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夢枕獏(ゆめまくら・ばく)
1951年神奈川県小田原市生まれ。東海大学文学部日本文学科卒業。1977年、SF文芸誌「奇想天外」にて『カエルの死』でデビュー。1989年『上弦の月を喰べる獅子』で第10回日本SF大賞、1998年『神々の山嶺』で第11回柴田錬三郎賞を受賞。格闘技、伝奇バイオレンス、オカルトなど幅広いジャンルの小説で活躍。『魔獣狩り』『陰陽師』『キマイラ』『餓狼伝』『荒野に獣
慟哭す』『大帝の剣』など、複数の人気シリーズを執筆しており連載多数。
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『東天の獅子 第一巻
天の巻・嘉納流柔術』
双葉社
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『東天の獅子 第二巻
天の巻・嘉納流柔術』
双葉社
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『東天の獅子 第三巻
天の巻・嘉納流柔術』
双葉社
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―― 『東天の獅子』は、日本柔道史を彩る群像と彼らの熱い闘いを描いた、壮大な長編小説です。全四巻完結の「天の巻・嘉納流柔術」では、講道館を創設した嘉納治五郎ら、明治・日本柔道創成期における面々が描かれています。まえがきに、〈思いたってから数十年〉とありますが、この物語を思いたった端緒をまず教えてください。
夢枕 『サンデー』、『マガジン』のどちらで読んだか忘れましたが、週刊少年漫画誌に明治時代の柔道家、前田光世のことが載っていました。講道館に入門して鍛えられ、二十代で渡米し、ボクサー、プロレスラーらとの他流試合で勝ち抜いて二千試合無敗。最後はブラジルに渡り、一度も日本に帰ることなく死んだ前田の話が面白くて、小説を書き出した十代の頃には、「いつかやろうリスト」に入れていました。僕の頭の中には、書きたい話を入れておくケースがあり、別の引き出しに「陰陽師」があったように、「前田光世伝」も入れてありました。
―― 九八年から『小説推理』で連載を開始し、「天の巻」四巻分の執筆に十一年をかけていらっしゃいます。「前田光世伝」の構想を持ちながら、終わり近くまで前田が登場しない「天の巻」を、まず書いたわけですね。
夢枕 前田光世を書くために、1990年代初めにブラジルに取材に行きました。前田に柔術を教わり、後にグレイシー柔術を創出したカルロス・グレイシーがまだ存命で会うことができて、前田の遺族の方にも取材をしたのですがなかなか書く時間がありませんでした。五年ほど経った頃、担当編集者に「書かないとまずいですよねえ」と尋ねたら、「ええ、まずいですねえ」と言われて(笑)。見切り発車で九八年に連載を開始しました。前田が世に登場するまでの・前振り”のつもりで、柔道創成期を書き始めたらこれが面白くなり、十一年がかりの四巻本になりました。
―― 柔道創成期を書き始めて、面白くなってしまったのはなぜですか。
夢枕 柔道の創始者・嘉納治五郎、『姿三四郎』のモデル・西郷四郎ら、明治期の日本に生じたメンツの凄さ、きらびやかさ。彼らが残した逸話を知ると、頭に次々と浮かんでくるものがあり、それが面白くて、ぜひ書いてみたいと。「前田光世伝」を終えてから書いてもいいが、かなり先になるから今書くしかないだろうと、連載三、四年目で腹をくくり、柔道創成期の人々の足跡を物語としてじっくり書くことにしました。
―― 夢枕さんの物語世界は、何か志を持って長い旅をして帰ってくる、あるいは途上で果ててしまう、いずれにしても、志を持ち、挑戦して勝とうとする構造で共通していると伺ったことがあります。そういう物語性を感じたんでしょうか。
夢枕 そうですね。例えば、大東流合気柔術の武田惣角は、手拭いを巻きつけた匕首をいつも懐に忍ばせていました。晩年、家でうたた寝をしていた惣角を案じて、三男の時宗さんが手を伸ばしたら、「しゃっ!」と跳ね起きて匕首で手を突かれた。また惣角は、猜疑心から門人以外が出した食べ物を口にしなかったそうで、決して他人を背後に立たせず、利き手を相手に預けないため握手はしない、まるで・ゴルゴ13・のような(笑)逸話に惹かれたんですよね。
―― 他の登場人物も、激しいエネルギーの持ち主です。力道山と宿命の対決をした昭和の柔道家、木村政彦が登場する序章から物語は始まりますが、前田光世、木村政彦ら名柔道家の源流に、明治時代の講道館の人々がいたんですね。
夢枕 明治の初め、西洋文化が入り込んできたことで、最も打撃を受けたのが武士階級の文化でした。武術は野蛮だと退けられる中、武士階級だった人々は精神性を保とうとし、もう刀は手にとれないから素手の武道を志し、その流れの中から柔術に新しい息吹を与えた「講道館流」が生まれた。嘉納治五郎がいなければ、現在の柔道、柔術の世界的な広がりは百パーセントあり得ませんから、講道館がなぜ生まれたのかは、書かなければいけない課題でした。それから、警視庁が警官に柔術を指導する柔術世話係を置き、全国の柔術家を東京に集めたことも大きかったですね。警視庁による武術大会の開催は、武士の精神的拠り所になったと思います。
―― 嘉納治五郎を「異様人」、武田惣角を「異常人」などと評しながら主人公にせず、あらゆる人物を描き分ける展開になっています。
夢枕 主人公を作らずに書いていきましたが、自然と、嘉納治五郎、武田惣角、西郷四郎、横山作次郎、中村半助の五人がメインになっていきました。まず、嘉納治五郎は天才です。彼は文武両道で、柔術の「講道館」と学問の「嘉納塾」の二つの私塾を開き、いずれも無料で教えていたと知って、最初は信じられませんでした。彼には日本を憂える心があり、その人となりを煎じ詰めると「教育」という言葉にたどり着く。二十三歳で講道館を作り、弟子たちを養うなんて、今の人にそんなことができますか。惣角は、嘉納と真逆の人物で、生涯、文字が書けず、自分の道場を持たずに遍歴し、逸話も凄まじいところに魅力を感じました。会津出身の西郷四郎は、富田常雄の小説『姿三四郎』のモデルになった人物ですが、後年講道館を出奔するし、決してヒーローではない。人間味のある姿三四郎を書いてみたいと。鞠のような肉体の西郷と対照的に、巨漢の横山は、いきなりぽんと出てきた強いやつです。豪快な逸話が多い。やっぱり、・星飛雄馬には伴宙太・みたいなね(笑)。小柄で屈託の多い人物がいたら、身体が大きくて、男気のある人物もいたほうがいいだろうと。
―― 九州の久留米から上京し、警視庁の初代柔術指南役に就いていた中村半助も、武術試合が開かれるあたりから目立ってきますね。
夢枕 明治になり、藩から支給されたわずかな奉還金を元手に鮮魚商を始めたけれどうまくいかない。金を持たない客から金を取らなかったそうで、今の時代では生まれようがない精神の持ち主です。妻のおふじを亡くして、妻の最後の言葉に背中を押されて東京に出てくるエピソードは個人的に気に入っています。
―― 柔道の歴史上、「鬼」の異名をとったのは戦前で横山作次郎、徳三寳、戦後で木村政彦の三人です。夢枕さんの小説には「鬼」と形容される人物像が見られますが、横山に限らず、主要人物はさまざまな風体の鬼だった。
夢枕 僕なりのルールとして、AとBが闘うだけではつまらないんです。Aがどれだけ強いかを示すためにBに勝つわけですが、Bだって強いことを示すためにCを絡めなくてはいけない(笑)。そのCも強い逸話を盛り込みつつ、最終的にAが勝つが、この三人だけではなく、別のトーナメントでも同様のことが起きている。複数のトーナメントで勝ち上がってきた者が対決して、最後に誰かが勝つ。そうやって話を進めていくから、書くほど長くなる癖があります(笑)。
―― 叙述の苦労は、相当なものですね。
夢枕 一番苦労するのは、格闘シーンですね。どう書けば面白く、新しく、エキサイティングかと。『獅子の門』や『餓狼伝』でも書き続けて、もう新しい手はないと思うのですが、三日間死ぬほど考えると発想が出てくる。最近書いた場面では、試合前に悩み苦しんでいる登場人物の「勝つことも怖いんです」というセリフが思い浮かぶまで書けませんでした。書き手の気持ちを捧げて書き出せる何かが必要で、物語の行方を左右する言葉、精神的な部分を探し出すのは毎回大変です。
―― 史実や、柔道・武術技との整合性はどうつけていますか。
夢枕 明治十八年から二十二年まで、警視庁主催の武術大会が開かれ、講道館の面々が出場して古流と対戦し、この闘いによって講道館の名が知られ、柔術の主流が柔道に移っていったのは事実です。ただ、関東大震災に伴う火災で警視庁の資料はほとんど焼失して、確かな資料は少ない。フィクションとして自分で決めて書いていいというのが、たどりついたところです。西郷四郎は「山嵐」が得意技で、漫画なら大きなコマを使って描けば迫力が出ますが、活字で「山嵐で投げた」と書くだけでは面白くない(笑)。武術技のビデオを静止をかけながらくり返し見て、描写を決めていきました。資料を読み、ビデオを見ると、必ず何かアイデアが出てきます。
―― 中学校で武道を必修化する方針が打ち出され、武道を見直す気運があります。柔道創成期を書きながら、明治と今との違いをいろいろ感じましたか。
夢枕 ヨーロッパでレスリングがそうであるように、柔術は総合運動。人はどうすれば倒れるか、総合的な身体感覚を学んでおくのは必要だと思いますから、ぼくは武道の必修化はいいと思います。ただ、おそらく明治の柔道は今の柔道とは全く違います。オリンピック・ルールじゃない柔道の大会を、明治寄りの気概で、年に一回やってもらえないかと思っています。この本で書いているように、柔道は日本古来の武術を連綿と引き継いでいる。柔道は古流武術の精神と技術を保つ責任があると思います。
―― これからの執筆予定を教えてください。
夢枕 武術試合の最終戦を少年の前田光世が目撃し、人物たちのその後を淡々と記して「天の巻」は終わります。西郷四郎が少し暗い性格だったから、前田を主人公にした「地の巻」では、雰囲気をひっくり返したいと思っています。ただもう闘うことが好きで仕方がない太陽のように明るい少年として、前田を登場させたい。「地の巻」が前田光世伝、さらに「人の巻」を構想しています。
そのほかの本では、11月に『愚か者の杖 五大陸釣魚紀行』が出ます。五大陸六カ国で釣りをしてきた紀行本です。
(10月21日 東京・新宿区の紀伊國屋書店 新宿本店にて収録) |
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