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よしもと・ばなな
1964年東京都生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。その後、泉鏡花文学賞、芸術選奨文部大臣新人賞、山本周五郎賞、紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞など、数々の文学賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されている。主な著書に『まぼろしハワイ』、『High
and dry(はつ恋)』、『アルゼンチンババア』、『TUGUMI(つぐみ)』、公式HPでの日記をまとめた『なにもかも二倍』などがある。
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『サウスポイント』
中央公論新社
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『まぼろしハワイ』
幻冬舎
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『High and dry(はつ恋)』
文春文庫
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『はじめての文学 よしもとばなな』
文藝春秋
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―― 新刊『サウスポイント』は、キルト作家の「テトラ」が、ある日スーパーの店内で聴いたハワイアンをきっかけにシンガーソングライターの「幸彦」と出会い、彼の兄でありテトラの初恋の相手であった「珠彦」の死を知ることになります。テトラは珠彦の人生をモチーフにしたキルトを創るために、ハワイ島へと旅立ちます。執筆のいきさつを教えてください。
よしもと 作家になって二十年を迎え、一番お世話になった人との本をつくりたいと思いました。ずっと担当してくださったのは、幻冬舎の石原さんと中央公論新社の渡辺さんの二人です。幻冬舎からは『まぼろしハワイ』という小説を出していて、今回はその本と対になる作品を書きました。渡辺さんと一緒につくった作品に『ハチ公の最後の恋人』という小説があって、その続編的な作品を書こうと考えました。ハワイ島に行って構想を始めたのが五年ぐらい前で、実際の執筆には一年ほどかかりました。
―― 語り手のテトラに寄り添いながらやさしく読める小説ですが、テトラは絶えず珠彦との出来事や死んだ父を思い返します。時間軸が幾層にも重なっていて、読み進めながら全体像を見渡せる小説とも感じました。まるで、テトラの創るキルトのようです。
よしもと 執筆中は自分の意識は取り去って、テトラや珠彦の話を聞く感じで書いていきました。そして、登場人物の話を順につづっていった結果、この物語ができあがりました。この作品は簡単に書けると思っていましたが、いざ書くとすごく難しかった。特に人物や風土のリアリティを出すのが難しくて、とても苦労しました。主人公の一人称で書いているので、テトラの感情に沿って物語は進みますが、実は珠彦の家族の悲しみとテトラの心情には大きな隔たりがあるんです。家族や恋人の喪失感の中に、関係のない人物であるテトラがポツンといる状況。そこに踏み込み、小説として書くのは難しかった。つい上っ面で書きそうになるんです ―― 主人公のテトラは、どんな人物をイメージしましたか。
よしもと 平凡な日本女性をイメージしました。ただ、お母さんがヒッピーなので、変わった名前を娘につけるという設定にしました。でも、何かの象徴とか背景を考えて名づけたわけではありません。
―― 作品の後半では、舞台はハワイ島に移ります。
よしもと オアフ島には気楽に行けるので、何度か行ったことはあるのですが、「ハワイ島の方が好きだな」と行くたびに感じます。しっくりくるというか、落ち着くんです。ハワイ島にはいろんな面があるんですね。雪が降っている山もあれば、火山もある。そういう点では楽園的な場所ではありません。ハワイ島を描くにあたり、きちんと地名を出すことで、移動の感覚を具体的に書きました。そうすると日本の地理をぼかすわけにはいかないので、上野や群馬なども具体的に書いています。
―― 地名が書かれることで、作品世界が一気に身近になります。
よしもと 私は小説を読んだあと、作品の中に登場した場所に行くのが好きなので、そんな好みが反映されたのかもしれません。
―― 珠彦が語るキラウェア火山のハレマウマウ火口には、行ってみたくなりました。
よしもと 見るたびに、火口の大きさに驚かされます。何回か行っているから、その迫力については知っているはずなのに、見に行くたびに新たな驚きがあるんです。やっぱりすごい所です。
―― 後半に登場する「マリコ」は癖のある人物ですが、プリミティブな人間が持つ力強い面も感じました。
よしもと 珠彦の弟である幸彦が、ものすごくいい人というか、あまりに完璧すぎるので、こんな完璧な人には、どこかしら変な所があるはずだと考えました。変な女の人が好きだとか、変態だとか、実はダメ人間だとか、そういう個性があるはずだと思っていました。主人公の二人はお人好しで、ありきたりのことしか言わない普通の人なので、マリコはまわりの人にズバズバ斬り込んでいく、特徴的な人物がいいなと思いました。
―― 「宿命」の恋人と言える珠彦とテトラの間には、最後まで微妙な感情のズレがありますね。
よしもと 似た者同士だと、長く好きでいることはできないと思います。私にとって当然のことが相手にはできないとか、そういう性格の違いが大きければ大きいほど、恋愛は長続きするのではないでしょうか。作中の人物の微妙なニュアンスは、つくろうと思ってできることではないんです。こう動いてほしいと思っても、その通りに動いてくれませんから。作者と登場人物とは赤の他人で、リンクする部分はありません。
―― よしもとさんにとっての小説は、作者であるご本人とは切り離されたものなのでしょうか。
よしもと 私の場合、小説は考えて書くとダメなような気がします。考えを書いているのではなく、宇宙のどこかにある「映画」を見て、聞いて、書いている感じです。自分の要素が減れば減るほど、いい小説が書けるんです。ですから、自分を出したり、見たものをねじ曲げてはいけないと戒めながら書いています。ただ、こちらがちゃんとしたテーマを持って臨まないと、「映画」を見せてくれないんです。いざ小説を書くときには、いつでもリアリティを大事にしています。
―― 今回の作品は、『ハチ公の最後の恋人』の後日談として読むことができますが、珠彦の父親である「ハチ」を登場させるかは悩みましたか。
よしもと ハチは絶対に登場させまいと思っていました。それだけは初めから決めていました。父の不在という状況が、ハワイで暮らす珠彦たち家族にとってのリアリティです。彼らは父がいないことを前提に生きてきたので、この小説の中に登場してはいけないんです。でも、『ハチ公の最後の恋人』を書いたときと同じくらい大きな存在として、自分の中にはありました。
―― 「あとがき」には珠彦の潜在的なモデルとして、「佐 久間順子」という名前が書かれています。《生木のように裂かれた私たちの友情》とも書いていますね。
よしもと 彼女は結婚していて、現在はその名前ではありません。今でも仲はいいですし、私がとても影響を受けた人です。彼女の痕跡を残したいという気持ちがあったのだと思います。
―― 今後、サーガのように作品世界を書き継がれることはありますか。
よしもと 『ハチ公の最後の恋人』は、技術的な問題で文体をコントロールできなくて、悔いが残っていました。それをなんとかしたいと思って『サウスポイント』を書いたので、これで終わりです。続きはありません。
―― 二十年を越える作家歴を振り返れば、日常の些細なことを昇華させて作品に定着させたり、あくまでも話し言葉にこだわったりと、よしもとさんが切り開いた道があると思うのですが。
よしもと ひとりで切り開き、今もひとりぼっちです(笑)。ずっと自分のやりたいことしかやってこなかったですし。ただ、読者との関係ということであれば、ちょっと繊細だったり、感受性が強くて生き難いと思っている読者との間に、お互いの「場所」をつくってきた感慨があります。
―― 「死」や「別れ」、「家族」をテーマに書き続けてこられました。よしもとさんの創作の原点にあるのは何でしょうか。
よしもと 以前、絵本の解説の中で、自分の作品のテーマを「時が過ぎてゆくのを惜しむ」と書きましたが、デビュー当時から「時間」というものについては、何かしら思うところがあるんでしょうね。それから作家として、人の成り立ちにも興味があります。ある人物を考える場合、奥さんやご主人を見るよりも、親や兄弟を見た方が早いなと考えています。お父さんが何年もどこかに行っちゃって不在だとか、実は小さい頃に死んだ兄弟がいるとか、そんな話を聞く方が、恋愛の話を聞くよりもその人自身がわかります。
―― 今後の予定を教えて下さい。
よしもと 年内に文藝春秋から書き下ろしの小説を出す予定です。今は生活の中心に育児があって、作家としては半引退状態なので、小説は書き下ろしになりますね。
(4月15日 東京都・中央区の中央公論新社にて収録) |
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