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山本 一力
(やまもと・いちりき)
1948年高知県生まれ。都立世田谷工業高校卒業後、様々な職業を経て、97年に『蒼龍』でオール讀物新人賞を受賞。2000年に初の単行本『損料屋喜八郎始末控え』を上梓。02年『あかね空』で第126回直木賞を受賞。主な著書に『銭売り賽蔵』、『梅咲きぬ』、『欅しぐれ』、『ワシントンハイツの旋風』、『草笛の音次郎』、『いっぽん桜』、『深川黄表紙掛取り帖』、『深川駕籠』、『家族力』、『はぐれ牡丹』、『大川わたり』等がある。 |
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『だいこん』
光文社
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『あかね空』
文春文庫
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『銭売り賽蔵』
集英社
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『梅咲きぬ』
潮出版社
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石川 この『だいこん』という長編時代小説は、通い大工の長女「つばき」の成長とつばきが開業した一膳飯屋「だいこん」の繁盛記を、明和三年(一七六六)から寛政元年(一七八九)にわたって描いた作品ですね。
山本 三歳のつばきは物語の終わりには二十六歳になっているけれど、そんなに大人というわけではない。まだまだ若いですよ。しかし、気性が良くてひたむきにやっていけば物事はうまく成り立っていくんです。今、ともすれば皆ほどほどでいいやっていう嫌な風潮があるよね、一等賞は獲らなくていいという――。
石川 ナンバー・ワンでなくオンリー・ワン、ですね。
山本 その考え方は本当おぞましいと思うよ。というのは、一等賞と二等賞の間には絶対的に越えられない深い溝があるんですよ。その溝を正面から見つめてそれを自分で受けとめれば、やらなきゃいけない事が見えてくるんです。ところが一等賞は獲らなくていいと自分をごまかして、言葉で遊ぶような事をすると本当に、「いいや」になってしまう。我々は本来、やるからには一所懸命、ひたむきに、物事を極めようという美徳を持っていたはずで、読者がそんな事を小説の上で感じ取ってくれればいいなと思って書いていました。実際、書いていて気持ちのいい女性だったな、つばきは。
石川 つばきはもとより、つばきをめぐる人物達も皆気持ちのいい人たちです。
山本 みんなそうだよね。誰もがやる事は一所懸命やっている。めちゃくちゃな奴もいるし、嫌な奴もいるけれど、それぞれに一所懸命に生きていて中途半端な奴はいない。
石川 物語の第一部では、つばきの成長が家族を中心に語られています。つばきの父・安治は伸助に誘われて場で十両もの借金を作ります。家族は長い間この借金で苦しむわけですが、張本人の伸助はただの悪人ではありません。より含みのある人物設定になっています。
山本 どっか斜に構えたところもあるんだけども、根っからのワルじゃないから、大事な場面では本能の示すままに人助けをしちゃったりするんだね。ひたむきに生きている安治の家族に、心のどこかでシンパシーを感じているのかも知れないな。
石川 そんな伸助をつばきは最後まで理解しませんね。吾妻橋から落ちそうになったつばきを助けてくれた命の恩人でもあるというのに。
山本 そこはもう男と女の性差かも知れないね。女の場合は身体で嫌悪感を覚えちゃったら交わらないよね、頭よりも肌合いの感覚が先行するわけだから。
石川 第一部のクライマックスは明和九年二月、目黒行人坂の炎が浅草にまで燃え広がり、江戸の大半を焼き尽くす大火事です。
山本 物語の中で背景として描いた天災、この大火事にしても第二部の洪水にしても、全てその当時の歴史的な事実を下敷きにしています。火事の様子や燃え方は自分の頭の中で考えるけれども、どこからどう広がっていった火事なのかは当時の文献を資料にしました。
石川 ここで「半鐘打ちの潮吉」が登場します。火事を描写する際の点景の人物かと思われましたが、彼の歴史を探り、果ては九歳のつばきが密かに思いを寄せますが……。
山本 恋心はあっけなく萎んじゃうんだよな。つばきは生涯を通じて仕事を選ぶ女だろうと思っていたから簡単に恋は成就しないし、また成就できない事を自分で折り合いをつけながら生きていくとも思うんです。
石川 資金を貯えた母親のみのぶとつばきが「だいこん」の開店準備をする場面から第二部は始まります。「だいこん」を造作普請する三月十日、つばきと家族は浅草寺にお参りに向う途中、朝日を浴びた大川を見ます。この場面は、朝の澄んだ空気を感じさせる圧倒的な情景描写ですね。
山本 その時の人物の心情はあれこれ描き込まなくても、まわりの情景が教えてくれるんだろうね。何を書くにしても作者がその場面を思い描けなければ駄目で、「描写していく事を心がける」というのは物書きにとって一番大事なことです。
石川 四月に開店した「だいこん」は繁盛していきます。ところが六月、大雨で大川が氾濫します。避難のため店を後にする間際、つばきは妹や母親に《みんなで、流しにお礼を言って》と言います。
山本 「だいこん」の基は台所であり流しですから、そこを簡単に足蹴にして逃げるというのはつばきにはできなかったんだね。
石川 第一部の大火事やこの洪水の描写は、昨年の国の内外で起きた災害を知る私たちには、読書を超えた生々しさを感じてしまいます。
山本 連載中は予想もしてなかったな。妙なタイミングになったけれども大きな自然災害が起きた後で読んでもらうと、読者の心に物語が一層深く刻み込まれるのではないかと思います。
石川 それにしても、洪水が引いた後の描写は強烈です。
山本 水に漬かった後の町がめちゃくちゃ汚なくなるのは前から言われていて、体験した人の話はたくさん聞いていました。今回の津波の爪痕も凄まじいですよね。結局、大事な所でどうディテールを描くか、という事で物語のリアリティが出てくるわけです。川がれました、水が引きました、すぐに町が生まれ変る――そんな簡単にはいきません。
石川 物語は後半にいくに従い、店で働く「おさち」の父「吉次郎」や「おそめ婆さん」、「日本橋の四人組」など魅力的な老人が登場します。
山本 年長者を大切にするのは時代小説を書く上で一番の根幹だと思っています。今の時代は簡単にリストラしたり、定年という形でその人の能力に関わりなく強制的にリタイアさせてしまう。これは大きな損失ですよ。その人達が蓄えてきた経験や知恵は大切にしないといけない。
石川 つばきが考える高齢のお客様のための新しい献立や、年長者の人材活用は超高齢化社会を迎える私たちのヒントになりそうです。
山本 そうなると嬉しいな。歳を重ねた人が持つ知恵や見識が社会にフィードバックされないのはおかしなことですよね。
石川 小説に出てくるつばきの炊いたごはんや桜飯、握り飯、湯、おそめの作ったところてんなど、食べ物はどれも美味しそうです。
山本 自分が喰いたい物を書くんです。池波正太郎さんもそうだったと思うな。書く本人が自分で喰いたい物をこんな味で喰いたいなと思って書いていれば、それが美味しかろうが不味かろうが読者は共有してくれるんじゃないかな。
石川 『だいこん』という小説は《天明の元号は縁起がわるかった。》という一行から始まります。読者はきっと「天明の大飢饉」のことを考えるのではないかと思いますが、小説にその話はありません。又、深川に「だいこん」が移転してこれから開業という時点で物語は幕を下ろしています。
山本 出版社としてはできるだけ長く連載して欲しいという意志があったと思うけれども、単行本としてまとめるにはそれなりのボリュームの所で一度閉じて欲しいという意向もありました。読者の評判が良かったら続編を別の形で仕上げてみようと思っています。「だいこん」が深川でどうなって行くか、それを繙きながら今回の作品であえて触れなかった物語を書き込もうと考えています。このことについては方々から訊かれましたよ、「この先どうなるんですか?」って。「小説宝石」の編集部内でも続編という声があるから、遠からず『だいこん』の新しい物語が生まれるんじゃないかな。
石川 待ち遠しいです。さて、山本一力さんは《小説を書き始めた動機は、仕事でこしらえた借金を返済するため》という前代未聞の言葉で知られる作家です。しかし別のエッセイでは一九八一年、《母親の葬儀の日に、桜吹雪のなかで、いつか彼女を軸に据えた小説を書こうと決めていた。》とも書いています。
山本 文章を書くことは、コピーライターなどをしていたから自分の身近にあったんだけど、小説を書くという作業はそれまでやっていた事とは全く違っていました。小説というのは小説でなければいけないわけです。物事はそんなに簡単には運ばないよね。失敗しても上手くいってもそのプロセスの中に醍醐味があるんだし、いろんなヒントも隠れている。高校を卒業して物書きを専業にするまでは三十五年ほど仕事をやってきたわけだけど、きっと物書きになるように導かれたんだろうと思いますね。
石川 山本さんの今後の作品が楽しみです。
山本 原稿を書くのは長い旅なんです。二十枚の作品だって結構重たいもんなぁ。でもそれをやり続けるのが物書きだと思うし、作品を待っていてくれる読者がいると思うと一作たりとも手は抜けないですね。まだまだ書きたいネタはたくさんありますから、どうぞ期待していて下さい。
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