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「定本 柄谷行人集」全5巻
第一回配本 第2巻『隠喩としての建築』
 
紹介者 岩波書店編集部 小島 潔さん

 
カッコ良いひと

 柄谷さんと初めて「会った」と言えるのは、1998年12月、酷寒の北京でのある会議のときだ。「柄谷行人」というひと癖もふた癖もあるらしい高名な批評家の名はもちろん知っていた。しかしそのときまで、学者ばかり相手に仕事をしてきた私は、柄谷さんの著作をほとんど読んでいなかった。つまり私は真っ白な状態で「柄谷行人」と同席していたのだ。
 「あいつは面白いな、すぐれてるよ。中国にこんなやつがいるのか」と、会議が始まって最初の休憩のとき、柄谷さんがつぶやいた。ある初対面の北京の知識人のことだ。こちらは事前にいろんな情報を仕入れてあって、この中国人が飛びぬけて興味深い思想家であることはわかっていた。私は驚いて、「なぜそう思うんですか?」とたずねた。「あいつには批評性がある」−−。
 ふ〜ん、批評家とはえらいものだなと、そのとき私は思った。相手がどういう専門か、どんな仕事をしてきたのか、どんな組織に属していて、そこでどういう地位にあるか、学者ならいの一番に気にしそうなことに、この人はまったく関心を示さない。ところがひとたびその発言に「批評性」があると直観されれば、もう深い信頼と共感を相手に寄せている。そのことが手に取るようにわかったのだ。「柄谷行人」の私への登場のしかたは新鮮だった。
 日本に戻ってから、当時『批評空間』の編集をやっていた内藤裕治さんと引き合わせてもらった。三人で関西風すきやきをつつきながら、柄谷さんが活動の舞台をニューヨークに移すという話になった。柄谷さんは野望に燃える青年のようだった。「でも、アメリカでは誰にも相手にされないかもしれないじゃないですか」と、私が茶々をいれると、「それならそれでいいんだ」と、何のてらいもなく言った。日本にいればいくらでも「威張って」いられるのに、そして日本での威を着たまま海外に出れば苦労なんかしないのに、わざわざ一個人として自分を試しにいく柄谷さんは、やはりカッコ良かった。
 私は柄谷行人を勉強しようと本気で思った。編集者はそういうとき、著作集を考えつくものらしい。


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