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【シリーズ対談】松田哲夫の著者の魅力にズームアップ!
変化し続ける「万城目ワールド」

「新刊ニュース 2010年6月号」より抜粋

編集者・松田哲夫さんの対談シリーズ、第二回は本誌1月号で発表した「哲っちゃんの太鼓本大賞2009」大賞作品『獣の奏者』作者の上橋菜穂子さんのご登場です。大人から子どもまで楽しめる壮大なファンタジー『獣の奏者』の世界にせまります。
作家・文化人類学者 上橋菜穂子
1962年東京都生まれ。作家、文化人類学者。川村学園女子大学教授。専攻は文化人類学で、オーストラリアの先住民アボリジニを研究。『精霊の守り人』で野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞、英語版は全米図書館協会からバチェルダー賞を授与されている。2000年『闇の守り人』で第40回日本児童文学者協会賞。02年にはこの二作を含む「守り人」シリーズで第25回巌谷小波文芸賞を受賞。04年『狐笛のかなた』で野間児童文芸賞受賞他、受賞多数。06年『獣の奏者』〈T闘蛇編〉〈U王獣編〉を発表。壮大な世界観を持つファンタジー小説として、大人から子供まで圧倒的な支持を集める。09年のアニメ化を機に、一度T、Uで完結させた物語の続編を執筆し、同年〈V探求編〉〈W完結編〉を発表。本誌「哲っちゃんの太鼓本大賞2009」大賞受賞作品
編集者 松田哲夫
1947年東京都生まれ。東京都立大学人文学部中退。筑摩書房顧問。大正大学客員教授。70年筑摩書房入社後、編集者として活躍。赤瀬川原平『老人力』、岸本佐知子『ねにもつタイプ』などのベストセラーを手がける。TBS系テレビ「王様のブランチ」本コーナーのコメンテーターを13年務めたことでも有名。主な著書に『「王様のブランチ」のブックガイド200』(小学館101新書)、『「本」に恋して』(新潮社)などがある。「新刊ニュース」2009年1月号より「哲っちゃんの今月の太鼓本!」を連載中。今年4月よりNHKラジオ第1「ラジオ深夜便」にて「わたしのおすすめブックス」コーナーを担当。
上橋菜穂子さんの作品
『獣の奏者 T〜W』
上橋菜穂子著
講談社
『獣の奏者』
T・U
上橋菜穂子著
講談社(講談社文庫)
『精霊の守り人』
上橋菜穂子著
新潮社(新潮文庫)
『神の守り人』
上・下
上橋菜穂子著
新潮社(新潮文庫)
『狐笛のかなた』
上橋菜穂子著
新潮社(新潮文庫)
 

「本読みのおじさんたち」が応援したファンタジー小説

松田
 『獣の奏者』は単行本がT〜Wの全4巻、TとUが講談社文庫と青い鳥文庫になり、全部あわせて現在115万部。児童書でここまで広く読まれるというのは素晴らしいことですね 

上橋 ありがとうございます。私の本は児童書というより、誰でも読める「物語」なのだと思いますけど、書店さんで児童書の棚に置かれてしまうと、大人の男性の目に触れる機会は(笑)、文庫化され、アニメになったこともあって、ネットの感想を読んで興味を持ち、本屋さんで手にとってくださった方も多かったようです。

松田 確かに、何かきっかけがないと、大人の読者が児童書を手にとろうとは思わないですよね。

上橋 
しかも、以前は大人がファンタジー小説を読むということに対しての抵抗感がありました。それが「ハリー・ポッター」シリーズや『指輪物語』などの本からファンタジーブームが起こり、児童書でもファンタジーでも、面白いと思えば大人も読むようになった。その影響も大きかったのだと思います。

松田 上橋さんは「おじさんたちが褒めてくれた」とおっしゃっていましたね。その中に私の名前も出ていましたけど(笑)


上橋 そうなんです(笑)。「太鼓本大賞」にも選んでいただき、ありがとうございました。松田さんと、大森望さん、北上次郎さん、それから児玉清さん。読者から信頼されている本読みの方々、しかも大人の男性が「面白い」と言って応援してくださったことで、新しい読者が手にとるきっかけを作っていただきました。 
 

松田 児童書ですが、一般書に近い作りで親しみやすかった。挿絵もないし、ルビもあまりついていない。

上橋 『獣の奏者』の前に書いた「守り人」シリーズも、女主人公・バルサのファンには中高年の男性も大勢おられますから、『獣の奏者』でも、読者を限定しない本を作りたかった。私自身はジャンルにとらわれず、ただ「物語」を書いているつもりなので。でも本の流通の過程で児童書として分類され、装丁まで児童書の形になってしまえば、大人が手に取りづらい本になってしまいますからね。

松田 老若男女を問わず、読者を物語の世界に引き込んでしまう力がありますね。T、Uで一度完結し、一つの球体のように完成していたはずの物語ですが、続編のV、Wが書かれて、もう一回り包み込むように大きな物語に膨らんでいった。すごく幸せな形での物語の展開ですね。

上橋 物語の木の芽に水をやって、育てていくイメージでした。T、Uまでできれいな木ができたと思っていたのに、あらためて水をやったら今度は周りの木も一緒に生えて、V、Wと
いう森が出来ちゃった(笑)。物語自体が命を持っている生き物であったから、育ってくれたのかなと。T、Uは主人公の少女・エリンと王獣の仔・リランという絶対の他者の間のコミュニケーションの物語です。V、Wでは大人になったエリンが王獣や闘蛇の秘密を解き明かすために生物学者のように動いていく側面と、真王・セィミヤという女性がリョザ神王国の政治問題や、周囲の異国との関わり合いに苦悩する側面がある。この二つが頭の中で違うメロディを奏で、交響曲のように広がっていきました。

松田 物語の初めから最大の謎となる災い≠ニは何なのか、T、Uでは解き明かされないわけですよね。

上橋 子どもの頃のエリンが、リランや、王族を守る護衛士・イアルとの出会いの間に、全ての謎を説明的に知っていくのは現実的ではないと思うんです。災い≠フ謎は、大人になったエリンが獣ノ医術師になり、探し始めたからこそ出会えたこと。私自身、Vを書き始めなければ災い≠フ本質を知ることはなかったんです。いつもエリンと一緒に冒険して絶体絶命になっているんですよ。いつか、物語の中から帰ってこなかったりしてね(笑)。

松田 作者も一緒にのたうちまわっている。そこから独特の躍動感、臨場感が伝わってくるんですね。


上橋 「神の視点」で、全てを見下ろして書くのが、どうも好きじゃないので。文化人類学を研究していると、いつも「まだ自分が知らないことがあって、それを見ることができたら、いま私たちが論文で書いていることは全く違うものになってしまうのではないか」という恐怖を抱えています。だから物語を書くときも、私自身、登場人物と同じ立場で生きて「わからない」というところをきちんと書きたかった。それこそが、この物語では大切な部分なので。


バランスを考えて削った恋愛のエピソード


松田 上橋さんの物語は、読み出すとその世界の風、匂い、気配が感じられ、物語の世界に入りこんだかのような気分になれるんです。

上橋  十代の頃からとても好きだった、イギリスの児童文学がそうなんですよ。ローズマリ・サトクリフの『ともしびをかかげて』は、読んだ瞬間、その時代のイギリスの風の匂いを感じるようなリアルさがあるんです。物語の世界を現実と感じさせるツボがあって、それを意識して書いています。

松田 どのように書いているんですか?

上橋 突然、頭の上あたりに情景が浮かんでくるんです。例えば、イアルが最初に誕生したのは、闘蛇の襲撃を受けて沈みそうになっている船を切り捨てても真王を助ける武人という、車を運転中に思い浮かんだ光景からでした。それを文字でデッサンしていくイメージです。見えているその状況を、どう文章で表現したら描けるかというのがいちばん難しいですね。

松田 大変なクライマックスシーンが、ドライブ中に生まれたんですね! ストーリーの展開に従ってイメージがわいてくるのではないんですね。


上橋 違うんですよ。けっこうランダムに浮かんでくるんですが、それがいつしか「物語」全体のイメージになっていくんです。新しい部分を書く度に、昨夜書いた部分を何度も読み返しながら、一本の縄のようにして編んでいく作業をしています。


松田 
完成した物語は、非常に知的に組み立てられていますよね。とても細かく書かれている部分と、時間をポンと飛ばしてスピーディーに物語が進むところがありますね。

上橋 私なりのバランス感覚でしょうか。洋画家である父の絵で、梅の花が咲いている風景画がありました。遠くから見ると花の匂いまでするように感じる絵なのですが、近づいて見ると花ではなく、赤い点が描いてあるだけなんです。花弁一枚一枚まで描いたら、逆にバランスが崩れて、リアルでなくなる、という父の言葉が印象に残っています。私の物語も、食べ物の味や肌触りなど細部を書く部分と、文章もエピソードも削る部分があるんです。

松田 削ったシーンもたくさんあるんですか?。


上橋 はい、例えばエリンとイアルがどのように結ばれたのかを本編では書きませんでした。どういう過去があったのかは、ちゃんと頭にありましたし、私自身とても書きたかったし、読者から「恋愛部分をもっと書いて」という要望も多かったんですけどね。私は『獣の奏者』を、人にはどうしようもなく動かせない世界があって、その森羅万象の一部として人間が出てくる物語として書きたかったんです。でも、その中にひとりひとりの個人的な感情を書きすぎてしまうと、トーンが変わってしまう。とくに恋愛は吸引力が強すぎて、そこばかりが膨らんでしまう。好きで書きたいエピソードでも、それがあるがゆえに全体のバランスが崩れるということがあるんです。

松田 特にV、Wは、地理的、時間的、空間的にも非常に大きなスケールで広がっていきますから、恋愛を語って内面に入ってしまうと方向が変わってしまうかもしれませんね。


上橋 ええ。でも、人間的な部分を全く書かずにいるとそれはそれで味気ない…。人は世界の中でただひとつの人生を生きていくわけですからね。そこで、家を突然訪ねてきたときのエリンの表情をイアルが思い浮かべるというところまでは書きましたが、その後に起こった出来事は書かない。ズームの当て方も引き方もバランスを考えて書きました。

松田 物語のリアリティというのは、どのように形作っていくんですか?。


上橋 食べること、一対一の戦い、あるいは恋愛とか、そういうものはやはり体験が生かされるかもしれないですね。イアルの目が非常にいいという設定は、私自身が柔術を習ったとき、そういう力があると武術家として非常に強いだろうとわかったから作りました。同じく、女の人でも才能があり、鍛練と経験をつめば男の人と戦えるということを知ったので、「守り人」シリーズのバルサが生まれました。戦いのシーンは自分でやってみることもあります。同僚に剣道の有段者がいて、学科会議のあとに「これいけますかね」「いや、こう返されますね」と相談したり(笑)。

松田 側にいると危ないですね(笑)。


上橋 小さい頃に祖母がしてくれた昔話も、物語の参考になっています。武士の感覚などはバルサの行動に生かされていますね。「刀の鯉口を切ったときは、自分だけではなく、家族全員が責めを負って死ぬ可能性がある。だから命を感じながら抜く」とかね。祖母は実に話のうまい人で、きちんと正座して、調子をとりながら平家の落人の話などをしてくれました。湿った夜の匂いがして、鎧金具がふれあう音が聞こえるような語りでした。私は小さかったのですが、いまだにその話を空で話せるくらい、記憶として覚えています。人類学者としては、フィールドノートにつけておきたかったな。

松田 おばあさんが「守り人」シリーズや『獣の奏者』の物語の生みの親のひとりなんですね。




物語の世界に生きる人々を描く



松田 オーストラリアにフィールドワークへいらっしゃるそうですが、そのときの経験も生かされていますか?


上橋 狩りをしてトカゲを捕まえたり、獲った獲物をさばいたり…。さばくときは、痛がっているのではと思うくらい、ピクピク動く手触りもありますし、匂いもします。温かいですし、虫も寄ってくる。自然の中のシーンも多いですから、そういうことを経験しているのは大きいですよね。

松田 トカゲ食べるんですか? おいしいんですか?


上橋 おいしいです(笑)。アボリジニの女の子が、トカゲの姿そのままを地炉で蒸し焼きにし、皮をはいで、「はい、菜穂子」って渡してくれたものに、塩を振って食べたりしました。

松田 それはすごいなあ(笑)。他に研究が物語に影響していることはありますか?


上橋 執筆中に何度も繰り返し読み返す中で、文化人類学者として得たさまざまな経験から、人間関係や集団のあり方について「これは違う」という部分が見えてくることがあります。

松田 具体的に言うと?


上橋 文化人類学って面白い学問で、人が生きている生活に一緒に入っていって、その民族のことを学ぶわけです。するとその人たちの日常のリアルと、知識として持っている世界の中での彼らの状況とが、私の中に二重写しになって存在するんです。『獣の奏者』も大きな世界の中の人々を描いていますから、世界と人々の関係は常に意識しています。

松田 『隣のアボリジニ』(筑摩書房)で研究者としての矛盾をお書きになっていますね。ある民族の学問的にとらえた歴史や文化と、現実の日常とは必ずしも一致しないと。


上橋 ひとりの人の現実は、世界や社会を凝縮している場であるような気がするんです。でもそれを切り取って、文章として表現しようと思うと、大きなジレンマが生じるんですね。以前、福岡伸一先生と対談をしたときにもそのようなお話をしたのですが、人間は蝶を標本にしてはじめて科学的に観察ができ、理解をするけれども、羽ばたいて動き、命が移り変わっていくそのすべても、また蝶ですよね。それを描くということは非常に難しいわけです。同じように、ひとりの人間が生き、いろいろなことがあった物語の中ではじめて見えてくるものがあります。だから私は「この本のテーマは何ですか」って聞かれるのが嫌なんですよ(笑)。「物語の全体から醸し出されてくるすべてです」と言うしかないですからね。

松田 読者からすると、次の物語も読みたいですよね。周辺の魅力的な人物のことを書いていただくと、エリンのまだ書かれていない部分も見えてくるかなとか。


上橋 松田さん、編集者の回し者ですか(笑)? 実はV、Wを書き終えたあとに、この物語に生きていた人々の、人としての暮らしや思いを描きたくなりまして、エリンの師・エサルの話や、エリンとイアルの同棲時代など(笑)を、『獣の奏者』の外伝として書きました。

松田 原稿のさわりを読ませていただきました。いい意味で裏切られたというか。もう一度、この物語全体がさらに大きくなったという感じがしましたね。


上橋 そう言っていただけると、とても嬉しいです。人生というのはどんな幸せな瞬間も、どんな不幸な瞬間も、一瞬で過ぎ去ってしまいますよね。『獣の奏者』に流れている歴史、時の流れの中で、そのような人の刹那を描きたいと思いました。異世界のことを短編や中編で書くのは難しいのですが、本編があったから書けた物語で、ひとりの人間としての、イアルやエサルを書けたような気がしています。


※『獣の奏者 外伝 刹那』は2010年9月上旬に発売予定です。

(4月1日、講談社にて収録)

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