞金賞を受賞してデビュー。2003年『マルドゥック・スクランブル』で第24回日本SF大賞を受賞。09年に天文暦学者・渋川春海の生涯を描いた初の時代小説『天地明察』を発表。同作で第31回吉川英治文学新人賞、2010年本屋大賞を受賞し、第143回直木賞候補となる。小説を刊行しつつ、コミック原作、ゲーム・アニメ制作と活動の場を広げ、複数メディアを横断するクリエイターとして独自の地位を確立している。この度『マルドゥック・スクランブル』が全3部作のアニメーション映画となり、第1部「マルドゥック・スクランブル─圧縮─」が全国劇場公開中。

『マルドゥック・スクランブル〔改訂新版〕』
冲方 丁著
早川書房


『マルドゥック・
スクランブル〔完全版〕』

冲方 丁著
早川書房(ハヤカワ文庫JA)

『マルドゥック・
ヴェロシティ』

1〜3
冲方 丁著
早川書房(ハヤカワ文庫JA)

『天地明察』
冲方 丁著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
『テスタメント
シュピーゲル 1』

冲方 丁著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
(角川スニーカー文庫)
『黒い季節』
冲方 丁著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
(角川文庫)

── 二〇〇三年に上梓された『マルドゥック・スクランブル』は、近未来を舞台に、陰謀により殺されかけた十五歳の少女娼婦・バロットが、万能兵器のネズミ・ウフコックやドクター・イースターと共に敵に立ち向かう物語です。

冲方 デビューしたての頃ライトノベル雑誌『ザ・スニーカー』誌(角川書店)から五十枚の原稿の依頼を受けました。構想やテーマは今の物語と変わらないものが頭にありましたが、書き始めたら、五十枚の時点で登場人物が揃わない。結局書き上がると千八百枚になっていました。枚数の感覚が分ってなかったんですね(笑)。原稿を抱えて放浪しているうちに早川書房さんに拾っていただいたんです。

── 同作は漫画化され、十一月にはアニメーション映画が公開となります。これを機にハードカバーの[改訂新版]としてリニューアルされ、文庫三冊の[完全版]も出版されました。何故大幅な改訂をされたのでしょうか。

冲方 漫画、アニメーションの出来があまりにも良かったんです。「このままだと小説は要らないんじゃないか」と言われそうなくらいに。小説も、より先へ進めることを示したかった。互いに刺激を与え合っていくことがメディア同士の正しいあり方だと思いますから。もう一つの理由として「ハヤカワ文庫JA」から三巻で出版されて七年が経ち、自分の作品が悪い意味で「古典」になってしまうことが嫌でした。ここで改めて息吹を入れておこうと考えました。ハードカバーの[改訂新版]と文庫の[完全版]は、最初の作品を訂正したものではなく、原本のキャラクターやテーマを現在の筆力で描いたらどうなるかを意識して、どちらも一から書き直しました。言葉の韻を踏むこと、心理描写など小説にしか出来ないことを書き改めました。 [完全版]には、当時は実力不足で書くのを諦めた新たな場面を追加しました。三作とも文章自体が明らかに違う、全く違う作品になっていますので、読み比べて楽しめると思います。

── 単なるSF小説ではなく、哲学的な考察と、旧約聖書や神話の断片を織り込んでいます。「卵」がキーワードですね。

冲方 世界中の人間が知っている卵をテーマの中心に据えたかった。神話的であり寓話としてもメッセージ性や象徴性が高くなると考えました。個人の孤独を卵に置き換えて考え、登場人物の名前にしていきました。「バロット」は殻の中の孵化寸前の雛を食べるフィリピンの卵料理です。「ウフコック」はフランス語で半熟卵を指し、「イースター」はキリストの復活を祝う死と再生の日です。そしてハードボイルドから、敵対する人間兵器「ボイルド」の名を決めました。様々なイメージが渦巻く中で必然的にストーリーやキャラクターが生まれてきました。これは日本人らしい物語作りの特徴ではないでしょうか。月に自分の想いを託すとか、お題を決めて和歌を詠みあったり、連歌などに通じるものがあると思いました。

── ボイルドがウフコックに抱く執拗な慕情は、まるで恋愛感情のようです。

冲方 ボイルドは自分が生き残るために徹底的に殻を分厚くした人間です。閉ざされたことで社会の価値観を否定していく。全てを破壊し尽くすうちに生まれる虚無主義の代表を出したかった。バロットとは真逆の方向に向かうんです。彼には、かつてウフコックとお互いに価値を認め合った記憶が残っている。意識は虚無に向かうけれども、無意識では失われた絆に依存するんですね。ボイルドを軸にすることでウフコックとバロットの関係が際立ち、二人の新たなパートナーシップが進展するんです。

── ボイルドの命を受けてバロットたちのアジトを襲う「バンダースナッチ畜産輸出入」の面々は奇想天外な五人です。

冲方 人間の欲求にはこんな面もあるのではないか。過剰に自分自身の部分を増やしていく、欠落を埋めようとするあまり人間の肉体を物体として扱ってそのパーツを移植する。書いていて気持ち悪かったのですが、意外にも読者には人気があります(笑)。

── 宇宙戦略実験施設だった「楽園」では、「フェイスマン」が登場します。

冲方 バロットが同胞として迎え入れられる安全な施設です。ただし安全と引き換えに様々な制限が加えられる。バロットというキャラクターの成長には避けて通れない場所でもありました。鳥籠の中に頭だけが入っているフェイスマンも、卵つながりで発想しました。卵だったら鳥籠だ、と。中身はよりによって頭か、と言われましたが。

── 一番の驚きは二百五十頁に及ぶカジノの場面です。圧巻ですね。

冲方 再生したバロットは、自分自身の価値に挑戦し続けていく。その舞台は自分を殺そうとした賭博師・シェルが経営するカジノ以外は考えられなかった。乗り越えるべき壁や、偶然や必然を学ぶ上で、人間の欲望が渦巻く場所で精神の成長を書きたかった。なぜカジノの場面だけで一作作らなかったのか、という意見もあったほど、力を入れて書きました。呼吸法や「カウンティング」(本格派の熟練プレーヤーが使う戦術)などのギャンブルに関する事柄はプロのギャンブラーが書いた資料を相当揃えて参考にしました。

── カジノのディーラー、「ベル・ウィング」や「アシュレイ」は鮮烈な印象を残します。

冲方 強敵であり導き手である人物は物語の中で必要な存在です。人生の中で誰しもがこんな出会いを経験する。目の前で次世代が誕生する喜び、自分が年月を費やして身につけたものを若者に託していく姿を描きたかった。バロットのような境遇の人間でも人類が生み出した価値や遺産を受け継ぐ権利はあるんです。

── この作品で第二十四回日本SF大賞を受賞されました。ご自身はどの点が評価されたと考えましたか。

冲方 SF小説の隔世遺伝だと思います。海外の作品の影響を受けたSF作家の世代があり、僕はその世代から影響を受けた作家です。好きなSFの表現で「第四人称」という言葉があります。「私」「貴方」「彼・彼女」、そして「人類」という種としての視点です。人類に共通する未来について偶然と必然というものを学者が研究するのではなく、少女娼婦が四百万ドルを稼ぐためにカジノへ入って学んでいくという、高尚なものと卑俗なものを掛け合わせてSF小説を書きたかった。ルーツの意識と、両極端な概念の共存が受賞の理由ではないでしょうか。

── この作品は「圧縮」「燃焼」「排気」の三部構成です。

冲方 初稿が千八百枚だったので文庫三巻で出版すると決まりました。その上で各巻のタイトルを車のエンジンに見立てました。結果的にこのシリーズは三部構成が様式に合っているようです。前日譚の『マルドゥック・ヴェロシティ』も文庫全三巻ですし、執筆中の未来編『マルドゥック・アノニマス』も文庫三冊です。シリーズ自体も三部作になります。能の序破急をはじめ、三段落での構成は人間にとって一番判りやすい形式ではないでしょうか。

── 『野性時代』のエッセイで「創作とビジネスの天秤のゆらし方」を学んだと書いていますね。

冲方 どこから作家のモチベーションに係わるか、どこまでが企業の利益に係わるか、決まった配分があるわけではない。どちらも必要で天秤を壊してもいけない。ビジネスを無視して自分の欲求の思うに任せて書いても案外既存のものが生まれてしまう。他人を見ていない分、他人に似てくるパラドックスに陥るようです。

── 『天地明察』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞、北東文芸賞のトリプル受賞をされました。冲方さんにどのような変化をもたらしましたか。

冲方 プレッシャーの有難さを感じています。本屋大賞を得た直後は毎朝うなされて起きていました。これを乗り越えれば人生はより楽しくなるに違いない、と自らを鼓舞しています(笑)。『天地明察』が直木賞の候補になってよかったのが、文芸という表現は信頼できるという気持ちを再認識できたことです。人が努力を重ねて運営してきた直木賞が七十年以上も継続した事実に感動しました。

── さて執筆の準備をされている『光圀伝』は、『天地明察』のテーマ「日本とは何か」「日本の宗教とは」を発展させた物語になりそうですね。

冲方 暦という時間の枠組みを作った男を書いたなら、時間の中身である歴史を編纂した男を書こうと思いました。『大日本史』は日本の歴史構造を正確に分析した科学的な書であることは確かなことです。年内には連載開始する予定ですが、現在スケジュールが八ヶ月遅れなんです(笑)。楽しみに待っていてください。
(九月三十日、東京都文京区のキングレコードにて収録)


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