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『通天閣』の西 加奈子さん
インタビュアー 青木 千恵(ライター)

西加奈子
(にし・かなこ)
1977年イラン・テヘラン生まれ。エジプトで幼少期を過ごし、その後、大阪で育つ。関西大学法学部卒業。2004年『あおい』でデビュー。2作目の『さくら』は全国書店員の強力な支持を得てロングセラーとなる。その他の著書に『きいろいゾウ』、『絵本 きいろいゾウ』が、また共著に『嘘つき。 やさしい嘘十話』がある。




『通天閣』
筑摩書房



『さくら』
小学館



『きいろいゾウ』
小学館



『あおい』
小学館

青木 『通天閣』は、大阪ミナミを舞台にした書き下ろし長編小説です。「大阪のシンボル」、「大阪の灯」と言われる通天閣が重要な役割を果たしていますが、今回の小説で通天閣を題材にしたのはなぜでしょうか。
西 二十四歳から二年間、大阪の四天王寺というお寺のそばに住んでいました。バイト、バイトですごくしんどくて、少し時間ができると通天閣に登り、景色を見るでもなくボーッとしていました。二十六歳で東京に出てきて、二作目の『さくら』がベストセラーになって生活が変わり、再び大阪で通天閣に登った時、数年前の自分と今の自分は全然違うなと感じました。その時、自転車を立ち漕ぎして坂を上がる昔の自分が見えたような気がして、「頑張りやー」と言いたい気持ちになりました。その話を筑摩書房の松田哲夫さんに話したら、小説で書いてみたらどうだと。「なるほど、そういう考えもあるんか」と思いながらも、しばらく書かずにいたんですが、いざ書き出してみると二、三ヵ月で原稿ができまして、それを松田さんにお渡ししました。
青木 主人公は、町工場で働く四十四歳の男と、スナックで黒服のバイトをする二十代半ばの女で、通天閣の近くに住んでいます。二人ともアルバイト暮らしで、お金はなく、いわば底辺をさまよう人と言えますね。
西 前々から、四十過ぎのおっちゃんの一人称で小説を書きたいと考えていて、良い機会やと主役にしました。それぞれの夢のシーンが初めに浮かんで、こういう夢をみるおっさん、こういう夢をみる女の子とキャラクターが決まり、二人の視点を交互にして書いていきました。おっさんの一人称だけで小説をつくるのはキツイやろうなと思っていて、男と女の視点を交互にしていったら、スーッと書くことができました。おっさんの方はほとんど苦労なく書けましたが、女の子を書くのには時間がかかりました。
青木 おっさんを書きたかったのはどうしてですか。
西 うちが「面白いな」と思う人って、おっさんが多いんです。独特の世界観があって、若い人みたいに世間的な価値観でジャンル分けをしないでしょ。何でも自分の価値観で考えるおっさんの感じを書きたいと思いました。おっさんでも、行き場がないおっさんの生活を想像していて、ひとりで食べ物屋に行って、誰も見ていないのに意識してガチガチになったり、女が笑ってきたら「俺と仲良くなろうとしている!」と思ったり、そういう自意識過剰なおっさんがいたら面白いかな、と。
青木 女の子を書くのに苦労したのはなぜですか。
西 女の一人称にすると、自分との距離が取りにくいんです。特に今回は、女の子のバイト先が、うちがバイトしていたところをモデルにしているので、自分と変えるようにせなあかんと、距離を取るのに時間がかかりました。
青木 女の子のバイト先のスナックで、上客が酒やおつまみをどんどん注文する時に使う「もと持てきさらせーい」という言葉など、大阪弁が実にリズミカルですね。
西 リズムには気をつかっていて、言葉の息継ぎの感じを残そうと、読み直して突っかかるところを直したり、息継ぎせんと読んでほしいところはあえて句読点を打たなかったりしています。大阪弁は、自分が喋っている言葉だから書きやすいです。ただ、谷崎潤一郎の『卍』のようなきれいな大阪弁や、「わてらが話してるのとちゃいまんねん」といった大阪弁は使いません。うちは「言いまへん」とは使わないので、「言わへん」と書くんですよ。それと、前にテレビに出た時に「わし」と言ったらお母さんに怒られまして(笑)、今は意識して「うち」と言うようにしています。
青木 ふたりの主人公は八方ふさがりで、男は〈俺が死んだそのことで、嘆く奴は数えるほどもいないだろう〉、女は〈私が泣いていることなんて、誰も知らない〉と、寂しさを抱えています。良い方向になかなか向かわない展開は、初めから書こうと思っていたのか、書きながらそうなったのか、どちらでしょうか。
西 書きながらですね。ふたりが過去に実は関わりがあった展開も途中で気づいたことなんです。書いていて気づく時が、一番幸せな瞬間なんです。途中で登場人物の関係に気づいて、さかのぼって話を修正したりするなど、つじつま合わせが大変だったりもしますけど(笑)。うちは、奇跡が起こって大変身するような小説はあまり好きではなく、「まあこの生活でもいいやないか。もう少し、頑張りや」と思える、きっかけのような小説を書ければと思っています。
青木 女の子の母親は放蕩を繰り返していて、それを反面教師にするかのように、女の子は過剰に一途なところがありますね。
西 身近な人を飛ばして他人を幸せにしようとするから、勘違いが起こるんだと思うんです。ひとりひとりが近くにいる人を大事にするだけで戦争はなくなるはずやのに、身近な人を大事にしないでいろいろなことをするから、戦争が起きてしまうんだと思います。すぐそばの嫁はんが泣いているのに、他の人を幸せにしようとする男の人は信じられないし、「あなたといられて幸せ」と嫁はんが笑っている人をうちは信じたい。日常には、残酷さと優しさの両方が共存していて、例えば事件が起きて身内が突然いなくなったとしても、日常は脈々と続いていきます。通天閣というのは日常の象徴でもあって、誰に対しても突き放すでもなく、許すでもなく、何があっても変わらずにただそこに立っています。その様子は、すごく美しいなと思います。うちは今回の小説で、そんな日常に潜んでいる残酷さと優しさの両方を書きたいと思いました。
青木 仕事帰りで体は疲れているのに、自転車を立ち漕ぎして坂を上る人のエピソードが出てきます。
西 うちは上京してからもバイト生活が続いていて、三作目の『きいろいゾウ』まではバイトしながら書いていました。渋谷のバーで働いて、朝に帰ってきて昼まで寝て、起きたら夕方まで書くという生活を二年間続けてました。その頃の自分の姿を、小説の中に重ねたところがありますね。当時はバイトしとったけどお金はなくて、お金がないのは惨めやなと感じていました。『通天閣』は、バイトをしないで書いた初めての小説です。うちが小説家になりたいと思ったのは二十五歳くらいでした。二十四歳の時に喫茶店を開いたことがありましたが、特に夢もなく、鬱々とした日々を送っていたのを覚えています。
青木 そして小説を書いてみたら、それがやりたいことだったわけですね。
西 「やりたいことがうちにもあるんか!」と、びっくりしました。書いていると落ち着くし、やっぱり楽しいです。うちはお料理が好きで、お料理と同じような感覚で小説を書ければいいんですが、小説は書いていない時もずっと頭のどこかで考えているので、リフレッシュする時間がなくなってしまうんです。最近は無責任にできないしんどさがわかってきて、気が重い部分もありますね。
青木 現在はどのような生活をしているのですか。
西 猫七匹と暮らしています。家事をして、猫と遊んで、小説を書く、「なんちゅういい生活や」と言われる生活をしています(笑)。うちは家が大好きで、のんびり家にいて、何日でも外出しなくても大丈夫なんです。
青木 今後の執筆予定を教えてください。
西 うちは新日のプロレスが大好きで、蝶野、武藤、橋本時代の試合をよく見に行ってましたが、最近はアントニオ猪木のすごさに改めて気づいて、DVDで繰り返し見ています。それで、アントニオ猪木さんに会いたいという下心を込めて(笑)、プロレスの話を書いてみたいと思っています。あと、ずっと大阪弁で書いてきたので、東京弁でめっちゃ不自然なものを書きたいですね。「お前のことが好きだ」ではなくて、「私は、あなた様が好きでございます」くらい不自然な小説です。うちは作家としてのスタンスが全然決まってないので、「腕がちぎれるくらい書け」とか、「今だからこそ選んで書け」などのアドバイスをいただくと、全部「なるほど」と思ってしまうんです(笑)。それではあかんのかもしれないけど、自分が一番気持ちよくできるペースでやりたいと今は考えています。二〇〇七年は、光文社から短編集、小学館から中学生が主人公の小説が刊行される予定です。小学館の本はごりごりの大阪弁なので、逆にめっちゃ不自然な、乾いた感じのする東京弁の小説も書いてみたいと思っています。

(11月17日 東京・飯田橋にて収録)

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