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『時が滲む朝』の楊逸さん
インタビュアー青木 千恵(ライター)

楊逸(やん・いー)
1964年中国ハルビン生まれ、中国籍。1987年、留学生として来日。お茶の水女子大学文教育学部地理学専攻卒業後、在日中国人向けの新聞社勤務を経て中国語講師となる。2007年、「ワンちゃん」で第105回文學界新人賞を受賞しデビュー。2008年、「ワンちゃん」で第138回芥川賞候補。2作目の「時が滲む朝」で第139回芥川賞受賞。中国籍の作家として、また、日本語以外の言語を母語とする作家として史上初めての受賞となった。
〈主な著作〉『ワンちゃん』(文藝春秋)、『時が滲む朝』(文藝春秋)。





第139回芥川賞受賞
『時が滲む朝』

文藝春秋



『ワンちゃん』
文藝春秋


── 芥川賞受賞おめでとうございます。改めて伺いますが、受賞の感想はいかがですか。
 ありがとうございます。受賞できると思っていませんでしたので凄く嬉しいです。『時が滲む朝』は、あまり読者を気にせずに自分のために書こうと、私なりの強い思いがあって書いた小説です。雑誌に発表できて満足していたら、芥川賞の候補になってまた喜んで、そのうえ賞までいただけて、何重もの喜びに包まれた感じです。この小説を書いたらもう次は書けなくてもいいと思っていましたが、せっかくこのような評価をいただけたので、もっと頑張ってこれからの道を一歩一歩しっかり歩み、いいものを書き続けていかなければならないと、自分に言い聞かせています。
── 主人公は、中国の農村出身の青年ふたりです。一九八九年、中国民主化を求める学生運動に参加して挫折、その後の十一年間を描いています。楊さんが、この小説を自分のために書こうと思ったのはなぜですか。
 私は天安門事件の頃はすでに日本に来ていたので、実際に参加してはいませんが、八九年五月に中国の状況を見るために帰国しました。事件直前の五月末に北京に数泊して、両親がいるハルビンに帰郷し、事件後数日してまた北京に行きました。事件の前後で北京の印象ががらりと変わって、そこで感じたショックが大きかった。当時、私は小説の主人公たちよりも、民主主義をよく分かっていませんでした。そして日本に戻って、事件を伝える大量の報道を見て、みんなが「民主(主義)、民主」と言うけれど、その中身は一体何なのか、を考えるようになりました。日本人が考える民主と、私が考える民主は違う。私の民主も、中国人を代表するものじゃない。だから民主はひとつの固有名詞に過ぎなくて、中身はいい加減、曖昧だと思ったんです。
── 天安門事件前後の北京を見て、どのようなショックを感じたんですか。
 まず、中国人ってこんなにパワーがあるのかと、びっくりしました。私が二歳のときに文化大革命が起きて、物心ついたときには沈んだような社会になっていた。子供の頃、ハルビンから農村に家族で下放されましたし、みんな黙って、悶々としている状況の中で育ったから、天安門事件の直前にたくさんの人がパワフルな活動をしている光景を見て、ああ凄い、こんなにパワーがあるんだ、みんなが本心を出せる時代になったのかと思ったんです。でも、深層に流れていたものが見えていたわけではなく、日々矛盾がたくさんある中で私は生きているのだから、ずっと考えさせられた。来年は事件から二十年で、当時の私では考えられなかったことが、時間の経過とともに考えられるようになり、見えてきたものがある。人間は、自分が立っている高さによって見える風景が違ってきますから、私が今立っているところで見えたものを小説に書きました。他の人の見方は別問題で、あくまでも私自身が考えて、二十年経って思ったことを書いた。それを芥川賞として評価していただいたのは、私の考えたことが伝わったのだと、その意味でも、受賞を凄く喜んでいます。
── 主人公のひとり、梁浩遠は九二年に来日。運動のリーダーだった女子学生は消息が分からなくなり、大学の恩師の甘先生は亡命。そう長くはない作品の中に、実にたくさんの人物が出てきますが、モデルはいるのでしょうか。
 全くの想像、フィクションです。私はどの小説もモデルなしで書いています。けれども、知らない環境を書いているのではない。なので典型的な人物設計をしました。中国全体を縮小した人物作りと考えていただいていいと思います。「民主」は入れ物のようなもので、個人個人にとらえ方があり、その人の経験、立場、あるいは境遇に影響されてできていく。それが持ち寄られて、大きな「民主」になっていく。その状況をどう表現しようかと思ったとき、場所にしても、人物にしてもいろいろ必要だったんです。事件からあえて二〇〇〇年くらいまでに時間を設定したのは、二十年を振り返るよりも思いをまとめやすかったから。歴史的事件を真正面から見るのも大事だし、それに足元もちゃんと見ないといけない。挫折して、再び「民主」を求めるとしても、足元に断層があるのにぽんと「民主」になるのは不可能だと思います。飛びついて取るよりは、一歩一歩、着実に歩きながら求め、たどり着いていくのが自然な流れではないかと思います。
── テレサ・テンと尾崎豊の歌が出てきますね。もうひとりの主人公、謝志強が尾崎豊の「I LOVE YOU」を情感込めて歌う場面が印象的でした。
 音楽は人の心に響くところがありますし、むしろ自分の思いと響きあったところで歌の奥にあるものが引き出せる。音楽は凄い力があると思います。尾崎豊の曲は、音楽が好きという感じで、恐縮しながら使わせていただきました。
── 楊さんのこれまでの経歴を教えてください。
 いたって普通ですけれども(笑)。八七年に日本に来て、日本語学校に行きながらアルバイトをたくさんしました。お茶の水女子大に入り、地理を勉強しましたが、あんまり役に立ってません(笑)。でも、地理は凄く好きです。卒業後は中国語の新聞社に入って、記者になったのですが、給料が安かったんです。当時結婚していた日本人男性との離婚を考え始めて、この給料では離婚して二人の子供を育てられないと思い、中国語講師をフルタイムでやろうと記者を辞めました。中国語講師の仕事は、大学時代からずっと続けていたんです。〇二年に離婚して、子供を引き取り、三人で今日まで生きて来ました。子供は今、高校生と中学生です。
── 留学しようと、日本に関心を持ったのはなぜですか。それと、小説はもともとお好きだったんでしょうか。
 高校に入る前、十四、五歳のときに、ずっと連絡が取れなかった伯父が日本にいることが分かり、伯父からカラー写真が届いたんです。私はそれまでカラー写真を見たことがなかったんですよ。大きさも、色の鮮やかさも、凄くきれいで、私は好奇心が強いほうですから、どういうところなんだろう、知りたい、行きたいと思い始めました。大学四年生のときに留学許可がおりて日本に来ました。小説は高校を卒業する頃までにいっぱい読みましたが、その後は生活の不安定さから、なかなか読む気になれませんでした。ただ時間があれば、歴史関係の本やエッセイを読んでいました。
── 現在、著作は二作です。『ワンちゃん』に二編、そして受賞作と、三編が本になっていますが、書かれた順番はいかがでしょうか。
 まさか小説を書くとは、ずっと思ってもいませんでした。三年ほど前、中国語を教える仕事が急に暇になって、退屈だし毎日ごろごろ家でテレビを観ている生活をしていたら自分が嫌いになってしまう。もともと書くことは好きだったので、何か書こうかなと思いました。そうすると読者をどうするか、書いたらどこに出すかという問題が浮かび上がり、もう二十年も中国に住んでいないから、中国のことは書けない、日本語で書くしかないと思ったんですね。そこで、日本と関わりがあって、ストーリー性が強い『ワンちゃん』を書きました。まず日本人の読者に受け入れていただこうとしたことが、一番努力した点だったと思います。意外にも新人賞を受賞できて、周りの人から一応「面白い」と言われましたので(笑)、そこで安心して、今度は自分のために書こうと『時が滲む朝』を書きました。
── 芥川賞史上、中国籍の作家で初受賞、日本語以外の言語を母語にする作家としても初めての受賞です。日本語で小説を書くのはやはり難しいですか。話し言葉はとても流暢ですし、小説も自然に書けている感じがしますが。
 自然じゃないですね、とても難しいですよ。辞書がとても大事です。文法的に正しいか判断しづらいところは不安ですし、うまく表現できないときがよくあるから、常に辞書を開いて、正しいかどうか一回一回確認して書いています。日本人の言い方はどうだろうと、テレビのサスペンスドラマを観たり、そんな感じです。
── デビュー作の『ワンちゃん』は、日本人と再婚した中国人女性が、姑の世話をしつつ、日本人男性と中国人女性のお見合いツアーを仕切る話です。楊さんの小説は、辛い目に遭ってもあくまでも生き抜く人々が出てきますね。
 辛い目に遭っているからこそ、生きていける。遭っていない人の方が、逆に弱いですね。私の印象だと、今の日本文学の流行は、空を描いている感じ。私は、空や雲の流れはつかみにくいので、大地を描きたいと思っています。生活から全てが生まれる、そのプロセスがたまらなく面白い。すぐそばに人がいて、日常的にそう変わりがないと思っても、そうではない。一人ひとりが、別の世界を絶対に持っていると思いますね。どうしてかと言うと、私自身、ずっと生活してきましたから。そこに根底があります。
── これからの仕事について教えてください。
 やはり、文化のぶつかりあいや、人間の矛盾の中でもがいている姿を書くでしょうね。今、中国について、大量の情報が日本に伝わって来ています。マスメディアの報道、学者の分析。たとえばテレビを観て、中国はこうだ、ああだと分かるんですけれど、中国を理解できるかは別問題ですね。日本に中国人が増えて、どうして中国人ってこうなの? という思いを、日本人の皆さんはたぶん持つと思う。報道、あるいは理屈的に説明するよりも、小説の形の方がずっと人に分かってもらえると私は思うんですね。同じように書いていたら読者が飽きちゃうから、新しい試みもしていきたい。文化を背景にして、生活の中から素材を汲み取って……という感じだと思います。芥川賞受賞第一作の「金魚生活」が「文學界」九月号に掲載されています。今度は金魚の話です。どうぞ読んでください(笑)。

(7月28日、東京・紀尾井町 文藝春秋にて収録)

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