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渡辺淳一
(わたなべ・じゅんいち)
1933年北海道生まれ。医学博士。58年札幌医科大学卒業後、母校の整形外科講師となり、医療のかたわら小説を執筆。70年『光と影』で直木賞を受賞。80年に吉川英治文学賞を、2003年には菊池寛賞などを受賞。医学的な人間認識をもとに、華麗な現代ロマンを描く作家として、文壇の第一線で活躍中。主な著書に『失楽園』上・下、『エ・アロール
それがどうしたの』、『みんな大変』、『化粧』上・下などがある。 |
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『愛の流刑地』上
幻冬舎
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『愛の流刑地』下
幻冬舎
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『失楽園』上
角川文庫
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『失楽園』下
角川文庫
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『エ・アロール
それがどうしたの』
角川文庫
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『みんな大変』
講談社
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大島 この度の新刊『愛の流刑地』は、『失楽園』から九年の歳月を経て刊行された作品ですが、主人公たちの置かれている状況がより厳しくなっています。主人公は五五歳の村尾菊治で、昔はベストセラー作家でしたが、今は週刊誌のアンカーマンと大学の講師をしています。妻とは別居中で、千駄ヶ谷のマンションで一人暮しです。相手の入江冬香は三六歳の人妻で、三人の子どもがいて、関西に住んでいます。
渡辺 『失楽園』では、ある程度の収入があって比較的生活に余裕のある人物を主人公にしましたけど、今回はごく普通の人妻と、元ベストセラー作家だけど今は忘れられた物書きの男との恋愛を描いていますから、ポピュラリティは今回の作品の方があるかと思います。
大島 最初は、菊治が京都まで新幹線で通う遠距離恋愛です。
渡辺 本当に好きになったら、それくらいのことはするでしょうね。ただ、不自然にならないように、そのあたりは注意して書いたつもりです。
大島 やがて冬香の夫が東京へ転勤になり、二人の仲は急接近しますが、冬香には子どもがいるため、午前中しか逢うことができません。「真昼の情事」ならぬ「午前の情事」というのは新鮮でした。
渡辺 幼い子どもがいる人妻は午前中しか自由になる時間がないから、そういう状況になることが多いんじゃないかな。相手は塾の先生だったり、スポーツクラブのコーチだったりして、そんなに珍しいことではないと思います。ロマンチックな関係を求めている人妻はけっこういますし。
大島 冬香が性の快楽に目覚めていく過程が、細かく描かれています。
渡辺 セックス描写はすごく難しいし疲れますね。ポルノ小説のようにべたべた書くなら楽だけど、文体の清潔感を失わないように深く書いていくのは相当しんどい。そもそも日本語には、男女の愛に関するボキャブラリーが少ないんです。ことに女性の性器を表す言葉は少ない。僕は『シャトウ
ルージュ』を書いた時に調べたんですけど、フランス語には一七八もの表現があって素晴らしいと思いました。これは、性愛を恥ずべきものとして否定してきた日本と、性愛は人生最大の喜びと考えるフランスとの差じゃないかな。
大島 この小説は大きな問題を提示していますね。
渡辺 ひとつは、性愛における男と女の違い。もうひとつは、エロスにかかわる愛の頂点でおきた行為を、現行の法律で裁けるのかという点です。『愛の流刑地』はこの二つの軸を交錯させて書きました。縦軸は愛しあった果ての事件で、非常に感覚的な情念の世界。横軸は法律という論理の世界ですね。
大島 男と女の、性に対する違いが事件のポイントです。
渡辺 男と女とでは性愛の深さが違うからね。男は女にのめり込みながらも、どこかで客観性を持っているけど、女は果てしなくどこまでも浸り込んでいく。
大島 男には、女のエクスタシーがどんなものか、基本的にはわかりません。
渡辺 それは女になってみないとわからないだろうね(笑)。でも、男にとって女のエクスタシーは、凄いというか怖いというか、底知れない感じがあるでしょう。
大島 男と女の闘いとでも言えるでしょうか。
渡辺 闘いと言うより、生理の原点の違いじゃないかな。僕は医者だったから、ずっとその違いに興味がありました。女の快感は末広がりだけど、男の快感は閉じていく。射精したら終わりですから。
大島 そこに男の虚無感があります。
渡辺 男はセックスのあと背中を向けて寝てしまって、女はそれを愛がないと言うけど、そんなに単純なものではない。男の性はある意味、哀しいもので、セックスが終わった後に襲われる虚無感というのは、女の人にはわからないでしょうね。
大島 それにしても男と女はうまくできていますね。
渡辺 均等にバランスが取れているわけではないけど、性的快感に関しては男が急激に醒めるから、社会的、経済的活動が成り立っているんだと思うね。男が女と同じように快感に溺れていたら、人類はとっくに滅亡しているかもしれないから(笑)。
大島 セックス時の声をボイスレコーダーで録音するという設定にしたのは、後の法廷シーンのためでしょうか。
渡辺 それもありますけど、その最中の女の声を録音したいと思う男は、多くいるんじゃないかな。最近はビデオに撮影する男もいるぐらいだから、男の願望としてはごく自然なことだと思います。
大島 四谷にあるバーのママの存在がとても印象的です。
渡辺 無味乾燥な法理論と対抗させるために、男女のことをよくわかっている人物を出したかった。男女の問題は学歴なんか関係なくて、経験と感性が重要なんです。そういう感性があるかないかで、その人物の価値や魅力も違ってくると思います。
大島 小説の中に、いい言葉が出てきますね。例えば「恋愛体質」や「不倫純愛」などです。
渡辺 恋愛とかセックスは一種の癖でもあるから。しないでいると億劫になって、しなくてもすむ。やっぱり体質というのはあると思います。それに本気の不倫には打算がないでしょう。そういう意味では「不倫純愛」という言葉も必要だった。
大島 今回の作品については、どのような取材をされたのでしょうか。
渡辺 ずいぶんいろいろと調べました。警察の取調室、留置場、拘置所、独房も見せてもらったし、裁判にも通いました。判例や検事調書もたくさん読みました。そういう取材は初めてだったから、とても勉強になりました。死亡鑑定書は僕が書いたけどね(笑)。
大島 しかし法律というのは冷酷ですね。
渡辺 すべてを法理論で裁かないといけないからね。逆に言えば、裁判官のつらさもそこにあるわけです。連載中に弁護士や法曹関係の方から手紙をいただいたんです。裁判の戦い方で、こういう手がある、ああいう手があるとか、こっちでいけば無罪になる、こうすれば執行猶予がつくとか(笑)。いろいろ教えてもらって勉強になりました。
大島 新聞連載の時から話題になっていましたが、『愛の流刑地』がこれほど注目を集めるというのは、なぜだと思われますか。
渡辺 圧倒的な恋愛というのは、今はなかなかしづらい時代ですよね。結婚して家庭を持って安住すると、恋愛はそう簡単にはできませんし。とにかく社会状況が平穏で、優しい環境がいいと思っている人が多いから、この小説が衝撃的に受け取られたのかもしれないですね。小説の魅力というのは、現実にそのとおり「する」「しない」じゃなくて、もし機会があったら「してみたい」という読者の秘めた願望に、テーマがぶつかることだと思います。僕はその一点を矢で射貫きたいと常々考えている。だから「こんなことしないよ」って言う人がいるかもしれないけど、もしかしたら「するかもしれない」というもうひとりの危うい自分の秘めた部分に、矢が当たってほしいと願っている。そうすることで、小説は初めてリアリティを持って生きてくるわけで。
大島 作品を執筆されている最中に、内容などに対して抗議のようなものはありましたか。
渡辺 中学校の校長先生から電話がありました。中学生が新聞をまわし読みして困るという内容でした。それを聞いて、僕は嬉しかった。今の中学生は雑誌やビデオでもっともっと過激なものが見られるのに、この小説で興奮してくれるというのは、活字は健在だと実感したんです。読んで興奮するというのは、イマジネーションが必要だからね。活字はまだまだ力があると。
大島 読み終わってから、私はもう一作あるのではないかと感じました。『失楽園』、『愛の流刑地』に続く三部作です。主人公の年齢が六〇歳ぐらいの物語が描かれるのではないかと。
渡辺 年を取るにつれて、状況は変わってきますからね。老いた男の女に対する執着とか醜さとか、そういうのを前面に押し出して書いてみたいですね。構想はある程度持っていますが、本になるのはいつになるかわからないなあ。
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